20 夕日の丘
放課後。エリオが馬に乗って寮の前に迎えに来た。
「学園から一頭借りたんだ」
そう言うと、ベルティナに手を伸ばす。ベルティナはエリオの前に跨がった。夏休みに遠乗りしたので、二人とも乗馬ができることはわかっている。相乗りも初めてではない。
護衛が一人後ろについてくれている。
「じゃあ、行くよ。それっ!」
三十分ほどで着いたのは、以前来たストックの丘だった。馬車ではないので丘の上まで駆け上がる。エリオは先に降りるとベルティナに手を伸ばしてベルティナを降ろした。
「ちょうどいい時間だったね」
辺りは真っ赤に染められ始めていて、王都の端に夕日が向かっているところだった。
「わぁ! ステキ!」
ベルティナが二歩前出て、夕日を抱くように手を広げた。
「エリオ、覚えていてくれたの?」
エリオに振り返る。
「でも、私だけでよかったのかしら?」
「当たり前だろう。ベルティナと僕とでした約束なんだから」
エリオから見たベルティナは夕日を背に受けて光の女神のようだった。
「きれいだ……」
エリオの呟きはベルティナには届かなかった。
「え? そうだったの? 私ったらてっきりみんなとの約束だと。
ふふふ、エリオ。本当にありがとう。とてもキレイだわ」
ベルティナは、また夕日の方を見た。
エリオはベルティナの隣に立ちベルティナの手を握る。ベルティナは驚いたり嫌がったりしなかった。
「ベルティナ。お誕生日おめでとう。このプレゼントは喜んでもらえたかな?」
「ええ、とっても嬉しいプレゼントだわ。エリオ、ありがとう」
二人は視線を夕日に向けたまま、しばらくジッと眺めていた。
「それから……」
エリオがベルティナの後ろにまわり、首に細い鎖をかけた。ネックレスだ。サンゴのチャームがついている。
「ピッツォーネ王国では、サンゴは付けてる人を幸せにしてくれるって言われているんだよ」
「わぁ、かわいい。ありがとう!」
ベルティナがサンゴのチャームを見て顔をほころばせた。
「ベルティナ。僕は君が好きだ。これから先、何があっても君を離したくないんだ。どうか僕を信じてついてきてほしい」
「私はあなたを信じているわ。ふふ、理由なんて聞かないでね。私もあなたが好きです。友達としてではなく」
ベルティナはエリオにこうして返事ができるのは、自分が侯爵令嬢になれたからだと自覚していた。男爵令嬢であったならきっと断っていたであろう。ベルティナはティエポロ侯爵家のみんなに本当に感謝していた。
「この前は先に言われてしまってびっくりしたんだ。でも、友達って言われて、ちょっとショックだったんだよ。
ハハハ。いい返事がもらえてよかった! ベルティナ、大好きだ!」
エリオがベルティナを抱きしめた。ベルティナもエリオの背に腕をまわした。
エリオがゆっくりとベルティナを胸から離すと、エリオの知らないうちにベルティナが泣いていた。
「っ! ベルティナ?」
「ごめんなさい、エリオ。私、この間から、幸せ過ぎて、幸せ過ぎて、受け止めきれないの。なのに、手放したくないのよ。私って強欲だったのね」
ベルティナは涙が止まらないのに口元は笑顔になってしまう自分が止められなかった。
「そのぉ、その幸せの中に、僕は入っているのかな?」
エリオは自信なげに頭をかいている。
『チュッ』
エリオの頬に柔らかいものが触れた。エリオは少しだけ呆けていたが、すぐに笑顔が戻り、ベルティナをギュッと抱きしめた。
「ベルティナって、結構いたずらっ子なんだね?」
「あら? 知らなかったの?」
「これからも、もっといっぱい、ベルティナを知りたいな」
「私にもエリオを教えてね」
二人はもう一度並んで夕日を見た。ベルティナが夕日ではなく隣に立つエリオの横顔を見ていたことに、エリオは気がついていなかった。
『この人の隣にいたいわ』
ベルティナはエリオから夕日へ視線を移し、夕日にお願いをした。
二人は手を繋いだまま夕日に染まっている。
それから、夕日の下が王都に触った瞬間、『わぁ!』と二人同時に息を飲んだ。同じ感性であったことに目を合わせ、二人は笑い合った。
「まだ、夕日は沈みきらないけど帰ろう。三人が心配しちゃうからね」
「うん!」
エリオが伸ばした手を握り隣に並んで馬まで歩いた。二人の前に伸びる影も重なっていて、ベルティナは幸せな気持ちになった。
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寮へ戻ると、エリオがすぐに共同談話室で会おうという。そちらに行ってみると、いつもの三人がケーキと料理を並べて待っていてくれた。ベルティナは二回目の誕生日会もとても嬉しく幸せを感じていた。
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しかし、喜びもつかの間、ある日の放課後のことである。ベルティナとセリナージェが学園から寮へ戻る途中、不幸の元凶に呼び止められた。
「ベルティナ!」
怒鳴りながらドシドシと音がしそうな歩き方で近づいてきたのは、タビアーノ男爵、ベルティナの血の繋がった父親だった。
