14 告白
教室の後ろの扉から窓際の席に向かってベルティナが一歩歩き始めた。
その時ギュッと右手首が掴まれた。ベルティナは感情の起伏なくゆっくりと振り返る。それは辛そうな顔をしたエリオだった。ベルティナは何も目に入らない無機質な目でエリオを見ているようで見ていない。エリオはそんなベルティナの表情を見てさらに悲しく辛くなった。しかしフッと息をつくとすぐに精悍な表情に変える。
「イルミネ。僕とクレメンティとセリナージェとベルティナは午前中の授業を休む。さらに遅れるようなら臨機応変に頼んだよ。
クレメンティ。お前は僕と来るんだ」
エリオは二人に指示を出すと、ベルティナの手を繋ぎ直しずんずんと引っ張っていった。
「「は、はいっ!」」
クレメンティとイルミネは数拍遅れて気がついて返事をした。クレメンティは急いでエリオを追う。
エリオのいつもと違う口調にクラス中が驚いた。だがエリオの威厳ある態度についてイルミネに聞ける者はおらず、ロゼリンダでさえも口をつぐんだ。
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エリオがベルティナを引っ張ってきたのはいつものランチの場所であった。
エリオがハンカチを取り出し芝生に敷いてくれる。
「どうぞ」
笑顔で導くエリオにベルティナは素直にしたがった。
座った途端ベルティナの目から涙が溢れた。ベルティナもセリナージェの気持ちを思うと泣きたくてしかたなかったのだ。でもセリナージェの隣で泣くわけにはいかない。
そう思って我慢していたが、エリオの優しさに耐えられなくなってしまった。エリオがベルティナの隣に座って背中にふれていてくれた。エリオとクレメンティはベルティナが落ち着くまでジッと待っていた。
ベルティナが涙が止まった頃、エリオがベルティナの顔を覗き込んで優しく問いかけた。
「何があったの?」
ベルティナは、エリオの顔を見てから、クレメンティの顔をチラリと見た。そして、すぐに視線を下に逸してしまう。そんなベルティナの態度にクレメンティは首を傾げている。
「ベルティナ。今思っていることをそのまま言ってごらん。バラバラでも意味がわからなくても構わない。僕がきちんと君を導くよ」
エリオは微笑んだまま優しい口調で声をかけた。
「レム。ふ、ふぅ。
セリナは今とても傷ついているわ。はっ、はぁ。
だから、もう、セリナに近づくのはやめてほしいの。ふぅ」
下を向いたまま一生懸命落ち着こうとしているベルティナは、大きく息を吐きながらなんとか言葉を紡いだ。そうしなければまた涙が溢れてきそうなのだ。
「なっ! 何を言ってるんだい、ベルティナ? 昨日まで、僕たちを応援してくれていたんじゃないのかい?!」
ベルティナはクレメンティの大きな声にビクッとして、膝にあった手をギュッと握りしめ肩を小さくした。
エリオは興奮したクレメンティを手で制してクレメンティに向かって小さく首を振った。そして、ベルティナの顔を覗き込むように姿勢を低くした。
「ねぇ、ベルティナ? レムを応援してくれていただろう?」
エリオの口調はゆっくりでどこまでも優しい。
「もちろんよ! もちろん、していたわっ! でも、でも、それは、セリナが傷つかないことが大前提よ。私はレムよりセリナを優先するわ」
やっとベルティナが顔をあげて訴えた。エリオはベルティナと目が合ったことで、話がキチンとできそうだと判断した。
エリオはベルティナの背にあった手を少し上げてベルティナの頭を撫でた。
「それは、当然さ。君たちはまるで姉妹のように、家族のように、仲良しなのだから」
頭を撫でながら優しく言葉が紡がれる。
「そうよ! でも私……。私はレムがこんなことをできる人だなんて思わなかったの。それも知らずに応援していたなんてっ! 私もレムと同罪だわ! 私がセリナを傷つけたのよ! 私が悪いの!」
ベルティナはまた下を向いて、頭を左右に何度も振り自分を虐げた。
「ベルティナ!! そんな! 僕が何をしたんだ? お願いだ。ちゃんと教えてくれっ!」
ベルティナはまたしても泣き出す。クレメンティは何を言われているのかわからず慌てていて、ベルティナを急かす。
「レムは公爵様ですものね。レムのご両親はきっと公爵家をお選びになるわ。貴族だもの。それは当たり前だわ。だけど、だけど、それならセリナがレムを好きになる前にっ。そうよ! 最初から公爵家を選べばよかったのではないの? 傷つけてからなんて、ひどいわっ!」
「爵位が問題なのかっ!? それなら、僕はっ!」
エリオがクレメンティの続く言葉を手で制した。クレメンティは言おうとしたことを飲み込んだ。
『爵位を捨てることも厭わない』クレメンティの本音であるが、軽々しく言っていいものではない。
「ベルティナもクレメンティも落ち着いて」
エリオが2人の顔を優しい瞳で目尻を下げて交互に見つめた。
「ベルティナ。事態が正確にわかっていないときには、自分を責めてはいけないよ。君が何においても一生懸命に取り組んでいることも、セリナを大切に思っていることも、僕たちはわかっている」
エリオがベルティナの頭をなでながら、もう片方の手はベルティナの手と重ね、顔を覗き込んだ。ベルティナはエリオと目が合うと落ち着くようで、手を裏返してエリオの手をギュッと握った。
エリオはクレメンティに向き直った。
「レム。こういう時に急ぐのはよくないよ。レムの不安な気持ちはわかる。だからこそ、ちゃんと把握できるようにしよう。な」
