13 婚約話
クレメンティとセリナージェの雰囲気が夏休み前よりいいことは、二学期初日から誰の目にもあきらかであった。決してベタベタしているわけではない。でも、すぐに目を合わせるし、距離も少し近くなった気がする。何よりも二人で笑っているときの、お互いを見つめる瞳が何にも増して物語っていた。
誰から見ても二人は幸せそうだった。
一学期にクレメンティを追っかけていた女子生徒たちは、早々にクレメンティを諦めた。そして、今度は『隣国美しい公爵令息と自国の可愛らしい侯爵令嬢の恋物語』を噂しては、憧れと羨望と希望と賛美とで『きゃあきゃあ』と喜んでいた。
確実に肩を落とした男子生徒もいた。セリナージェは侯爵家の三女なので、侯爵はセリナージェには婚約者も決めずに自由にさせている。侯爵家とお近づきになりたい上昇志向がある者やセリナージェのちょっとキツめの美人に好意を持っていた者は数多くいた。いつもベルティナとセリナージェが一緒であったことと、セリナージェ自身が大変優秀であったため男子生徒たちが躊躇していたことで今まで色恋話が出なかったのだ。
しかし、セリナージェはそんな男子生徒たちの様子などわからない。クレメンティもその手は疎いので気がついていなかった。そういうことに敏いイルミネがしっかりと『セリナージェを離さないように』とクレメンティに忠言していた。
クレメンティは更にセリナージェに近くなっていった。
もう誰も二人の間には入れないだろうと誰もが思った。
しかし、事件はすぐに起こった。
ベルティナとセリナージェが女子寮で夕食を食べているときだった。ロゼリンダとフィオレラとジョミーナが二人のところへやってくる。
「セリナージェ様。この後、お話がありますの。二階の談話室にお願いできますかしら?」
二階の談話室は女性専用となっている。セリナージェはそこへとロゼリンダに誘われた。ロゼリンダの後ろの二人は明らかに嘲る笑いをしている。
「? わかりました。ベルティナも一緒で構いませんか?」
セリナージェは断りたかったが断わる理由が浮かばなかった。せめて一人では行きたくないと、ベルティナ同行の許可をロゼリンダに求めた。
「構いませんわ。では、後ほど」
ロゼリンダはくるりと向きを変えて離れていくが、フィオレラとジョミーナは含み笑顔をしてベルティナへと視線を送っていった。
三人が食堂室から出ていく。
「ベルティナ。付き合わせてごめんね」
「何を言っているの? もし、セリナージェから言わなかったら私が言っていたわ。もちろん一緒に行くに決まっているじゃないの」
「ありがとう。それにしても一体なんなのかしら?」
「そうね……」
ベルティナはフィオレラとジョミーナの含み笑顔が気になっていた。
〰️
ベルティナとセリナージェが談話室へ行くと、三人はすでに座って待っていた。二人は空いている席に並んで座る。
「セリナージェ様。ベルティナ様。お時間をいただいてごめんなさいね。でも、これ以上放っておくことはセリナージェ様が悲しまれることになると、わたくし、心配でなりませんの」
ロゼリンダは本当に心配しているかのように眉尻を下げた。
「そういうのは今はいりません。何のご用件なのかはっきりしてください」
セリナージェは苛立ちを隠さない。ベルティナはテーブルの下でセリナージェの膝に手を置いた。
「現在、わたくしのアイマーロ公爵家とクレメンティ様のガットゥーゾ公爵家とで、話し合いが持たれておりますの」
ロゼリンダが少し鼻をあげて見下すようにベルティナとセリナージェを見た。
「それが? 何か?」
要領を得ぬ話し方にセリナージェはさらに苛立った。フィオレラとジョミーナはニヤニヤしてベルティナを見ている。ベルティナは嫌な予感がしてならない。
「話し合いの内容はクレメンティ様とわたくしとの婚約の日程について、ですのよ」
ベルティナもセリナージェもあまりの驚きで何の反応もできなかった。
「まあ! ロゼリンダ様! おめでとうございます!」
「ステキですわぁ! お二人は誰が見てもお似合いですもの。羨ましいですわぁ」
フィオレラとジョミーナが大袈裟に喜んでお祝いを紡ぐ。
「そんなこともありませんけど……」
ロゼリンダが手を口元に当てて口角をあげた。目線は下にして照れているようだ。
「ロゼリンダ様はこの頃ピッツ語のレッスンを始められたそうですわね」
「まあ! お相手のお国のお言葉をすぐに学ばれるとは、ロゼリンダ様は淑女の鏡ですわねぇ!」
2人の太鼓持ちはまだ続く。
「あちらへ嫁げば、当然必要になりますもの。夫を支えるのは妻の役目ですわ」
