第13話 口喧嘩とじゃれ合いは紙一重
婚約披露パーティーを終えた翌日、聖女の業務はお休みを貰えた。
ゆっくり羽を伸ばそうと思っていたら、ライナスと共に王妃様に呼び出された。
一体何だろうと少し身構えながら、室内ガーデンへと足を運ぶ。
透明な巨大ガラスドームのような建物は見た目も宝石箱のようで美しいが、中も引けを取らないくらいに目を奪われてしまう。
陽の光が植物や色鮮やかな花に栄養を与え、それに応えるように花達が輝きを放っている。
建物の入口から中央に伸びた植物のアーチが、まるで私達を歓迎するように思えてしまうほど、植物は生き生きとしている。
一体これを作るのにどれだけの手間と時間が掛かったのだろうと思いながら、アーチの下をライナスと一緒に歩いていく。
中央には日が当たらないように屋根の着いた縦長のスクエア型の建物が配置されており、その中でティータイムを楽しむ王妃様の姿があった。
「急に呼び出してごめんなさいね」
ライナスと私は王妃様の近くに並ぶ。
「いえ。何でしょうか、母上」
「特に用はないわよ。ただお茶に付き合って欲しかっただけ。ほら、座って!」
えっ、用事ないの? と呆気に取られる私とライナスを手招いて、王妃様は朗らかに笑う。
側に控えていたメイドが丁寧に紅茶を淹れると、芳醇な香りがほわっと鼻を抜けていく。
私が紅茶を口に付けて美味しさに頬を緩ませると、王妃様は満足そうに頷いた。
「どうかしら、アイヴィさん。この国には少し慣れた?」
王妃様の質問に、私は紅茶を飲んでいる場合じゃないと気を引き締めて、頭の中で失礼な発言にならないセリフを慎重に選ぶ。
「いえ、正直に申し上げますと、まだあまり……。魔物の襲撃被害に遭った地域へ何度か訪問しましたが、どこも目を覆いたくなるほどの惨状で……。魔物をこの目で実際に見たことがないので、恐怖を感じます」
王妃様は驚きに開いた口を手で隠した。
「まあ! 魔物を見たことがないの? 運が良いのね。移動中とか頻繁に見かけるものだけど……。もしかしたらアイヴィさんは聖女だから、魔物も近寄り難いのかしらね」
「えっ、魔物ってそんなに珍しいものではないんですか?」
あまりに出てこないものだから、てっきり普段は人の前に姿を見せず、襲撃の時にだけ現れるレアな存在だと思い込んでいた。
王妃様はええ、そうよと相槌を打つ。
「王都の砦から外に出たらうじゃうじゃいるわ。不用意に近付いたりしなければ、普通は襲われることはないのだけど」
「でも、それならどうして魔物は街を襲うような真似を……?」
「時々起こるのよ、原因不明に魔物の凶暴性が増大することが。いつそれが起こるのか全く予想も立てられないし、防御壁や罠を作ったり対策はするのだけど、なかなか防ぎきれなくてね。困っているの」
例えると、地震みたいなものなのかしら。
予測不能で、ひとたび起これば被害は甚大。
……それは確かに恐ろしいわ。聖女に縋りたくなる気持ちが痛いほどわかる。
王妃様は膝元に置いていた私の片手を取り、包み込むように優しく握った。
「アイヴィさんがこれからもこの国に聖女の加護を与えてくれたら、きっと被害に遭うこともなくなるわ。だからアイヴィさんには本当に感謝しているのよ。私だけでなく、国民も皆ね」
「…………」
今は被害に遭った地域を中心に加護を捧げに行っているけれど、それが終われば今度はまだ被害に遭っていない場所にも予防として結界を張る予定なのだろう。
──でもきっと、私一人ではこの国の全ての地域に加護を与えることは出来ない。
命がそこまで持つとは思えないもの。途中できっと、第二の聖女にバトンタッチすることになるわ。
ライナスは私が更に無理をするのではないかと心配してくれたのか、王妃様にそっと注意を促す。
