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第10話 聖女の選択


 あれから当然眠れるはずもなく、私は一睡もしないまま朝を迎えた。


 誰とも口を聞かず、ただ言われるがままに行動していたら、いつの間にかライナスに肩を軽く叩かれていた。


「アイヴィ嬢、着いたぞ。大丈夫か?」


「え? ……ああ、本当ね」


 無心から我に返った私の目の前にあったのはハワーベスタ治療院だった。

 入口に入ろうとするライナスの腕を思わず掴んで引き止める。


「どうして? もうここの重病人は一通り治したはずよ」


「今日は君が治療を施した患者の様子を見に来ただけだ。聖女の力を使う必要はない」


 力を使わなくていいと言われ、私はふっと力が抜けたようにライナスの腕から手を離す。


 偶然なのか、それともライナスが私の体調を気遣ったのかわからないけれど、今日はあの倦怠感に苦しまなくていいと思うと、心の底からほっとする。


「…………」


 それが顔に出ていたのか、ライナスが私に何かを言いたそうに唇を薄く開く。

 しかし結局飲み込んで治療院へと入って行った。


 私も後を追って入ると、入口すぐのところで偶然院長が通りかかった。

 私とライナスの姿に気付いてすぐに頭を下げ、こちらへ挨拶に来る。


「これはこれは、王太子殿下、聖女様。先日は本当にありがとうございました。情けなくも我々治療師では治せなかった患者を救って頂き、深謝しております」


 私に向けて礼を述べる院長に、素っ気なく返す。


「礼なんて結構よ。私は義務を果たしただけだから」


「いえいえ。例え義務だとしても、救って下さった事実には変わりありませんよ」


「…………」


 院長はあまりに丁寧に深々と頭を下げてくるものだから、それ以上は何も言えなくなる。

 ライナスが場を繋いだ。


「それで、彼女が治療した患者達はその後どうだ?」


「はい、殿下。経過を見ておりますが全員順調で、完治したと判断を下しても良いかと考えております」


「そうか。それは本人達もさぞ喜んで──」


「治療師様っ、治療師様ぁっ!!」


 突然バン! と扉を破る勢いで子供を抱えた女性が入って来た。

 あまりの血相に私達だけでなく、レグランや周りにいた護衛、患者も皆その人に注目する。

 院長は冷静な様子でその女性の元へ駆け寄った。


「どうしたんですか?」


「こ、子供がランドオルサに襲われてっ……このままじゃ死んじゃう!」


 女性の腕の中でぐったりしているのは七歳くらいの少年だ。

 深い爪痕が無惨に身体に刻み込まれ、大量の血を流している。

 ランドオルサというのがどんな魔物なのかはわからないけれど、ここまで酷い怪我をさせることが出来る、獰猛な魔物なのは間違いないはず。

 そして最悪なことに、素人目にも致命傷を負っているのは明らかだった。


 院長は非常に苦い顔をして少年の状態を見てから、恐る恐る私の顔を窺うように視線を向けてくる。


 ……嫌な予感が、するわ。


 院長は言いにくそうに切り出す。


「……聖女様。私が今から治療を施しても間に合いません。ですが、聖女様のお力なら……!」


「!」


 予感は的中した。

 眉を顰め、一瞬躊躇ってしまう。


「聖女様……? あ、あ、あなたは聖女様なのですかっ!? お、お助け下さい!」


 そんな私に女性は必死に縋った。

 女性の手に付いた少年の血が私の白い服をべとりと赤に染め、私は追い詰められていく。


「どうか、どうかお願いです! 息子を助けて下さい! お願いします!」


 切羽詰まった女性の懇願に胸が苦しくなる。

 心ある人間なら、誰だって断れるはずがない。


「わかっ、たわ……。少し落ち着いて頂戴」


 その言葉は取り乱す女性に言ったものか、自分自身に言い聞かせたものなのかは私にもわからない。


 ──祈りを、捧げなきゃ。

 治れと、祈るだけ。そしたらこの子は助かる。


 少年にかざした私の両手は、僅かに震えている。


 怖い。──怖い!

