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プロローグ2 ~涙~

 傷と疲労が蓄積した少女の身体が悲鳴を上げて倒れてから、一週間程経った日。その日は雲一つない晴天だった。

 窓から差し込む日差しに照らされ、ベッドの上に横になる少女は、絹のように白い髪を長く伸ばしていた。瞳は瞼に隠れていて、身体中傷だらけだ。


「リズ……」


 部屋の中に虚しく響いた女の声。その声の主は、ベッドの横にある椅子に座っている、夕日のように赤い髪と瞳を持った女だった。

 女はベッドに横たわる少女を心配そうに、愛おしそうに見ている。


 扉が開き、1人の男が入って来た。


「アリシア様。そろそろ仕事に戻って頂けないと、期限が迫っている書類が幾つかあります」


 男は入って来るなり、女にそう言った。アリシアと呼ばれた女は、男を睨みつけるように見た。男はその視線を受けても、表情を変えずに部屋の隅に佇んでいる。


「分かってる。そんな事、分かってる……でも、もう一週間だ。このまま目を覚まさなかったらと思うと……」


 アリシアはベッドの上に横たわる少女を見た。一週間、目を覚ましていない少女は、治療魔術をかけても傷が癒えない。

 怪我をしている本人に治りたい、治したい、という意思がない限り、治療魔術の効果は無いに等しいのだ。


「リズ様はお強い御方です。リズ様に救われた命は数えきれない程あります」

「でもそれを……救われた命がある事を、本人が知らなかったら意味がないだろうっ!それにリズに生きたいという意思が無ければ……リズはアイツが死んだのを見ているんだぞ?アイツが居ない世界で、リズが生きたいと、心からそう願うと、貴様はそう言うのか?!」


 アリシアは男に向かって叫んだ。男はそれでも、無表情で壁際に佇んでいる。


「私のような者が、リズ様のお気持ちを知る事は出来ません」

「なら何故そう言えるのだ!?」

「アリシア様、リズ様の事をどう思っていらっしゃるのですか」


 そんなの、とアリシアは言う。そんなの簡単な事だ、と。だが、アリシアはその後の言葉を紡げなかった。


「いつも、仰っていますよね?リズ様は大切な自分の子供のような存在だと。自分の子供のように大切だから、愛おしくて、切なくて、信頼していると」


 アリシアが息を呑む声が静寂な部屋に響いた。


「なら何故、リズ様を疑うのですか。リズ様を本当に信頼しているのなら、心から信じてあげてください。リズ様は今、不安で、怖い筈です。あの御方が居なくなられて、孤独な筈です」


 男の言葉がアリシアの胸の奥深くに刺さる。

 リズが今、孤独であるように、アリシアもまた、孤独であった。


「今、リズ様の隣に居る事が出来るのは、アリシア様、ただ一人です」


 風が窓を叩いた。風までもが、リズの隣にはアリシアしか居ない、とでも言いたげに。


「でも、でも私は、私ではっ、アイツの代わりになれない……リズにとって、アイツの存在は……」


 アリシアの瞳に涙が浮かんだ。


「誰も、代わりになどなれる筈がありません」


 男の声が静かに、だが確かに重みを持って部屋に響いた。


「あの御方の代わりが出来ないように、アリシア様の代わりも誰も出来ません」


 アリシアの言葉が詰まった。


「リズ様の隣に居るアリシア様は、アリシア様では無いのですか?」

「リズは……リズはそれで良いのか?アイツでなくて、良いのか?リズにとって、私よりも、アイツの方が……」

「それでも、です。今のリズ様にとっても、あの御方の存在は大きいでしょう。ですが、それと同時にアリシア様の存在も大きい筈です。アリシア様は、リズ様と培ってきた関係を、疑うのですか」


 男の言葉は丁寧だ。だが、その内容はアリシアの心を、アリシアが思っている事を的確に言い当てる。


「リズ様にとっても、アリシア様の存在は、母のようで、大切です。リズ様は今、たった1人で全てを背負い込んでおられます。アリシア様も、今はとても辛い時期でしょう」


 でも、と男は言う。


「アリシア様は今、立っています。アリシア様の心はボロボロでも、アリシア様は立とうとしています。でも、1人では立てませんよね?一人で立てる人は、何処にもいませんから。アリシア様も、誰かに支えられて立っています」


 アリシアの瞳から涙が溢れた。声を押し殺して、静かに涙を流している。


「今、リズ様を支える事が出来るのはアリシア様だけです」

「うぅっ、ぅっ」


 嗚咽を漏らした。涙がボロボロと落ちる。服の裾で拭っても、拭っても、涙はボロボロと落ち、床に小さな池を作った。


 男は黙って部屋の隅に控えていた。アリシアの涙が止まるまで。


 アリシアは自分の恋人が亡くなっても、泣かなかった。泣く事が出来なかった。最初は信じられなくて。信じたくなくて。その後も、仕事に追われて、1人になる時間も無かったのだ。

 この病室で、リズを看病する時間も、一週間もありながら、今日が初めてだった。

 古参の部下の前で泣き顔を晒す事になるとは思いもしなかった。だが、涙が溢れてくる。


「リズが本当に孤独になってしまうのではないかと、アイツはいつもそう、心配していたわね……」


 涙を零しながらアリシアは言った。

 男は黙って聞いていた。


「こうなると知っていたのか?」

「あの日の会話は、自分が死ぬと分かっていてしていたのか?」

「なら何故、死を受け入れたのだ……」

「そんなもの、捻じ曲げてしまえば良いのに……」


 アリシアはもう、返事をしない男に向かって問う。だが、当然ながら何時まで経っても返事は返ってこない。アリシアの疑念も晴れる事は無かった。


 アリシアは一通り泣き終えた後、深く息をした。目を閉じて、天を仰いだ。


 目を開けた時には、その瞳には覚悟と、強い決意が浮かんでいた。


「私がリズを孤独にはさせない。何があっても、リズは私が守る」


 涙の跡はまだ残っているが、アリシアの心にはもう涙は残っていなかった。


「ヴィクター、仕事に戻る。早く終わらせて、リズの傍に居る」


 ヴィクターと呼ばれた男は、アリシアに頭を下げ、かしこまりました、とだけ答えた。



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