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プロローグ ~死~

 日没が近づき、段々と薄暗くなっている戦場には、血の海が出来ていた。物言わぬ屍が地面に積み重なり、その上をからっ風が虚しく吹いている。

 その戦場の中、人影が2つだけあった。


「師匠っ!」


 戦場に幼い少女の声が響いた。死体の中を走っている少女の金の瞳には、1人の男しか映していない。

 男を間近で見た少女は息を呑んだ。

 男は死体と共に倒れている。息は浅く、顔も青白い。男の左腕は黒く変色してる。致死量を優に超える猛毒が、男の身体の中を侵略していた。


「リ、ズ……」


 男は掠れた声で少女の名を呼ぶ。


「師匠っ!!今、解毒をっ!」

「いい、リズ。いいんだ……」

「でもそれではっ!」

「いいんだよ……」


 師匠は少女に微笑んだ。その顔を見て、少女は悟った。解毒が出来ないのだと。


「いつまで別れを惜しむつもりだ」


 低い男の声。

 黒いローブを纏った人影がゆっくりと少女に近づく。


「命ある者はいつか死ぬ。お前も殺しただろう?この戦場に広がる死体。一体どれだけの魔族を殺したんだ?」


 黒いローブを纏った男は、少女を貶すようにそう言った。少女は男を睨むと、倒れている師匠を一度見た。少女は立ち、男と対峙した。倒れている師匠から離れ、黒いローブの男と正面から向き合う。


『能力部分解除』


 少女がそう呟くと、少女は眩い光に照らされた。絹のように白い髪は、青空を一滴垂らしたような色に。金の瞳は更に輝きを増した。


「ほう?」


 男の愉快そうな声が戦場に響いた。


『氷華絶剣』


 少女の涼やかな声が戦場に響くと共に、黒いローブの男の周りに氷の華が数えきれない程現れた。その鋭利な刃で男を襲う。それと同時にいつの間にか少女が握っていた氷の剣が男に迫った。


『疾速』


 剣先と氷の華が男に到達する直前で男は飛び、少し離れた所に移動した。だが、少女の剣は男の頬を掠っていた。男の頬から血が垂れる。

 男は頬の傷には目もくれず、少女を黒い瞳で凝視していた。


「お前のその髪、その瞳。思い出した。俺は8年前、極東の街でお前を確かに見た」


 男は愉快そうに笑う。男の言葉は男に迫っていた少女の手を、氷の華を止めた。


「……お前が……お前が、あの街を――」


 少女が絞り出した声は震えていた。


「ああ、そう言っているだろう」

「……」


 男は煩わしそうに答えた。頬から垂れる血を舌で舐めながら。

 少女は何も言わなかった。表情が全て抜け落ち、ただ男をじっと見ている。


「ハハッ!ハハハッ!ハハハハハッ!!」


 男は急に笑い出す。心の底から楽しそうに笑う。


「俺はゼロ、と呼ばれている。俺の名と言っても良いだろう」

「ぜ、ろ……」


 男の心境に何の変化があったのだろうか。突然ゼロ、と名乗った。

 少女は男の名を反芻した。その少女の顔は何故教えたのだ、と言っている。


「そうだ。ゼロだ。お前の名は?」

「……リズ……リズ・アーレント」

「そうか。リズ・アーレント、勝負は次に会う時までお預けにしないか?」


 ゼロはそう言った。少女はゼロを見て怪訝な表情を浮かべる。


「今日はもう、お互い本気を出せないだろ?俺もアイツと戦って魔力が心もとないし、お前も戦い続きで疲弊している」


 少女はゼロの言葉に頷いた。少女が立っているのは意地と根性でしかない。戦い続けるのは困難なのだ。


「次会う時こそ、決着をつけようじゃないか」


 ゼロがそう言うと、彼の周りに黒い霧が現れ、彼を隠した。霧が薄れ、霧の中が見えるようになるまで、そう時間はかからなかった。霧が晴れるともうそこには彼は居なかった。


「師匠っ!」


 少女は弾かれたように少し離れた場所で倒れている師匠の元へと走った。


「師匠っ!師匠っ!!」

「リズ……」


 師匠は目を辛うじて開け、少女の姿を瑠璃色の瞳に映した。少女は治療魔術を構築した。効かないと分かっていても。治る事は無いと分かっていても。少女は治療魔術を構築し続けた。


