25 本物の救世主
国王陛下は冷徹な瞳でタビアーノ男爵夫妻を見下ろす。
「明日の朝、タビアーノ男爵には馬車を五台と馭者、騎士を二十名ほど貸してやろう。領地に戻り荷物をまとめ、王都に越してくるがよい。ただし、子供や孫、使用人全員を王都の屋敷へ連れてまいれ。殺人未遂の聴取があるゆえ、な
「わかっておると思うが、半年はその屋敷から出ることは叶わぬぞ。半年後、使役できる州を探せ。
今夜は王城の一室をあてがおう。連れていけ」
一室を貸すという建前の軟禁だ。普通の貴族としてなら『王宮の客室』をあてがうはずだが、国王陛下は『王城の一室』と言った。宰相はそれを察し、メイドには牢屋番の宿直室を用意するように指示した。牢屋よりはマシだ。
引っ越しに向かわせる騎士二十名も使用人を逃さないためであろう。
半年とはベルティナがスピラリニ王国を離れることを想定した期日だと思われる。聴取によってはその屋敷に半年いられるのかは不明だが。
「失礼ながら、お待ちください」
エリオが響く声で発言し一歩前に出た。
「許そう」
国王陛下の表情からは感情は読めない。だが、宰相はじめ、重鎮も動く様子はないので、エリオの行動を国として咎めるつもりはないということだ。
「タビアーノ男爵夫妻に告ぐ。王族である私のパートナー、ベルティナに危害を加えたことは見逃すところではない。殺人未遂の聴取とともに取り調べ、それなりの処罰を受けてもらう」
エリオの声は国王陛下と同じくらい会場中に響いた。
「うむ。それは無論だ」
国王陛下の即答にエリオは会釈で返す。
「並びに、今後、ベルティナに近づくことは一切許さない。ブルーノ以外、お前たちの子供たち、孫たち、これからの子孫、お前のところの使用人、全員だっ!」
若さは拭えないが王族としての威厳は充分にあった。
「それを破るようなら、ピッツォーネ王家としてスピラリニ王国に厳重に抗議させてもらうことにする」
エリオのこの宣言は、つまり、タビアーノ男爵いかんでは戦争になるぞと脅しているのだ。タビアーノ男爵はそこで失禁した。戦争の責任を負わされて生きていけるわけがないのだ。
エリオはカツカツと踵を鳴らしてタビアーノ男爵の元まで行った。タビアーノ男爵の耳元に口を近づけた。
「いいか? 貴様ら夫婦は泥水に顔をつけさせ何度も何度も溺れさせてやる。死ねると思うなよ。貴様らが水が怖くて顔も洗えなくなるほど何度も何度も何度もだっ!」
先程より小さな声であるにも関わらず、先程より恐怖を感じさせる声だ。
エリオの声は後ろに離れたベルティナたちには聞こえていないが、近くにいた国王陛下やティエポロ侯爵や他の貴族には充分に聞こえた。そして、みな、それはタビアーノ男爵夫妻がブルーノとベルティナにやってきたことなのだろうと即座に理解した。
国王陛下は聞きしに勝る虐待の実態に目に怒りを滲ませた。隣にいた宰相が二人の王族の怒りを察知し額の汗を拭った。
タビアーノ男爵夫妻はその場で気絶した。
「相わかった。そのあたりについては、後ほど、話をしよう。
連れていけ」
国王陛下の命令でタビアーノ男爵夫妻は、衛兵によって、まさに引きずられていった。
国王陛下はタビアーノ男爵夫妻の姿が廊下の角に消えるのを確認した。
「心安らぐ音楽を頼む」
国王陛下が楽団に手をあげると楽団から優しい音色が鳴り出した。
「今宵は祝いの雰囲気でもあるまい。しかし、せっかく用意した食事だ。みなで食していってくれ。ゆっくりとするがよい」
国王陛下と王妃殿下は下がっていった。
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エリオはベルティナを抱き上げた。ベルティナはあの湖の時のようにエリオの首に腕を回して少しだけ震えていた。
先程の休憩室へ戻ってきた。
後ろには、セリナージェたちもティエポロ侯爵夫妻もいる。
エリオはそっとソファにベルティナを降ろした。セリナージェがタオルを持って駆け寄り、丁寧にベルティナの汗や涙を拭いてやる。ティエポロ侯爵夫妻もソファに腰を降ろした。
「ベルティナ。もう大丈夫よ」
