喪失
「ドローレスさん……?」
ネルソンはぽかんとしてしまった。何だかドローレスの様子がおかしかったのだ。
「一体どうしたんだ?」
髪は乱れ、服には土がついている。顔面は蒼白なのに、目はギラギラと光っていて、唇が歪み、手は固く握りこぶしを作っている。何か強い衝動を堪えているように見えた。
「どうしたんだ、じゃないわ!」
ドローレスは髪を振り乱しながら、ヒステリックに叫んだ。
「やっぱりそういう事だったのね! 前から怪しいと思っていたのよ!」
ドローレスは、顔にばらばらとかかった髪の隙間から、ネルソンとヒルダを見ていた。その藍色の瞳が憎悪に濡れている事に気が付いて、ネルソンは息を呑む。
「あなたがネルソンさんを見る目、私、ずっと前から引っかかっていたのよ!」
ドローレスの視線はヒルダに移っていた。ヒルダは凍り付いて動けない。ヒルダが何も言って来ないのを見て、ドローレスは怒りの矛先を今度はネルソンに向けた。
「ネルソンさんも、この女と同じ気持ちだったのね。ずっと私の事、邪魔だと思っていたんだわ。どこかに行ってほしいって……。どう? 私と離れられて、せいせいした?」
ドローレスは狂人のような笑い声を上げた。ネルソンは、何が起きているのかまるで理解できなかった。
――本当に邪魔だよ。早くどこかに行ってほしい。こうして自由の身になってみると、何だか気分も軽くなったような……。
やや遅れて、先ほど自分が言った台詞が脳内に蘇ってくる。ネルソンは、ドローレスが勘違いをしているのだと気が付いて慌てた。
「違う、ドローレスさん。僕が邪魔だと言ったのは、クレアのハーレムのメンバーの事で……」
「ええ、知っているわ」
ドローレスは口角を吊り上げながら高笑いした。
「私、今思い出したの。皆が何て噂をしているのかを。あなた、クレアの愛を独り占めしたいんでしょう? だから、他の男の子たちが邪魔なんだわ」
ドローレスの顔が不意に歪んだ。その瞳が潤んでいく。ネルソンは呆然となった。
「ネルソンさんは、これからも好きな子たちに囲まれて幸せに暮らせばいいわ。青嵐の鬼女なんて御呼びじゃない事くらい、私、分かっているから」
ドローレスは、自分の手から指輪を引っこ抜いた。それは、あの宿屋でネルソンとドローレスが再会した時に、ネルソンが自らの愛の証として彼女に送ったものだった。
「もう終わりよ。何もかも」
ドローレスは指輪をネルソンに向けて投げつけた。肩に当たった指輪は、そのまま落下して地面に転がる。ネルソンはそれを拾う事も出来ずに硬直していた。
「……さようなら」
その一言だけを残して、ドローレスは去っていった。土で汚れた彼女の頬が濡れているのに気が付いたネルソンは、動揺して動けない。
「ドロー、レス、さ……」
声は、喉奥に張り付いて掠れてしまった。全身の血を抜き取られてしまったかのように体に力が入らない。頭が事態を理解するのを断固として拒否している。
「ネルソンさん……?」
いつの間にか地面にうずくまるようにして座り込んでいたネルソンの背を、ヒルダがさする。
「大丈夫ですか……?」
「ヒルダ……ぼ、僕は……」
ネルソンは、自分でも何を言おうとしたのか分からなかった。だだ、何よりも愛おしい恋人を失ってしまったのだという事だけしか分からなかった。