「お前! 親に許可も得ず、他人と養子縁組するとはどういうことだっ! こんのぉ! 裏切り者がぁっ!」
タビアーノ男爵は怒鳴り散らしながらベルティナの襟元を掴んで、ベルティナを数センチ持ち上げる。ベルティナは幼い頃襟元を掴まれ何度も何度も頬を叩かれたことがフラッシュバックして、震え上がってしまった。
「きゃー!! 助けてぇ!」
セリナージェの声に衛兵が即座に駆けつける。近くにいたエリオたちも駆けつけた。衛兵によってタビアーノ男爵とベルティナは引き離されたが、ベルティナはその場に頭を抱えて震えていた。タビアーノ男爵はずっと喚いている。
エリオたちは二人の間に立ちふさがり、セリナージェはベルティナを抱きしめてベルティナの耳を塞ぎ、ベルティナからタビアーノ男爵が見えないようにした。
ベルティナのこんな様子をみたのはあの湖以来だ。いや、湖の時以上だ。セリナージェはベルティナが幼少期に受けていた虐待がどれほどひどいものであったかを改めて知り、タビアーノ男爵に憎しみの目を向けた。
学園長が駆けつけて、タビアーノ男爵は学園長室に連れていかれた。そして、ティエポロ侯爵も王城から呼ばれることになった。
タビアーノ男爵が連れていかれたので、セリナージェは寮へ戻ろうとベルティナを立たせる。
「大丈夫ですか?」
一番に駆けつけてくれた衛兵が声をかけてきた。
「いやぁー!」
ベルティナが再び、しゃがみこんで頭を抱えて震えてしまった。衛兵はとてもびっくりしていた。エリオが衛兵に大丈夫だと言って下がってもらった。しばらくして、セリナージェがベルティナを抱くようにして女子寮へと入って行った。
セリナージェは三人に共同談話室で話をすることを約束して、ベルティナを部屋へと連れて行った。ベルティナは立つのもやっとで、ふらふらした足元をセリナージェが必死で支えていた。そこにロゼリンダがかけてきて、ベルティナの片方を支えた。二人でなんとかベルティナを部屋まで運んだ。
ロゼリンダは何も聞かず、でも悲しげに微笑んで、ベルティナの部屋をあとにした。
今のベルティナの目には何も映っていなかった。セリナージェはいつも自分が悲しんだ時や拗ねている時にベルティナがやってくれていたようにする。ベルティナに着替えをさせ、水を飲ませ、ベッドへと連れていき、ベルティナが寝るまでそばで手を握っていた。ベルティナは、まるで糸が切れたようにすぐに眠りについた。
〰️
共同談話室。
セリナージェは自分も先日姉たちから聞いたばかりで、実際にベルティナがおかしくなったのを見たのは、あの湖以来初めてだということを前置きして三人に説明した。
「タビアーノ男爵領で暮らしていたときには食事もまともじゃなくて、肋骨が見えるほど痩せていたそうなの。お姉様たちが始めて会った時には、ベルティナは目も落ち窪んでいたって、お姉様たちから聞いたわ」
『バン!』
エリオがテーブルを叩いた。
「そんな姿はっ! 浮浪孤児じゃないかっ!」
イルミネがエリオを抑える。
「暴力は毎日だったらしいわ。うちに来たときには、全身真っ青だったって聞いたわ。あまりの酷さに、私には会わせられないと家族が判断したの。別棟で三週間療養していたのですって。
だから、家族の中で、私だけがベルティナが虐待されていたって知らなかったの」
セリナージェは泣きそうなのを我慢して説明を続けた。クレメンティがそっと椅子を近づけてすぐ隣に座る。足と足が触れられる距離に来てくれた。人の温もりを感じると頑張れる。
「俺、ベルティナの明るさからそんなこと想像もしなかった」
「だが、あの震えている姿を見れば、セリナの言うことが本当だと誰でもわかる」
イルミネもクレメンティも沈痛な顔をしていた。
「私、初めてベルティナに会ったとき、すごく痩せている子だなぁっていうのと、すごく短い髪の子だなぁっていうことしか、わからなかったの」
「髪?」
エリオが訝しむ。
「ええ、まるで男の子みたいに短くしていたの。髪に泥がこびりついて取れなくて散切り髪にされたのですって。それをうちで整えたからとても短かったの」
「か…み………?女の子の命じゃないのか?……」
イルミネがショックを受けていた。
「私、ベルティナと出会って、初等学校をやめて家庭教師になったのね。あれって、ベルティナの髪をうちの両親が気にしたからなのね。今更気がついたわ。友達として最低ね」
セリナージェがポロリと涙をこぼした。
「それは違うぞ、セリナ。君のご両親は、君にベルティナの純粋な友達であってほしかったのではないかな。だから、内緒にしていたのだろう?」
クレメンティがセリナの背を擦った。
「さっきのベルティナ……胸倉を掴まれた瞬間にベルティナの様子が激変したわ。きっと、そうやって、何度も何度も殴られてきたのよ」
セリナージェはその様子を想像してブルッと震えた。クレメンティがセリナージェの手を握る。セリナージェがクレメンティを見ると、クレメンティも悲しそうな瞳をしていた。
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