「ええ、ありがとう」
ベルティナは汗と涙で化粧はすべて落ちていた。それでも少しだけ笑顔だった。
「セリナ、お義父様、お義母様、私、以前より大丈夫になりました。まだ、少し怖いけど。それでも、この前みたいに、パニックになったりしなかったの。悪夢を見るまでにはならなそうです」
確かに、湖の時と学園前での事件と比べると違いがよくわかる。
「だって、今日、お義父様が私を守ろうとしてくださっていることがとてもよくわかって。それに、エリオも、イルも、レムも、近くにいてくれて。お義母様とセリナは私を抱いていてくれて。
私の隣にこんなにたくさんの頼れる方がいるのだって感じられたのだもの」
ベルティナが一人一人の顔を見た。ベルティナの心には、他にも、お兄様やお姉様たちや使用人のみんなや、ロゼリンダたちクラスメイトが次々と、浮かんでいった。そして、最後には、ブルーノと…………国王陛下……。
ベルティナは一人ではなかった。
「そうか。ベルティナ、その通りだ。私たちはいつも隣にいる。他の家族も、うちの使用人たちも、みんな、ベルティナの味方だぞ。ベルティナが一人で戦う必要はないんだ」
ティエポロ侯爵が目を細めて優しく笑った。ベルティナの両隣に座るセリナージェとエリオが、ベルティナの手をギュッと握った。ベルティナは、嬉しくて、ギュッと握り返した。ベルティナが振り返ると、イルミネとクレメンティが頷いてベルティナの肩に手を置いた。
ベルティナはいつかこの過去の恐怖と決別できそうだと思えた。
「ふふふ。セリナもベルティナもひどいお顔ね。お直ししてきましょう」
ティエポロ侯爵夫人も涙で乱れていた。
ティエポロ侯爵夫人とメイドに連れられて、ベルティナとセリナージェは隣の部屋にいく。
女性たちが戻ってくるとティエポロ侯爵夫妻は社交場へと戻っていった。
ベルティナたちがお直しをしている間に、五人が座るテーブルにはたくさんの料理や飲み物が並んでべられていた。
しかし、誰も手に取らない。
重い沈黙が続く。
『コンコンコン』
ノックにイルミネが確認にいく。みんながイルミネに注目している。
「ベルティナ。お客様だよ」
入ってきたのはブルーノだった。
「ブルーノ兄様!」
ベルティナはブルーノの胸に飛び込む。ブルーノもきつくきつくベルティナを抱きしめた。
「ベルティナ。元気そうで良かった。会えて嬉しいよ」
「私も、私も……」
ベルティナは涙が止まらない。
「こちらへどうぞ」
ブルーノはあくまでも使用人である。エリオの指示がなければ座ることなどできない。
みんなでソファー席へと移った。
ブルーノは泣いているベルティナを抱えるように歩いた。そして、ベルティナをエリオに預けエリオはベルティナを自分の隣に座らせた。その向こうにブルーノを座らせる。
「お話していただけますか?」
「エリージオ王子殿下。わたくしは使用人でございます。わたくしに敬語はおやめいただけますでしょうか?」
ブルーノはエリオに頭を下げた。
「わかった。では、話を聞かせてくれ」
エリオは立場というものを理解している。エリオの意思でなくとも命令しなければならないのだ。
エリオに促されブルーノが口を開く。
「はい。概要は先程廊下で申した通りでございます。路地裏で倒れているところを、執事殿に見つけていただき、どうにか助かりました。その前後の記憶はとても曖昧で、気がついたときには王宮の使用人部屋でした。温かいスープを何度も口に運ばれた気がしていましたので、それで助かったのだと思います」
ベルティナが息を飲んだ。ベルティナは自分よりも壮絶だと感じた。
「ベルティナのことは?」
「はい、私の記憶にはないのですが、私は寝言のように妹ベルティナの救済をと言っていたらしいです。確かにあの時は自分は死ぬのだと思っていましたから。
私の家名からベルティナにたどり着いていただけたと聞いております」
「にぃさ…ま…」
ベルティナは声が震えていた。死の縁でもベルティナのことを忘れないでいてくれたことに感謝した。本当にベルティナに手を差し伸べてくれたのは、ティエポロ侯爵でも国王陛下でもなくブルーノだったのだ。
