15 対決
気がつくとお昼に近かった。エリオに言われてベルティナはセリナージェを部屋へと送ることになった。
ベルティナはセリナージェを部屋の前まで送る。セリナージェは共同談話室へ行く前と違って、目を見て話せるようになっていた。
「ベルティナ。ありがとう。あなたの言うように、レムの話を聞いてから考えればよかったわ。先走って、すごく嫌な気持ちになっちゃっていたわ」
セリナージェはまだ少し腫れぼったい顔で、でも、かわいい舌をペロッと出してお茶目に笑った。
「でも、今日は教室へ行ける顔じゃないから休むわね。夕食には誘ってくれる?」
セリナージェは可愛らしく上目遣いで、肩を少しあげて、小首を傾げてお願いする。幼い頃からこのお願いをベルティナが聞かなかったことは一度もない。
「もちろんよ。じゃあ、また後でね」
ベルティナはセリナージェをギュッと抱きしめた。ベルティナが寮の廊下の角を曲がるまでセリナージェは手を振ってくれていた。ベルティナは隣にセリナージェがいなくても気持ちは一緒に歩いているような気がして、朝よりもずっと軽快に学園への道を歩けている。
ベルティナが女子寮を出るとエリオとクレメンティが待っていてくれた。クレメンティの目には怒りが戻っている。エリオの目にも笑いはなかった。ベルティナは二人を頼もしいと感じた。
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昼休みになってすぐに教室へ入る。朝の通り昨日までベルティナたちがいた席にロゼリンダたちがいた。クレメンティを目ざとく見つけたロゼリンダが席を立ち上がった。
「クレメンティ様。心配しておりましたのよ。具合でもお悪いのですか? わたくしの家の王都のかかりつけ医をお呼びしましょう」
ロゼリンダの美しい顔は本当に心配しているように少しだけ歪ませていた。ベルティナはロゼリンダの気持ちが見えず戸惑った。
朝のクレメンティは確実にベルティナのために授業に出なかった。間接的にはセリナージェのためなのだが。それを知っているはずなのにおくびにも出さずに体調を心配しているのだ。
「いや。とても元気だよ。ただ、とても困ったことになってね」
クレメンティが鋭い目付きで口角だけ上げた。そして、自分の席へと行き、立ったまま後ろを向いてロゼリンダと対峙する形になった。エリオも自分の席の椅子のところに立ち、クレメンティとエリオの間にイルミネとベルティナが立った。
ロゼリンダの方にはフィオレラとジョミーナがロゼリンダの左右に立っている。
「困ったこと? まさか、ベルティナ様に何か言われたのですか?」
ロゼリンダが眼力を変えてクレメンティからベルティナへと視線を移した。
「ベルティナ様。いくらセリナージェ様とお仲がよろしくても、婚約者のいる者に手を出すことをお認めになってはいけませんわ」
ロゼリンダは一人で勝手に結論を出して、エリオの後ろにいるベルティナを軽く睨んだ。エリオは怒りを感じたが、イルミネがすぐに上着の裾を引いた。ここでの主役はあくまでもクレメンティであるべきだ。エリオもすぐに怒りを顔の奥に押さえた。収まったわけではない。
「誰に婚約者がいるのかな? 僕はロゼリンダ嬢との婚約話はキチンとお断りしたよ。ピッツォーネ王国からだと連絡が遅くなっているのかもしれないね」
背の高いクレメンティは見下ろすようにロゼリンダを睨む。
「それにしても、確定もしてない話で僕の大切な女性を傷つけるのはやめてもらいたいな。セリナージェに嘘の話をして彼女の心を乱すようなまねをするのは今後一切やめていただきたい」
クレメンティはみんなの前で『クレメンティにとってセリナージェが大切な女性である』と堂々と宣言した。
ロゼリンダは拳をギュッと握った。
「なんですって!? わたくしを嘘つき呼ばわりなさるおつもりですの?」
ロゼリンダは公爵令嬢として育てられているので怒鳴ったりはしない。でも、屈辱とばかりに少しだけ声を荒げていた。
「違うのかな?」
クレメンティはわざと下卑た笑い方をしてさらに煽る。エリオとイルミネはクレメンティがこんな腹芸のようなこともできることに心の中で驚いた。クレメンティにとっては公爵子息として習ってきたことだが、エリオとイルミネの前で使う必要がなかっただけだ。
「婚約は家同士の話ですのよ。それをあなたの気持ちがどうのという問題ではありませんでしょう!」
ロゼリンダは震える口調であった。こちらは習っているはずのポーカーフェイスが落ちかけていた。ロゼリンダにいつもの余裕を感じない。
「家? セリナージェは侯爵家だ。家としても何の問題もないだろう?
