19 夢
前回前前回のお話が虐待シーンであったため、読めなかった方へのあらすじ。
ティエポロ侯爵はベルティナの十八歳の誕生日にティエポロ侯爵家の養子になるように勧めた。それはベルティナが幼少期に実の家族から虐待を受けていたからだった。
ベルティナと、ベルティナのすぐ上の兄ブルーノは、父母兄姉、使用人から虐待を受けていた。
それを心配した初等学校の教師が内緒でパンをくれていたことでなんとか生きてきた。
しかし、初等学校を終えたブルーノは、学園までの3年間生かされている保証はないと、家出を決意する。二人の体力を考え、ブルーノは泣く泣く一人で家出をすることにした。
そして、ベルティナ11歳のとき、タビアーノ男爵家の州都の屋敷に現れたティエポロ侯爵によって、ベルティナは助け出されたのだった。
ティエポロ侯爵はその教師をすぐさま州都の初等学校の教師に任命し引き抜いた。
ティエポロ侯爵の心配は的中していた。
その教師がブルーノとベルティナを助けていたことが、ベルティナがタビアーノ男爵領を出てから半年以上もしてから発覚し、その教師は大幅減俸された上、小屋のような住まいにさせられていた。ティエポロ侯爵がベルティナを指名したことはその教師が原因だと思われていたのだ。
一年ぶりに教師と再会したベルティナは痩せ細った教師に何度も謝りながら泣いた。教師はベルティナの元気な様子にとても喜んでいた。
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こうして、ベルティナは今でもティエポロ侯爵家に住み、タビアーノ男爵家の者とはすでに七年も何の連絡もとりあっていない。
それは、すべてティエポロ侯爵が望み、そう行動してくれてくれていたからであった。
とはいえ、タビアーノ男爵からもベルティナを心配するような手紙は一度も来ていない。
州都で侯爵家の隣にあるタビアーノ男爵家の屋敷はとうに売られおり、違う男爵家がすでに住んでいた。それからはタビアーノ男爵が州都に屋敷を持ったという話は聞かない。余裕がないのか、必要がないのか、そこまではわからない。
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ベルティナはティエポロ侯爵に養子縁組の話をされ、自分がタビアーノ家のことをすっかり忘れていたことに今更気がついた。
それだけ、以前と今では差が大きすぎて、ベルティナの精神上、普段は忘れていなければ正常でいられないような体験であったということだろう。
「妹と弟はどうしているかご存知ですか?」
思い出したくはないあの家の風景が頭に浮かび、ベルティナの声は震えた。確かに妹も弟も虐待には関知していない。だが、虐待をする母の腕や、ベルティナを蹴るメイドの背中にはいつも彼らがいた。それでも、聞かずにはいられなかった。
「ああ、時々、ジノベルトが見に行ってくれているんだ」
ジノベルト―セリナージェの兄―がベルティナを見て頷いた。
「ベルティナの妹も弟も元気だよ。虐待はされていない。
ベルティナには実は兄が二人いたそうだね。下の兄は行方不明だそうじゃないか。
実質、子供が二人いなくなったわけだから、タビアーノ家も楽になったのではないかな。または、君のことが父さんにバレて虐待ができなくなったか。
妹は中等学校には来てないけど初等学校では中ぐらいの成績だったそうだよ。弟は今初等学校で頑張っているよ」
ベルティナはポロポロと泣き出した。自分が逃げたことで妹や弟に虐待や暴力が向かなくて本当によかったと思えた。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
ベルティナは泣きながらお礼を言い続けた。ふと後ろからギュッと抱きしめられた。
「今まで何も知らなくてごめんね。
ベルティナ。私のお姉様になって。お願いよ」
