第一話
部屋の中で、キーボードのタイプ音だけが響く。
PCから漏れる明かりだけで、窓もカーテンも閉め切られた部屋。
そんなわけだから、当然部屋のドアも閉まっていたのだが。
「むつ君、入っていいー?」
「……いいよ」
俺は急いでノートPCの画面を閉じる。
ドアが開く音とともに、外出支度を済ませた女性が入ってきた。
「私今からバイトだから、家の事よろしくね」
「わかった」
頷く俺に、女性――もとい、姉は溜息を吐いた。
「部屋の電気くらいつけなよ、目悪くなるよ?」
「今更だよ」
「それでも、これ以上視力落ちるよりマシでしょ?」
「……バイト遅れるから急いでいきなよ」
「あー、そうやってすぐ追い出そうとする」
別に追い出そうとしているわけではない。
姉に自室へ入られるとちょっと緊張するだけだ。
と、姉が机の上に置かれたノートPCに目を向ける。
そしてにやりと笑った。
「あれ、小説書いてたんだ?」
「……そうだよ」
「またおねーちゃんにも見せてね」
「お断りさせていただきます」
「えー、むつ君の書くラブコメ、大好きなんだけどな」
悲しそうな顔をする姉。
俺は趣味でライトノベルを書いている。
有名な小説投稿サイトで日夜投稿活動を行っているのだ。
そのことは姉も知っている。
恥ずかしい話、昔に何度か読んでもらったこともある。
ただ、俺が書くジャンルはラブコメだ。
高校一年になった俺が、大学生の姉に見せるのはなんだか恥ずかしい。
「でもさ、ラブコメって書くの大変じゃない?」
「なんで?」
聞くと、姉は当然のように言った。
「だって、ある程度恋愛経験がないと描写できないでしょ?」
「え?」
「え?」
急所を突かれ、フリーズする俺に姉は禁句を吐いた。
「むつ君って今彼女いるの?」
自慢じゃないが俺はモテない。
運動も苦手だし、顔も別にイケメンだと言われたことはない。
ただのキモオタ眼鏡なモブキャラだ。
そんなわけで、当然彼女なんてできたためしないのだが。
「い、いるし。彼女くらいいるし」
姉の手前、何の見栄を張ったのか。
俺はそんな事を口走った。
「え、うそ! おめでとう!」
「あ、あはは」
「どんな子?」
「……可愛いよ? 短めの髪型なんだけど、デートの時だけはちょっと編み込みしてきたりして。毎日学校で顔合わせてるし」
流石はモノ書き。
こういう出まかせ、キャラ設定はスラスラと出てくる。
あっという間に架空のヒロインキャラが完成した。
我ながら自分の才能が恐ろしい。
「高校の同級生かー。いいね、甘々じゃん」
「そうだよ、甘々だよ」
「あ、じゃあ実桜も知ってるの?」
「ッ!?」
「あれ」
実桜というのは、妹の事だ。
同じ高校に通う同級生であるため、彼女の耳にも入っていると思ったのだろうが。
生憎とただの出まかせなため、あいつが知っているわけがない。
冷や汗を浮かべる俺に違和感を覚えたのか、姉は首を捻る。
「知らないの?」
「……ま、まぁね。ほら、気まずいからさ」
「確かに、同学年に兄とその彼女がいたら生活しづらいかもね。てっきり嘘かと思っちゃった」
「はは、そんなわけないでしょうに」
おかしな口調になりながら取り繕った。
嘘が嘘を産む、典型的なシチュエーションになってきた。
ごめんなさい。
「まぁいいや。じゃあ私は行くね」
「はい、いってらっしゃい」
なんとかその場をやり過ごして、ため息を吐く。
とんでもない見栄を張ってしまった。
少し後味が悪い。
もやもやする気持ちを抑えつつ、PCを開く。
そして作業に移行するべく、キーボードに手を伸ばして――。
「睦月彼女なんていたっけー?」
「うぉ!?」
不意に何者からか耳に息をかけられて飛び上がる。
振り返ると妹が立っていた。
「なんだ、いたのか」
「うん」
実桜は頷くと、ズイッと寄ってくる。
「ねぇ、何であんな嘘ついたの?」
「……」
実桜は知っているのだ。
俺のこの先の人生を脅かす禁断の秘密を。
「睦月が好きなのはおねーちゃんでしょ?」
そう、これが事実だ。
俺が好きなのは架空の彼女ではなく、この家で共に暮らす姉。
六歳の頃に一緒になった義姉のことが、好きなのだ。