「国王陛下のおっしゃった『ブルーノから聞いた』とは、そのことなのか……。そこまでしてベルティナを……」
エリオも声を震わせ目に涙を溜めていた。
「ティエポロ侯爵様が大変素晴らしい方でしたので、ベルティナを保護してくださり、さらに妹と弟の安否も確認していただいております。わたくしは執事長様よりその旨を聞いておりました。
ティエポロ侯爵様は最初からベルティナが十八歳になったら、養子縁組をするとおっしゃっており、わたくしもベルティナの卒業式にはベルティナと会える予定でございました」
「そうか。だが、ブルーノ殿も貴族であろう? 学園はどうしたのだ?」
「ベルティナがまだタビアーノ男爵籍であったため、会うことは叶わない状況でした。ですので、テストだけは学園で受け、王宮にて家庭教師をつけていただいており、仕事の合間に授業を受けました。ただ、学園には姉も在席しておりましたので、名前も執事長様にお借りして偽名を使っておりました」
学園はAクラスの生徒なら学園に通わずともテストさえ受ければ卒業が認められるという特典がある。どうやら、ベルティナだけでなくブルーノも優秀だったようだ。
「ベルティナが養子縁組を済ませ、わたくしも生きていることをタビアーノ男爵家に隠す必要もなくなりましたら、執事長様と養子縁組をしていただくことになっておりました。今日、このような形ではありますが、そうなりましたので、近々その手続きをいたします」
ブルーノがやっと少しだけ笑顔になった。執事長は子爵で実力だけで執事長に抜擢された優れた人だ。だが、仕事の鬼すぎて婚期を逃し、後継がいなかった。それゆえ、尚更ブルーノを可愛がっていた。
「仕事は?」
「現在、王子殿下のお世話係を仰せつかっております。これからも、そちらを誠心誠意やらせていただく所存です」
「お兄様」
ベルティナはブルーノの手を握った。
「ベルティナ。タビアーノ男爵家はもうダメだろう。兄や姉はあの頃未成年だったからな。どうなるかはわからない。
私への殺人未遂が成立しなかったとしても、ティエポロ侯爵様の信用を失って他の州長様が施しを与えることはない。
だから、遅くとも来年には、妹と弟は王宮に引き取られ、私のように子供のいないまたは子供がすでに独立しているメイドや使用人の子供として育てられることになる。
だが、それは決して悪いことではないのだ。二人は貴族でなくなるから、学園には通えぬが、本人がやる気さえあれば勉強もさせてもらえるし、仕事も与えられる。
だから、ベルティナが気にすることは何もないのだ。お前にはいい縁があったのだろう?」
ベルティナの隣に座るエリオがベルティナの膝に手を置いてベルティナに頷いた。
「エリージオ王子殿下。わたくしたちは例え家名が別々になったとしても、わたくしにとってベルティナはかわいい妹なのです。
あの辛かった時、いつも隣にベルティナがいたから耐えられました。ベルティナを置いてあの家を出ると決心した後の約一年、泥水を啜って生きておりました。それでも、自分から死を選ばなかったのは、ベルティナを助けられるのは私だけだと、ベルティナを助けなければ、と思っていたからです。
どうか、どうか、ベルティナを幸せにしてやってください。お願いいたします」
ブルーノはテーブルに頭を擦り付けてエリオにお願いした。エリオは立ち上がってブルーノの隣までいきブルーノの背中に手を置いた。
「そなたのおかげで私は愛しい人と巡り会えた。そなたにはとても感謝している。ベルティナのことは任せてほしい。きっと幸せにする。そなたも息災であれ。それもベルティナの願いだぞ」
エリオも本物の救世主がブルーノであると思っていた。
「はい、はい! ありがとうございます。ありがとうございます」
ブルーノとベルティナは涙を流して頷いていた。
明日、完結いたします。
明後日より、『ランレーリオ&ロゼリンダ編』スタート!
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