エリオはベルティナの手を握っていた手をクレメンティの肩にそっとおいた。
クレメンティが目を伏せて頷いた。
「ねぇ、ベルティナ。今日のこの事態には、ロゼリンダ嬢たちが絡んでいるんだね? でないとあの席は考えられないよね?」
エリオはロゼリンダたちが一言もなくエリオたちの後ろに座ったことが当然気になる。
優しく声をかけ続けベルティナを導いていく。ベルティナは頷く。
「ベルティナ。ゆっくりでいいんだ。何があったのかを話してみて……」
ベルティナは途切れ途切れに昨夜の話をした。セリナージェの気持ちを考えると涙が止まらずうまく話せない。それでも、エリオとクレメンティは辛抱強く聞いてくれた。
ベルティナが気がついたときにはクレメンティの顔は真っ赤で目には怒りが表れていた。
『ドン!』
クレメンティが地面を拳で殴りつけた。
「レム。お前も落ち着いて、キチンとベルティナに説明したほうがいい。
いや、こうなったら、セリナも一緒に話をしよう。
ベルティナ。寮の共同談話室にセリナを連れてきてくれるかい?」
ベルティナは頷く。三人は寮へと戻ることにした。
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ベルティナは朝と打って変わってセリナージェの部屋に入り込み、嫌がるセリナージェにフード付きのローブを被せ、無理やり部屋の外へと出した。そして、エリオとクレメンティが待つ共同談話室へとセリナージェを引っ張ってきた。
談話室に入るとクレメンティがこちらに来ようと立ち上がったが、エリオが押さえた。エリオたちが待つテーブルへと進み、セリナージェをクレメンティの隣へ座らせる。
「セリナ、大丈夫かい? レムから話があるから、聞いてほしい。何も言わなくていいからね」
エリオの言葉にセリナージェは小さく頷く。フードを深く被っているので顔は見えない。
「セリナ。嫌な思いをさせて済まない。実は、夏休みにティエポロ領から学生寮へ戻ってくると、ピッツォーネ王国の両親から手紙がきていたんだ。それには、僕とロゼリンダ嬢の婚約話があると書かれていたよ」
セリナージェの肩が大きく揺れた。ベルティナはセリナージェの手をギュッと握った。セリナージェも握り返してきた。セリナージェも心を強くして聞かなくてはならないのだと覚悟したのだろう。そして、その時にはベルティナに側にいてほしいと願ったのだ。
「でもね、両親からの手紙は僕の気持ちを聞いてくれる内容だったんだよ。だから、僕は好きな女性がいるからロゼリンダ嬢との婚約話を断ることを書いて、両親にすぐに返信をした。
ティエポロ領から戻ってすぐに書いたんだけど、まだ両親には届いてないかもしれないな。だけど、僕の両親は僕の気持ちを無視して話を進めるような人たちじゃない。
それに、僕の気持ちはもう決まっている」
エリオは立ち上がりベルティナの手をとり離れたテーブルへ移った。クレメンティが椅子をセリナージェの近くに寄せ、背中を擦りながらセリナージェの耳元で話をしているのが見える。
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「ベルティナ。よくセリナを連れてきてくれたね。大変だったろう? ありがとう」
エリオはベルティナの手を握ったまま、もう片方の手でベルティナの頭をナデナデして、ベルティナを優しく見つめた。
「え? あ、そうね……」
ベルティナはエリオのその暖かな両手の温度を全身で感じて、少しポッーとエリオを見つめて考え事をしていた。
ベルティナは朝には一人ではできなかったことを、セリナージェにした自分に驚いている。それをできた理由をホワホワした頭で考えていた。
「本当に助かったよ。レムから両親の手紙については聞いていたんだ。はっきりしたことは何もないのに、君たちに伝わるなんて思ってなくて。後手にまわってしまってすまなかったね」
少し下を向いてそう説明するエリオの声をベルティナは上の空で聞いていた。だが、エリオの両手がベルティナの手をすっぽりと包んでいて、とても暖かくて、その暖かさだけは、鮮明に感じていた
『なぜあんな無茶ができたんだろう?
……そうだ、私、エリオのことを信頼しているのだわ。エリオが連れてきてほしいと言うから、任せても大丈夫って思ったのよ。
エリオはいつでも私を支えてくれているのね。この暖かな手を私は信じているわ』
そう思ったベルティナはまるで当たり前のように言葉にしていた。
「私、エリオが好きみたい。あなたのことをとても信頼しているの」
二人の間に沈黙が流れる。
そして、先に我に返りベルティナの突然の告白に慌てたのはエリオであった。我に返ったのに『アワアワ』としていて何も答えない。
ベルティナはそんなエリオを見て、告白してしまった自分にびっくりしてしまった。
「エ、エリオっ! 友達としてってことよ。今日もセリナを助けてくれたし、頼りになるなぁって思って。あまり深く考えないで」
「あ、そうか。そ、そうだよね。うん、わかった。信頼してくれてありがとう」
ベルティナは自分で友達だと言ったくせに、エリオにそれを認める発言をされて心のどこかでがっかりしていた。その気持ちが何を表すのかは、考えることをこれまた心のどこかで拒否していた。
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