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六、三番勝負の一〜歌競べ〜

 そうしていよいよ、三番勝負の当日。


 その日は早くから公卿(くぎょう)六位蔵人(ろくいくらうど)、台盤所の女官らまで清涼殿の東庭に押し寄せて、観覧者は百人近くにのぼった。

 皆が祭や宴でも待つかのように賑々(にぎにぎ)しい中、ひとり気もそぞろなのは桟敷に座る左大臣である。それもそのはず、今日の結果如何で自分の娘が帝に嫁げるかどうかが決まってしまうのだから。


 この三番勝負が公卿会議で発議された時、もちろん左大臣は「そんな馬鹿馬鹿しい話があるか!」と強固に反対した。

 なにせ左大臣側の代表は斎だ。「あんなふにゃふにゃした奴に我が家の命運を任せられるか!」と。


 だが、実はこの時既に頭弁(とうのべん)が内々に他の公卿らの承諾を取り付け終えていた。

 単に面白いと思ったのか左大臣にひと泡吹かせてやろうと考えたのか、右大臣達は皆ふたつ返事でこれを了承。結局、多勢に無勢ということで左大臣も承服せざるを得ず、本日に至る。


 こうなるともはや、彼に出来ることは斎の勝利を祈ることだけ。実際、左大臣家では都中から験者を呼び寄せて、「蔵人少将必勝祈願」と称して三日三晩の盛大な加持祈祷(かじきとう)まで行っていた。


 やがて午一刻になり、内裏に時報の鐘鼓が打ち鳴らされた。


 九つ目の打音が消えると同時に、清涼殿の東廂から花琉帝が現れた。

 その瞬間、場は森のごとく静まり返る。


 帝は二藍(ふたあい)御短直衣(おみじかのうし)姿、まっすぐ伸びた背はすらりと高い。光り輝く美貌という噂に偽りはなく、初夏の陽光に佇むその姿はまさにまばゆいばかりであった。

 普段は雲上の存在である花琉帝の全貌をこの時初めて拝した者も多い。庭を挟んで対にある仁寿殿(じじゅうでん)の御簾の奥で、見守っている女房達からは感嘆のため息が漏れた。


 そして、時を同じくして庭の南、紫宸殿(ししんでん)から現れたのは対戦者である斎だ。

 腰に帯びた金鞘の唐太刀に、背には平胡籙(ひらやなぐい)(※平たい矢入れ)。見慣れた武官の正装も、今日ばかりは一段と凛々しい印象を与えている。

 直前に左大臣に「侮られないように笑っていろ」と言われたためか、口に不自然な笑みを浮かべているのが難点か。


 帝は清涼殿の(きざはし)に直接渡された仮橋を通り、庭にしつらえられた高壇へ渡る。一方の斎は己の足で庭の玉砂利の上を歩いて壇上へ上った。

 四角い舞台は高欄をめぐらし、赤い錦が敷かれている。東に帝、西に斎が向かい合って座れば、ここにようやく勝負の舞台はととのった。


「これより三番勝負を執り行う」


 頭弁・藤原真成の声が庭に響く。


「一番目は歌(くら)べ。御題に沿った歌を一首ずつ詠み、勝敗は左右内大臣のお三方にお決めいただきます」


 言いながらちらりと頭弁が視線を送ると、桟敷に座る三人の大臣はそれぞれ神妙だったり笑顔だったりで頷いた。


「では歌題を申し上げます。本日の御題は――“枸橘(からたち)”」


 歌題が明らかになると、観客からわずかに声が漏れた。


 枸橘は枝に鋭く長い(とげ)があるため生け垣などによく使われる。身近な木ではあるが、桜や梅のように見栄えのするものでもないので和歌の題材としてとりあげられることはあまりない。

 それをなぜわざわざ御題にしたかと言えば、斎の渾名である“枸橘の君”にちなんでいるのは明白だった。


「(この勝負、どうなるかしら)」

「(和歌は帝の有利でしょうね。なにせ当代一の風流人でいらっしゃるから……)」


 麗景殿(れいけいでん)の女房達はひそひそと話し合う。

 ちょうど今の時期に、かぐわしく白い花を咲かせる枸橘。果たしてふたりはどう詠むのか――。


 皆の注目が集まる中、先行は斎。事前に託されていた一首を、講師(こうじ)が高らかに詠み上げた。



「“からたちの まろきこがねの たま垣の

 (うま)き色かな 香はなけれども”」


(枸橘の丸くて黄金色の実が生った垣根があるよ。おいしそうな色だなあ、匂いはしないけど)