それとも君は公爵家なら何をしても許されると勘違いしているのかい?」
「勘違いっ? わたくしのわがままで貴方との婚約話になっているとは思わないでいただきたいわ。あくまでも家格の釣り合いとして、侯爵より公爵がいいだろうというお話よ」
「残念だけど、僕の両親は家格より僕の気持ちを優先してくれるよ。
それに、もし僕の気持ちが優先されないのであれば僕は爵位を継がない。爵位を弟に譲り、文官として生きていくさ。
これでも伝手も能力もあってね。文官としてでも困らない地位はすでに約束されているんだ」
クレメンティは自慢気にニヤリと笑った。これも腹芸の一つだろう。
エリオは『もし』という前提だったし、クレメンティの両親がセリナージェのことを反対するとは思えなかったので、今回は『爵位を継がない』というクレメンティの言葉を止めなかった。
「そういう意味では、セリナージェを妻として迎えることに家は問題にはならないよ」
クレメンティの鼻を少し上げ見下すような視線に、ロゼリンダは屈辱感を味わっていた。
ロゼリンダには爵位を簡単に捨てられる物のように言い切ったクレメンティが信じられなかった。
「そんなことできるわけ……」
今まで、ロゼリンダが気にして気にして止まなかった爵位。クレメンティはそれをまるで『おまけ』として付いているもののように言う。
ロゼリンダがワナワナと震えながら言葉を紡ごうとして口を開いた。
「ロゼ、もうやめるんだ!」
ロゼリンダの言葉より先に、一層大きな声が教室に響いた。
声をかけてきたのはランレーリオ・デラセーガ公爵子息だった。彼はずっとクレメンティたちの後ろでこの様子を見ていた。
「レオには関係ありませんわ。口出ししないでくださいませ!」
ロゼリンダが横から口出しをしたランレーリオを睨む。この二人が愛称で呼び合う仲であることなど誰も知らなかった。しかし、それをこの場で指摘できる者などいない。
「いや、関係あるよ……」
ランレーリオの前に道ができ、ランレーリオはクレメンティとロゼリンダの前まで出てきた。
「僕はクレメンティ君の話を聞いて目から鱗だったよ。僕がこの考えに気がついていれば、ロゼをこんなに苦しめなかったのに。ごめんね」
ランレーリオは、ロゼリンダだけを見て、『ごめんね』と呟いていた。ランレーリオの瞳は潤み本当に悔いているようだった。
「レオには関係ないと申し上げておりますでしょう!
わたくしは地位に見合った殿方と婚姻せねばならないのです。それが、公爵家に生まれ公爵令嬢として生きてきたわたくしの義務ですのよっ!
あなたにわたくしの苦しみなどわかるはずがありせんわっ!」
大人たちがいたら、淑女らしからぬとロゼリンダは叱られていたかもしれない。それほど、今までのロゼリンダにはありえないほど興奮しており声も大きかった。しかし、それがロゼリンダの本当の悲しみだとみんなに伝わることに繋がった。
スピラリニ王国には、公爵家二家侯爵家五家しかいない。伯爵家も十三だ。王家と侯爵家には同世代で婚約者のいない男子は現在のところいない。
そして問題はアイマーロ公爵家―ロゼリンダの家―とデラセーガ公爵家―ランレーリオの家―は祖父同士の仲が芳しくないということであった。
それゆえ、公爵令嬢であるロゼリンダの嫁ぎ先は難しく、二十歳も上の侯爵家の後妻などという噂もあったほどである。噂でなく本当に釣書は届いている。
ロゼリンダの苦しそうな顔にランレーリオは悲しくなった。そして、自分が守るべき者をここまで苦しめていたことに今更気が付き、自分を心で罵った。
『反省は後だ。今はロゼを守りたい!』
ランレーリオは心を決めた。
「ロゼ。宰相の妻であればふさわしい地位といえるだろう?
お祖父様が僕たちのことを反対されるなら、僕は爵位はいらないさっ。だけど、君を得るために宰相には必ずなる」
いつも優しげに笑っているランレーリオの決意を込めた瞳はみんなにも伝わった。
「爵位は弟に譲り、公爵家の分家として領地を統べず、王都で暮せばいい。
ロゼ。どうか僕を支えてほしい。僕が安らげるのは君の隣だから」
ランレーリオの突然の告白にクラスの全員が黙った。ランレーリオとロゼリンダがそのような気持ちであったことに気づいている者はいなかったのだ。
ロゼリンダはランレーリオを見てハラハラと涙を流ししばらく停止していた。その涙がロゼリンダの手に触れた時、ロゼリンダはやっと自分がみんなの前で泣いていることに気がついた。それは恥であると淑女教育をされているロゼリンダは、慌てて一人で外へと出て行ってしまった。ランレーリオが追いかけた。
みんなの視線は見えない廊下の向こうへと飛んでいた。
しばらくの沈黙の後、それをイルミネが打破する。
「なんだか、みんなランチを逃しそうだね。俺、先生に説明して午後の授業を遅らせてもらってくるよ」
イルミネはすぐに出ていった。みんな各々に話をしている。エリオはイルミネの席にベルティナを座らせた。クレメンティもエリオも自分の席に座る。フィオレラとジョミーナは、窓側の席へと移動していた。
「ロゼリンダ嬢にも理由があったんだね。少し悪いことしてしまったかな」
クレメンティがバツが悪そうに顔を歪めた。
「いや。それでも、レムやセリナの気持ちを無視した行動をしたことは事実だよ。それにこの国のシステムを考えれば、自己州内の子爵家なら、嫁ぎ先としては当然あったはずだ。彼女のプライドがこの問題となった理由であることは皆無でないだろう」
ベルティナはエリオの冷静な分析に感心した。ベルティナ自身はロゼリンダの訴えに思いは流されてしまっていたのだ。
「エリオって本当にすごいのね」
「ベルティナ? 何? 何か言ったかい?」
「な、何でもないの」
ベルティナの呟きはエリオには届いていなかったようだ。ベルティナは聞き返されて慌てて否定したが、先程の談話室でのことも思い出し、少しだけ頬に熱を感じていた。
イルミネのお陰で遅めのランチをとれることとなり、みんなで学食でランチをとった。先生の先導で教室へ戻る。
ランレーリオとロゼリンダは、学食にも教室にも現れなかった。
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