「母上。あまり彼女にプレッシャーを与えないで下さい。彼女は聖女の務めを果たすために、毎回自分の身を粉にして働いてくれています」
「えっ、違うのよ! 決してプレッシャーを掛けるために言ったんじゃないの! 私はただ、アイヴィさんに感謝を伝えたくて──」
慌てて弁解する王妃様に、悪気はないと理解していることを、慌てて私も伝える。
「お、王妃殿下のお気持ちは伝わっております。プレッシャーを掛けたおつもりではないと十分理解してますから」
王妃様は私が誤解していないと知って、自分の胸元に手を当てて息を吐く。
文字通りホッと胸を撫で下ろしたようだった。
「どうか重荷に思わないで頂戴ね。アイヴィさんにはとても感謝しているけれど、決して頑張りすぎないで欲しいのよ。この国のことは大事だけれど、アイヴィさんのことも同じくらい大事に思っているのよ」
聖女がいなくなれば困るから、きっと王妃様は私を大事に思ってくれているのだろう。
そうじゃなかったら、大して仲を深めてもいない私に、そこまでの感情を持つはずがない。
「……身に余るお言葉でございます、王妃殿下」
「ねえ、ずっと気になっていたけど、王妃殿下なんて堅苦しい呼び方しなくていいわ! セリーナと呼んで頂戴」
「えっ? いえ、さすがに名前でお呼びするわけには……」
「あら……やっぱり嫌かしら……。そうよね、まだ私にそこまで心を開いてくれていないものね……そうよね……」
王妃様はハンカチを取り出して涙を拭う素振りをしながら。チラチラと何度か私の方を見てくる。
こ、これは間違いなくプレッシャーを与えられているわ。絶対に確信犯だわ。
だって王妃様、涙が一滴も出ていないもの。カラッカラだもの。
権力者には弱いジェナも反抗的なセリフは吐けず、私は強制的にイエスを求められる。
「い……いいえ。とんでもないことですわ、王妃で……セリーナ様」
完全なる圧で言わされたものの、王妃……セリーナ様はご満悦の様子でハンカチを投げ捨て、ニコニコと笑顔に花を咲かせた。
「そうだわ、ライナス。アイヴィさんが魔物を見たことがないなら、闘技場へ連れて行ってはどう? あそこなら戦闘用の魔物を捕らえているでしょう?」
「ですが、母上。闘技場はあまり女性が足を踏み入れる場所では……」
「あら、魔物がどんなものか見学するだけよ。アイヴィさんに魔物の危険さを教えておくべきだと思うの。魔物を知らずにこの先遭遇することがあったら、アイヴィさんが恐怖を感じて動けなくなってしまうかもしれないでしょ」
「……わかりました」
その後王妃様と雑談を交わしてから数分後には、私とライナスは闘技場へと向かう馬車に乗っていた。
あまりにスムーズな流れに身を任せただけの私は、馬車の中で呆けながらライナスへ率直な感想を述べる。
「決して侮辱するわけじゃないのだけど……セリーナ様って少し変わっているわね」
「母上は人との距離の詰め方がおかしいんだ。特に君は気に入られているんだろう」
「私が聖女だから好意的なだけでしょ?」
「いや、母上は打算的な人ではない。素直に君が好きなんだと思うが」
ライナスから君が好きという言葉が出て、無駄に反応してしまう。
ライナスから私に向けられた言葉じゃないのに、妙に耳に残る。
かき消すように耳を何度か叩いた。
「それが事実なら本当に変わっているわ。もし私の口の悪さが露見したら一気に嫌われそうね」
「……君が王妃相手にまで悪態をつくほど愚かではないと思いたい」
そんな会話をしながらゴトゴトと運ばれること二十分。
闘技場へ降り立った私は、その堂々たる建物の面構えに圧倒された。
ひとつの石の大きさが人間の大きさよりも大きい立派な石垣が、天に届くかと思うくらいに高く積まれていて、見上げても先が見えない。
入り口の門も魔物を搬入するためか、推定十メートルはある、重たい鉄の扉だ。