 ――――場に、長い沈黙が訪れた。


 観客は皆一様に言葉に詰まっていた。感動したからではない。


「「「(いくらなんでも下手すぎるのでは?)」」」


 それが場に居る一同に浮かんだ共通の感想だった。

 情緒もない、技巧もない、そもそも枸橘の実が()るのは秋であり、季節が合わない。

 さらに言えば、枸橘の実は見た目は柑子(みかん)に似てはいるものの酸味や苦味があるので食用にはならない。


「(せめて季節くらい気にせんかバカものが! よもやわざと下手くそに詠んだのではあるまいな!?)」


 左大臣は思いっきり心の中で叫んで、壇上の斎を睨みつけた。すると何を思ったか、斎は高欄から身を乗り出してこちらに手を振ってくる。


「左のおとどさま、お聞きになりましたかー! 斎の会心の一首にございますればー!」


 まさかの自信作であった。

 左大臣は敗北を確信してがっくりと肩を落とした。隣の右大臣がその肩をバシバシと叩き、内大臣は扇で口元を隠して小刻みに震えている。皆が皆、まだ歌が詠まれてもいない帝の勝ちを確信した瞬間だった。


 そして。

 後攻、花琉帝の歌が披露される番。皆が期待に耳をそばだてた。

 花琉帝は和歌の名手として知られている。彼が入道時代に詠んだいくつかの歌は、その美しい叙情と漂う寂莫感から多くの歌人の涙を誘ったと言われる。


 詠み上げ人の講師が息を吸った音まで聴こえるような静まりようだった。



「“君がため (おどろ)(みち)も 踏み分けて

 まさに手折らん からたちの花”」


(愛しいあなたのために、棘だらけの路にも分け入って 確かに手折ってみせましょう、枸橘の花を)



 ざわっ。


 その歌が詠まれた瞬間、場がにわかに騒々しくなった。

 それは一見、ありふれた求愛の歌だった。詠み筋は素直で、特別目を引く技巧が凝らされているわけでもない。だが。


 実はこの歌には、もうひとつの意味が隠されている。


 「(おどろ)(みち)」とは字の通り、いばらの生い茂る道のことだ。

 しかし、古く中国では「棘路(きょくろ)」と言えば、公卿――大臣や大納言など三位以上の高官――の異称である。少しでも漢学の知識があれば知り得ることだ。


 つまり。この歌の隠された意味とは――


(並居る公卿らの反対を押し切ってでも、必ず手に入れる。“枸橘の君”を)



 これは公卿への――いや、(ふる)き慣習へ対する宣戦布告。どんな手を使っても必ず斎を妻にするという、花琉帝の並々ならぬ決意を表明する歌だった。

 

 びりびりと、ひりつくような帝の熱情をその場の誰もが感じ取っていた。ただ壇上の斎だけが、意味がわからないようで「ん?」と首をひねっている。


「――では! 判者のお三方は東西どちらの勝ちとされるかお述べください」


 一向に観客のどよめきが収束する気配がないので、頭弁は強引に勝負に幕を引こうと声をあげた。続けて「お静かに!」と強面の頭中将(とうのちゅうじょう)が一喝したことで、ようやく引き波のようにざわめきが消えてゆく。


 いよいよ判定の時。だが、ここへ来て判者である三大臣は困ってしまっていた。


 歌の巧拙は明らかに花琉帝に分がある。しかしここで帝の歌を勝ちとしてしまうと、帝の「棘の路(公卿)を踏み分けてでも」という宣言を受け入れたと――あるいはそもそも歌意を理解できていないと思われてしまうのではないかと。

 悩ましいのは左大臣とて同じこと。立場としては斎を勝たせたいが、斎の勝ちを判じれば「私には和歌の良し悪しがわかりません」と言っているようなものだ。


 三者は互いに顔を見合わせてしばし沈黙する。場に一陣の風が吹き、後涼殿の呉竹がさわさわと揺れた。

 すると少ししてから急に、これまで一言も発さなかった花琉帝が笑いだした。


「ハハハハハ、いや〜、まいった。敵わないね」


 笑顔を袖の下に隠しきれず、といった調子で豪快に笑っている。大臣達も観客もただあっけに取られて、しばらくひとり声を立てる帝をぽかんと見ていた。


「うん。まいった。この勝負、私の負けだ」

「……は?」


 突然の敗北宣言に、舞台の下に控えていた頭弁も思わず聞き返す。


「そうか枸橘の実は(うま)き色かぁ……ふふ。こんなに可愛らしい歌がこれまであったかい? とにかく、この勝負は私の負けだよ」


 からからと快活に笑って、「ね」と袖の陰から目配せする。何がなんだかわからないが、頭弁はただ頷くしかなかった。


「帝御自ら敗北を宣言されたので……。い、一番勝負は――西の方、蔵人少将斎どのの勝ち」


 わああという歓声と、なぜだ? という驚きの声があちらこちらから同時に上がった。

「必ず枸橘の君を手に入れる」と宣言しておきながら、あっさり勝ちを譲ってしまう帝の意図を誰も計りきれず。それでも頭弁は、主を慮って西の方の勝利を宣言した。


「みっ、帝が御自ら負けを認められるとあらば、我らが判じるまでもありませんのう!」

「うむうむ。何はともあれ勝ちは勝ちじゃ! ようやったぞ蔵人少将!」


 大臣達はほっとしたように胸を撫で下ろす。斎は相変わらずよくわかっていないようできょとんとしていた。


 こうして、一番目の歌競べは斎の勝利と決まった。



 

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