セリナージェも泣いている。ジノベルト夫妻が、双子の姉たちが、お義父様が、お義母様が、抱き合うベルティナとセリナージェを笑顔で見つめていた。壁際には、執事長、メイド長はじめ、すべての使用人たちが並び、涙を流してくれていた。
『この暖かい家族が本物の家族になることができるなんてもう何もいらないわ』
ベルティナは心から思った。涙を拭き、書類を汚さないように注意を払い、しっかりと自分の名前を書いた。
『ベルティナ・タビアーノ。この名前を使うのはこれが最後だわ』
ベルティナは執事に下げられた書類を振り返ることなく、新しい家族に笑顔を向けた。セリナージェが首に抱きついた。
「ベルティナお姉様!」
「セリナったらくすぐったいわ。うふふ」
「我が家には双子ちゃんが二組ね」
夫人に優しい言葉に家族も使用人も笑顔になった。
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その日の夜、ベルティナはセリナージェのベッドにいた。
「セリナ。私、もう一つあなたに内緒にしていたことがあるの」
ベルティナは隣にいるセリナージェの方へと体を向けた。
セリナージェはガバリと、起き上がる
「え! 何? いなくなるって話じゃないわよね?」
不安そうな瞳でベルティナを見下ろした。
「ふふ、違うわ。あのね、私の夢の話なのだけど」
「うん」
セリナージェは再び横になり、ベルティナの方へと体を向けた。
「本当の私の夢は王城の文官になることではないのよ。
セリナの専属侍女になることが夢だったの。あなたがどこに嫁ごうとも、付いていくつもりだったのよ。あなたの姉になっても侍女にはなれるのかしら?」
「あ、あの、ベルティナ? それって、もし、私がピッツォーネ王国に嫁ぐことになっても、一緒に来てくれるってことかしら?」
セリナージェは目元まで布団を被り真っ赤になってチラチラとベルティナを見ている。
「ふふふ。セリナはそんなにレムのことが好きなのね。そうだわ! 私はレムの秘書になるわ。それならセリナの姉でも、セリナの家にいることに不思議はなくなるわよね?」
「ベルティナ。大好きよ!」
セリナージェはベッドの中でベルティナに抱きついた。
ベルティナは侯爵令嬢になるのだから、エリオの爵位が何であれ問題はなくなったということに気がついていなかった。
今日は幸せなことが多すぎて、考えることができなくなるくらいであったのだ。
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いつもの芝生で五人はランチをしていた。もう、クレメンティたち三人を追いかけたり、五人が一緒にいることに陰口を言う者はいないだろう。だが、五人にとってここの居心地がとてもよかったのでここをずっと使っていた。確かに陰口はなくとも注目されている五人なので、食堂室は落ち着かないだろう。
今では学食に並ぶのも交代でやっている。
そこに少しだけ強めの風が吹いた。セリナージェとベルティナはブルッと震えた。
「そろそろ、ここでのランチも終わりね。ずいぶんと寒くなってきたもの」
セリナージェは襟元を整えた。イルミネが頬張っていたサンドイッチを飲み込んだ。
「そうだね。二人は、寒くなったら今まではどうしていたの?」
「学食で食べていたわよ。メニューはかわらないけど」
ベルティナも袖を直して風対策をした。
「なら、教室で食べることにするのはどうだい?」
寒さなど感じていないような大きな体でクレメンティが提案する。クラスメイトならもう五人に慣れているので意味なく注目することはない。
「それなら、今と変わらないね。じゃあ、明日からそうしよう」
クレメンティの意見にエリオが賛成して、そうなることに決まった。
「レディたちに風邪をひかせるわけにはいかないからね」
エリオのまるで役者のセリフのような言葉に、みんな吹き出して笑う。
「あ! そうだわ! ねぇ、レム。あなたには専属秘書とかいるの?」
ベルティナの突然の質問にクレメンティがむせた。
「コホコホ! え? なんだい突然?!
