湖畔
立秋の夜、一匹の鹿が森を歩いていた。
鹿には嘗て仲間がいた。だがほんの些細なことで鹿は仲間から嫌われ、群れから追い出された。
全てに絶望し生きる意味を見出せなくなった鹿にはある夢があった。
こんな生きる価値もないような命なら、せめてこの森の中にある一番綺麗な場所で死んでやろう。
綺麗な場所で死にたいという夢、皮肉だがそれだけが鹿にとって生き甲斐となった。
鹿は誰にも見つからないように夜にだけこっそりと森の中を彷徨い歩いた。
暫く歩いていると突然開けた場所に出た。
広葉樹の森を抜けた先には湖だった。その藍色の水面はまるで誰かの瞳のように澄み渡っている。
綺麗だ。
幻想的なその景色に鹿は誘われるように歩いて行く。
このまま飛び込んでしまおうか。
そう思いながら湖畔へと近づいて行ったその時、鹿はその湖面を見て死ぬのを止めた。
鹿の吐息に揺れるその湖面には夜空にぽっかりと浮かんだ半月が映っていたのだ。
鹿は憮然としたように言う。
「もしも満月だったなら、今夜間違いなくここで死んでいたのに」
本当にそのつもりだったのか、それとも怖くなり強がっているだけなのか。自分だけが知っているその答えを胸に鹿はまた次の死に場所を探しに夜の森を歩き始めた