もちろん普通の人が開けられるはずもないので、屈強な男が門の前に立っており、私達が近付くと「うおおおおお!」と雄叫びを上げながら開けてくれた。
この仕事、大変そうね。肩も腰も全部やられそう。
中へ入ると真っ暗で、冷たい空気が流れていた。
今は観客もなく、熱気がないから余計に冷たく感じるのかもしれない。
道中に松明が等間隔に置いてあり、少し先に進むと、黒いスーツを纏った男が私達を待ち構えていたように恭しく頭を下げた。
「ようこそいらっしゃいました。王太子殿下、聖女様。お会い出来て光栄でございます」
その男性は闘技場の支配人と名乗り、胡散臭い狐目をしていた。
その見た目通り胡散臭い口調でペラペラと私やライナスを過剰に褒めそやし、ちょっとうんざりしながら魔物がいる檻まで案内してもらう。
「こちらでございます」
支配人が手を伸ばして指し示した檻の奥から、真っ黒な翼を広げた何かが、キシャアアと何かが擦り切れるような鳴き声を上げる。
私は身体を震わせた。
その魔物はたまに稲妻のようにパチパチと光を放ち、触っただけで感電してしまいそうだ。
ライナスは慣れているのか全く動じることも無く、涼しい顔で私に説明してくれる。
「これはトネールワイバーンだ。特に爪が鋭利で、まともに攻撃を受けたら皮膚は裂かれる。そして見た通りこいつは帯電しているから、触れば身体中に電気が走る」
「待って。これ、人間が勝てる相手?」
「闘技場に出るような猛者達ならば問題ない相手だ」
「本気で言ってる? どう考えても無理でしょ。触ったら死ぬ、爪で裂かれても死ぬ。どう足掻いても死ぬ運命しか見えないのだけど」
「疑うなら一度闘っているところを見に来たらいい」
「遠慮するわ。あんまり傷付け合いみたいなのは見たくな──」
「ギシャアアアアア!!!」
「ひあああっ!?」
突然ワイバーンが嘶くように天を見上げて鳴き喚く。
咄嗟にライナスの背中にしがみつきながら後ろに隠れた。
ライナスはゆっくりと後ろを振り向き、背後にいる私を見下ろす。
「…………。私を盾にするとはいい度胸だな。ワイバーンがこの檻から出ることはないのが幸いだった」
「し、仕方ないでしょ。私戦えないんだもの」
「聖女の力という最強の武器を持っている君が? なかなか面白いことを言うんだな」
「急に襲われたら力だって使う暇ないわ。グチグチうるさい男ね。王太子ならか弱い女性を黙って守ればいいのよ」
あっ、良くない良くない。
明らかに言い過ぎよ。いくらライナスが私の悪態を許してくれたからって、調子に乗るのは良くないわ。
ライナスは周りを見回し、何かを探す素振りをする。
「一体どこにか弱い女性などいる? 私の周りにはいないようだが」
「あら大変。あなた城に戻ったら治療師に診てもらう必要がありそうね。目がよく見えていないようだわ」
「残念だが視界はすこぶる良好だ。……ところでいつまで私にくっ付いているつもりだ?」
ライナスに指摘されて私はハッとする。
ライナスの軍服を握り締めて密着していたことを今更自覚し、跳ぶような勢いで慌てて離れた。
恥ずかしくて耳まで熱くなってしまい、そんな顔をライナスに見られたくなくて顔を思い切り背ける。
ライナスはわざわざ身体ごと私に振り向き、私の顔をじっと見ているのか、視線を感じる。
更に私の顔に熱が集まった。
「す、少し驚いただけよ。別に怖かったわけじゃないわ……」
「その割には随分としがみつく力が強かったようだが」
「気のせいよ。あなたの気のせい!」
「……ふ。そうか。私の気のせいだな」
明らかに私が怖がっていたことをわかっていて、ライナスは私の反応を面白がる。
ふっと息を零して笑ってみせた。
少し意地の悪いその笑顔も私の羞恥心を煽るには充分で、顔だけに留まらず首元まで熱くなってしまい、もう隠しようがなかった。