いや、まだいないよ。でも、あちらに戻ったら雇うことになるだろうな。どうして?」
「もし、よかったら、私を秘書として雇ってくれないかしら?」
ベルティナはとびきりの笑顔でクレメンティにお願いした。クレメンティもイルミネも目をまん丸にした。エリオは大変むせさせた。
「ゴホゴホゴホ! それは、それは、ダメだ!」
エリオは喉につまらせながらも少し大きな声で止めてしまった。エリオのあまりの勢いに今度はベルティナとセリナージェが目をまん丸にした。イルミネはエリオとベルティナの顔を交互に見ると、我慢できないとばかりに笑い出した。
エリオは頭をかきながら必死に言い訳をした。
「あ、ごめん。あー、なんだそのぉ。まだ何もハッキリしてないだろう? それじゃあ、ベルティナがレムにセリナと結婚しろって言ってるみたいだし、ね?」
エリオの必死な言い訳は的を射ていた。
「「「え?!」」」
クレメンティとセリナージェとベルティナが真っ赤になった。確かにまだクレメンティとセリナージェは婚約もしていない。イルミネはシートに横になるほどお腹を抱えて笑っていた。それはいつものことなのでみんなはスルーしている。
「そ、そうね。私が急ぎすぎたわ。ごめんなさい」
ベルティナはハンカチを取り出し自分の汗を拭いた。目は泳ぎ慌てていて頬を紅潮させている。ベルティナも失言であったと理解したのだ。
「コホン! いや、ベルティナの気持ちはわかったよ。うん!」
クレメンティは口角があがったままだ。ベルティナが一人でクレメンティの専属秘書になると考えるなんてありえない。それには必ずセリナージェがいる。つまり、セリナージェは将来をクレメンティと一緒にいるということを、少なくともベルティナとは話をしてくれたということだ。
クレメンティは、今まで見たことがないほどだらしない顔だ。
セリナージェはそれを見て、気持ちがバレてしまったことを察した。そして、それをクレメンティが嫌がっていないことに、嬉しくて恥ずかしくて、顔を赤くして俯いた。
クレメンティがセリナージェを見たことに気がついたセリナージェは上目遣いでクレメンティを見る。クレメンティはセリナージェの可愛らしさに真っ赤になってアワアワとしだした。
イルミネの笑いは最高潮に達していた。
「イル! いつまで笑ってるつもりだっ!」
エリオが笑って転げまわっているイルミネを怒った。エリオもエリオで頬を染めているので、あまり怖くはない。
しばらくしてやっとイルミネが落ち着いた。
「ああ、ごめんごめん。腹もいっぱいだし、先に教室戻るわ。レム、セリナ、行こう!」
「ああ。セリナ」
クレメンティがセリナージェに手を差し伸べて立ち上がらせる。この光景も普通になった。でも、今日は二人とも顔が紅く、立ち上がったセリナージェはいつもよりクレメンティに近いような気がする。イルミネを先頭に、クレメンティがセリナージェの手をとったまま校舎へと戻っていった。
なぜか、三人がいなくなってしまった。いつもならセリナージェが立つタイミングで、エリオがベルティナに手を差し伸べてくれるのだ。今日はそのエリオがまだ隣に座っている。
ベルティナはこの状況が不思議だった。でも、嫌ではなかった。
「ベルティナ。今日の放課後なんだけど、時間は空いているかな? ちょっと付き合ってもらいたいところがあるんだけど」
エリオは少し視線を下げて頭をかいていた。
「ええ。時間は空いてるけど」
「本当に? よかった! じゃあ、放課後に乗馬服を着て寮の前にいてくれる?」
ベルティナの目を見て真剣に誘う。
「わかったわ」
ベルティナは何があるのかわからないけれどエリオからの誘いが嬉しくて自然に笑顔になってしまった。
「よろしくね。僕らも行こう」
エリオが笑顔でベルティナに手を差し伸べた。ベルティナはその手にそっと手を乗せた。
クライマックスに近付いてまいりました。
あと、5〜7話ほどで終わる予定です。
ファイナルまで、是非お付き合いくださいませ。
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