「治療魔術をかけて何の意味がある?」


 師匠は少女に突き放すように言った。


「っ、師匠を……師匠を死なせない為です。私は師匠に魔術を習いたい。師匠ともっと一緒に居たいっ!師匠、行かないで。私を置いて、遠くに行かないで……」


 少女は言葉を詰まらせたが、師匠に自分の気持ちを叫んだ。少女の魂の叫びは、静寂に包まれた戦場に響いた。

 師匠は驚いたように目を開き、微笑む。次に口を開いた時には、微笑みは消え、真剣な顔になっていた。


「リズ。よく聞きなさい」

「っ、はい」


 少女はいつもと違う、有無を言わせない彼の雰囲気に驚くも、返事をした。彼は少女の返事に満足そうに頷く。


「リズは、俺をも超える、世界最強の魔術師にもなれるだけの素質を持っている。勿論、リズの努力が無いとなれないが、リズは世界最強の魔術師になるだろう」


 師匠は少女の金の瞳を見た。彼の瑠璃色の瞳は一切の迷いを見せず、青く澄んでいる。

 でも、と彼は続けた。


「決して自分を見失うな。力に溺れるな。魔術師は、魔術は、誰かの為にある事を忘れるな」


 師匠は、苦しそうに息をした。咳き込むと、彼の口から血が溢れた。だが、彼は話す事を止めない。


「誰かを守る魔術師になるんだ」


 師匠の言葉に、少女の瞳に涙が浮かんだ。

 魔術の構築は、思考が乱れれば出来なくなる。少女の構築していた魔術は空気中に散った。


「ですがっ、私は、私は師匠を守る事も出来ませんでした。今までも……」

「これは俺が弱かっただけだ。リズのせいじゃない」

「うぅっ、し、しょう、わた、し……わたしはっ」


 少女は金の瞳に貯めていた涙と、喉の奥にしまっていた嗚咽を漏らした。それは、死体しかない戦場で

 見せた、年相応の少女の姿だった。

 師匠も瑠璃色の瞳に涙を浮かべ、少女の頭をまだ動く右手で撫でた。彼女が小さかった頃のように、優しく撫でた。


「リズ。ありがとう……リズなら何だって出来るよ。だって、俺の自慢の弟子なんだから」


 師匠は少女の涙を手で拭った。


「うぅっ、はい……師匠、私は誰かを守る魔術師になります。誰かを守る為に魔術を使います。だって私は、自慢の師匠の弟子なのですから」


 少女は金の瞳から涙を溢れさせて言った。


「うん」


 師匠の頬に涙が一筋流れた。

 彼は微笑んだ。もう、見えない少女に向かって。もう、聞こえない少女の声を探して、聞こえない事に涙を流した。

 師匠は瑠璃色の瞳を閉じた。もう、その瑠璃色を見る者は誰も居ない。彼の顔は、嬉しそうに微笑んでいた。だが、少し寂しそうにも見える。


「し、しょう……師匠、師匠っ、師匠!」


 血の匂いが充満している戦場で、少女は叫んだ。


 もう決して目を開けぬ彼に、目を開けろと言う。

 もう決して口を開けぬ彼に、話せと言う。

 もう決して光を宿さぬ目に、自分を映せと言う。

 もう決して言葉を告がぬ口で、自分の名前を呼べと言う。


 後悔、怒り、懺悔。


 そんな感情が少女の中で吹き荒れる。誰に対して、何に対して怒り、懺悔しているのか、少女には分からなかった。目の前で横たわる男なら、分かるのだろうか。その答えを、教えてくれていたのだろうか。そんな事を考えて、少女はまた、涙を溢れさせた。

 少女の涙は流れても、流れても、流れても、新たに作られた涙が流れる。止まる事も、遅くなる事も知らない滝のように。少女の涙は枯れる事は無かった。


 少女は叫んだ。


「リズッ!!」


 その声を聞くまで。



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