「「まあ! ステキ!」」
三人はさもクレメンティとロゼリンダが明日にでも結婚するかのように盛り上がっていた。
だんだんとロゼリンダの話を理解してきたセリナージェは無機質な目を下に向けていた。ベルティナはそんなセリナージェが心配でならない。セリナージェの膝に置いた手に力を入れて、セリナージェにベルティナ自身の存在を知らせる。だが、セリナージェはそれに反応はしない。
「とにかく。そういうことでございますので、これ以上セリナージェ様にはクレメンティ様にお近づきにならないでいただきたいの。
よろしいかしら?」
ロゼリンダはセリナージェの様子がおかしいのは承知の上で確認してきた。
セリナージェは俯いたまま動かない。
「そうだわ! クラスのお席も変わっていただいたらいかがかしら?」
「まあ! フィオレラ様それはよろしいですわね。明日から早速そういたしましょう」
「セリナージェ様。お席をお譲りいただいてもよろしいかしら」
フィオレラとジョミーナは執拗に追い打ちをかけてきた。席はこの話とは別問題。何の理由にもないはずなのに。
『カタン!』
セリナージェが立ち上がった。
「ご自由になさってください! わたくしは、これで失礼いたしますわっ!」
セリナージェは足早に談話室を離れた。ベルティナも急いでセリナージェを追いかける。
「セリナ! 待って! 早まってはダメよ。レム本人に聞いて見ましょう。それから考えましょう。今は考えない方がいいわ。
お願いよ、セリナ」
ベルティナはセリナージェの隣に並んで歩き時々腕を揺らしながら説得する。セリナージェは足早に廊下を進み返事をしない。
セリナージェの部屋の前に着くまでベルティナは説得し続けた。セリナージェがやっと返事をした。
「わかってるわ、ベルティナ。私は大丈夫よ。ごめんね。私、疲れているみたいなの。先に休むわね。おやすみなさい」
セリナージェは少し下を向いたままベルティナと目を合わせることなく部屋に入ってしまった。
ベルティナは目の前で閉められたドアの前でしばらく呆然としていた。『コツン』とセリナージェの部屋のドアに額をぶつけて、ドアに寄りかかった。今のセリナージェに届く言葉が自分になくことにとてもショックを受けている。
『私って大事な時に無力なのね……』
ベルティナの頬には一筋の涙が溢れた。
〰️
翌朝、ベルティナはセリナージェの部屋に声をかけたがなかなか返事がない。それでも何度もノックして何度も声をかけた。やっと返事はもらえたが今日は休みたいと言う。ベルティナは寮の食堂から飲み物とフルーツとスープを持って、セリナージェの部屋を再び訪れた。
「セリナ。飲み物だけでもとった方がいいわ。お願いよ。受け取って」
ベルティナはゆっくりと優しくドア越しにセリナージェへと声をかけた。ベルティナが待っているとドアがそっと少しだけ開いた。
ドアの向こうに顔を見せたセリナージェは泣き腫らした顔をしていた。予想通りの姿にベルティナも心をギュッと握られた気持ちになり悲しくてしかたがない。ベルティナはお盆を受け取ったセリナージェの頬を優しくなでた。
「先生に今日はおやすみするって伝えておくわね。ゆっくり休んだ方がいいわ。フルーツかスープを口にしてね」
セリナージェが小さく頷いてくれたのでベルティナは少しだけ安心した。手の甲でもう一度そっと頬をなでた。それでもセリナージェの目線があがることはなく、ベルティナはセリナージェと目を合わせることができなかった。
セリナージェが部屋の奥にいくとドアが自然にそっと閉まる。ベルティナはそのドアを寂しそうに見てからその場を後にした。
ベルティナにはセリナージェを無理やり引きずり出して、学園に行かせることなどできそうにもなかった…………。
〰️ 〰️ 〰️
ベルティナは隣にセリナージェがいないまま、学園の教室へと向かっていた。朝のこの時間にこの道を一人で歩いたのは、入学して以来初めてのことだった。
一人で歩いていると足がなかなか進まない。何度も立ち止まり我に返って足を運ぶ。
セリナージェに食べ物を届けたり、足が教室に向かなかったり、そうこうしているうちに時間は遅くなってしまい、いつもは玄関に待っているはずのクレメンティたちはすでにそこにはいなかった。
ベルティナがトボトボと学園の廊下を歩きやっと教室についたときには、窓側の昨日までロゼリンダたちがいた席しか空いていなかった。ベルティナはそこへ座るしかないのだろうと俯いたまま歩き出す。
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