洞窟
夜、鹿は大きな洞窟を見つけた。
水晶やらエメラルドやらといった宝石が岩壁の至る所に埋め込まれ、その宝石の一つ一つが月明かりに反射して瞬いている。
それは自分が何者か忘れてしまいそうになるほど美しい光景だった。
そうだ。ここなら死ぬにはぴったりだ。
そう思い更に奥深くに進もうとしたとき、鹿の目の前に逆さ吊りになった一羽のコウモリが現れた。
「やいやい! クソジカ! どこに行こうとしてやがる!」
キンキンとした耳障りな声が洞窟中に響き渡る。
「やぁ、コウモリさん。どこってこの洞窟の奥さ。こんな綺麗な場所で死ぬのがぼくの夢なんだ。邪魔しないでよ」
コウモリの声があまりにも煩いので、鹿は両耳を半分に折りたたみながら答えた。
するとコウモリは呆れたように「やっぱり地に足つけた連中はバカばかりだ」と呟いた後、鹿の耳元に飛び寄ってくると再び叫んだ。
「二つ教えてやる! よく聞け! まず一つ、ここは洞窟じゃなくて俺っちの家だ! そして二つ、てめぇみたいな弱い動物にこの場所で死ぬ権利はねぇ!」
そう言ってコウモリはシッシッというように翼をはためかせてみせた。
「ちょっと待ってよ。君の家に勝手に入った事は謝るけど、弱いから死ぬ権利は無いってどういうことだい?」
シカがそう聞くとコウモリは面倒臭そうに溜息を吐いた後、手近な壁に埋め込まれたルビーを翼で指し示しながら教えてくれた。
「いいか、この宝石の一つ一つが嘗てこの森で強く生きた方々の命の結晶なんだ。生涯に一片の悔いほど強く生きた方々は何故かみな一様にこの洞窟の奥で最期の時を迎えなさる。するとだな、どういう理屈かは俺っちも知らねぇがこの壁にポコンと燃えるように美しい宝石が産まれるんだよ。あぁ綺麗だ……これ一つで椎の実何千個分の価値があるかてめぇに分かるか……?」
コウモリはそう言って愛おしそうにルビーを撫でた。
「こんな洞窟があるなんて知らなかったよ」
鹿がそう言うと
「当たり前だ! てめぇみたいな弱いシカは100回生まれ変わったって縁のない場所なんだよ! てめぇが死んだところで、それこそてめぇの糞みてぇに黒くて丸い砂利が出来て終わりだ、バカ野郎」
とコウモリはつっけんどんに言い放つのみだった。
流石にムッとした鹿が言い返そうとしたその時、洞窟に一頭の年老いた隻眼の狼がやって来た。
途端にコウモリは鹿を飛び越し狼の真横にピッタリとくっついたかと思うと
「やぁやぁ、これはようこそいらっしゃいました~」
と猫撫で声で愛想を振り始めた。相手は狼だというのに。
狼は何も言わず黙って奥の方に進む。コウモリはそんな狼と連れ立ってペチャクチャと何やら喋りながら奥の方に消えて行ってしまった。
なんだか急にバカらしくなってきた鹿はそんなコウモリたちをおいて洞窟を後にすることにした。
「宝石は綺麗だったけど、あんな欲に汚い奴のいるところでなんか死にたくないや」
鹿はそう呟きながらふと思う。
もし自分があの洞窟で死んでいたらどんな宝石が出来たのだろう?
鹿はまた夜の森を彷徨い歩き始めた。不安は全て夜の帳に隠しながら。