 聖女の力を使えば、私の命は削れていく。

 それは緩やかな自殺行為。


 ジェナの処刑は一瞬だったし、拘束されていたから抵抗する手段はなかった。


 でも、今は。

 力を使うのは自分で自分の首を絞めることと同じ。

 その恐怖に勝たないと、聖女の力が使えない。


 目の前にいる少年を救わない選択肢はない。

 救えるのは私だけ。

 急いで祈らないと、早く! と自分を急かすのに、祈れずに時間だけが過ぎていく。


「……アイヴィ嬢?」


 ライナスが私の名を呼ぶ声で、ハッとする。


 落ち着かせてくれようとしているのか、震える私の手をライナスの片手が優しく握り締めてくれる。


 ──その温かさは、恐怖を和らげてくれた。


 視界がじわりと滲む。

 零れそうになる涙が落ちないようにギュッと目を閉じて、少年の傷が癒えるように祈る。


 手のひらからパアッと青い光が放たれ、少年の身を包む。

 傷口がみるみる内に塞がっていった。


 苦しそうに歪んでいた少年の顔色が瞬く間に良くなり、胸を撫で下ろす。

 それと同時に、またあの倦怠感が私を蝕んだ。


 少年はふっと目を覚まし、母親である女性の顔を見て安心したように微笑む。


「……マ、マ……」


「ああ……! あぁ…ッ! ジリアン! 良かった……!」


 女性は子供を強く抱き締めて泣きながら喜ぶ。

 ひとしきり泣いてから、女性は膝をつき、床に頭を擦り付ける勢いで頭を下げた。


「聖女様、聖女様……!! このご恩は一生忘れません! 私が死ぬまで毎日欠かさず聖女様に祈りを捧げます! 本当に、ありがとうございました……っ」


 純粋な女性の気持ちに、心が荒んでいく。


 ……感謝を、される筋合いはないわ。

 私は心から救いたくて救ったんじゃないもの。


 自分の命を削るのが怖くて、一瞬でも助けるのを躊躇ってしまった臆病者なのよ。

 だから感謝なんてしないで。

 お礼を言われれば言われるほど、たまらなく惨めな気持ちになるの。


「アイヴィ嬢、大丈夫か?」


 ライナスが心配そうに私の顔を覗き込む。

 きっと今の私は酷い顔をしているに違いない。


「……着替えてくるわ。それから少し休みたいの。この治療院、確か中庭があったわね。そこへ行ってもいいかしら」


「……わかった、休んでくれ」


 ライナスの了承を得て、席を外す。

 レグランから受け取った替えの服に着替えてから、私は中庭へと向かった。



 中庭は緑と花が一面いっぱいに広がっており、陽の光を浴びてキラキラと輝いて見える。

 患者達の心のオアシスとなっているのか、散歩する大人や遊ぶ子供達の表情は穏やかだ。


 中庭の中心にある、大きな噴水の縁に腰掛けてぼんやりとそれを眺める。


 私はどうするべきなのかしら。


 このまま聖女を続ければ、あのメッセージの聖女のように少しずつ身体が弱り、死を迎える。

 それが嫌なら逃げるしかない。上手く逃げられる保証なんてどこにもないけれど。


「おねえちゃん?」


 呼ばれてふと横を見ると、いつの間にか女の子が立っていた。


 その顔には見覚えがあった。

 以前ニーナを治療して体調を崩した後、レグランの反対を押し切って私が治療した患者の内の一人だ。


「やっぱり、治してくれたおねえちゃんだ! わたしね、こんなにも元気になったの! 一生走るのなんてムリだってあきらめてたのに、おねえちゃんがわたしを救ってくれたんだよ! おねえちゃん、本当に本当にありがとう!」


「…………」


 純真無垢な笑顔は、私の心を抉るように傷付ける。

 私が聖女の立場を捨てて逃げる選択肢を思い浮かべていたことが、どれだけ罪深いことか突き付けられているようで、ひどく息苦しい。

 そんなことも知らずに、少女はにこやかに話す。


「おねえちゃんはね、わたしのおともだちも助けてくれたの! その子とね、おとなになったら治療師さんになろうねって約束したんだよ」


「……そう」


「だっておねえちゃん一人じゃみんなを助けるのたいへんでしょ? だからわたしたちがお手伝いするんだよ!」


「…………」


 何も言えずにいると、少女は他の子に呼ばれ、私に笑顔で手を振る。

 そのまま友達らしき子達とどこかへ行ってしまった。


 俯き、膝元に置いた自分の両手を組む。


 私が逃げたら、今も苦しみながら私の救いを待っている人達を当然見捨てることになる。

 さっきの少女のことも、裏切ることになる。


 私はそこまでして……彼女達の希望を奪ってまで、生きたいのかしら。

 例え上手く逃げ延びたとして、私は幸せに生きられるのかしら。人に胸を張って生きられるのかしら。


 ……いいえ。

 待っているのは、ずっと罪悪感に苛まれ続ける人生。

 後ろめたい気持ちを背負って生きていくだけの、惨めな人生よ。


 ──それなら、私は。


 たくさんの人を救って、後悔することなく生きたい。

 命尽きる時に、色んな人の希望になれたと、自分を褒めて死にたい。

 ……ジェナのように、誰かから死を望まれるような、恨みを買うような終わり方を、私はもうしたくない。


 そうよ。前世は悪役令嬢としての人生を全うしたのだから、今世は聖女として立派に生きてやるわ。


 メッセージを残してくれた聖女は、私のことを馬鹿だと思うでしょうね。

 せっかく教えてくれたのにごめんなさい。

 私には図太く生き抜くような賢さは、残念ながらないのよ。


「アイヴィ嬢」


 聖女として生きる覚悟を決めるために随分と時間が掛かってしまったようで、ライナスがわざわざ声をかけに来てくれた。

 顔を上げて、慌てて立ち上がる。


「あ……休みすぎたわね。もう大丈夫よ。戻れるわ」


「いや、もう戻る必要はない。私が患者の様子を見て来た。皆君に直接感謝を言いたかったと残念そうにしていた」


「そう。別に感謝の言葉はいらないわ。それより明日から聖女の業務を詰めてくれる?」


 唐突な私の申し入れに、ライナスは不意打ちを食らったかのように目を見開く。


「……どうしたんだ、急に。君は無理をするとすぐに倒れるだろう。さっきだって君の手は震えていた。祈りを捧げて体調を崩すのが怖かったんじゃないのか?」


「そんなに繊細な女じゃないわよ。大量の血を見て少し驚いただけ。とにかくこれからはちゃんと聖女として、もっとたくさんの人を救いたいの」


 怖がっていた本当の理由は誤魔化して、私は決意を示す。

 ライナスは急にどうしたと言わんばかりに困惑し、怪訝な表情を浮かべた。


「……君は本当にアイヴィ嬢か?」


 疑うのも無理ないわ。

 急に心を入れ替えたようなこと言ったら誰だっておかしいと思うわ。

 何を企んでいるんだと問い質したくなるわよね。

 信用してとは言わないけれど、これからの態度で私が聖女の務めをちゃんと果たすのだと示してみせるわ。


「そうよ。私は聖女アイヴィよ。何か文句あるかしら?」


 唇の片端を上げて、悪役令嬢さながらにニヤリと笑みを浮かべてみせる。


 少しばかり悪態はつくけれど──聖女、私の命が尽きるその日まで、やってみせるわ。



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