九死に一生
「何だ、これは……」
ネルソンは目の前の光景に立ち尽くしていた。
そこにあったのは、まだ煙が立ち上る黒こげになった建物だった。近づくと、仄かな熱気を感じる。周囲では、消火活動にあたっていたであろう修道者たちが、バケツを持って走り回ったり、後片付けをしたりしていた。
完全に燃えてしまった訳ではないが、いつ倒壊してもおかしくないような状態のこの建物は、燃える前は納屋と呼ばれていた場所だった。
「これって……」
ドローレスは絶句している。今日の彼女は納屋で仕事をするはずだったのだ。それが、ネルソンと出掛けた事によって、後回しにされた。もし予定通りここにいたら、恐らくこの火災に巻き込まれていただろう。
「いや、ひどい火事でしたな」
ネルソンたちが呆然としていると、救急箱を抱えた修道士がヒルダに話しかけてきた。どうやら、消火活動中に怪我人でも出たらしい。しかし、修道士はあまり深刻そうな顔をしていないので、その程度は軽いもののようだった。
「今日は空気が乾燥していましたからねえ。幸いこの辺りには他に建物もないので、延焼はしませんでしたが、嫌な事故でしたよ」
「……違う」
それまで焼けた納屋を見ていたネルソンは、修道士の『事故』という言葉に過敏に反応した。
「あれを見てくれ」
ネルソンは納屋の扉を指さした。固く閉じられた扉は、横に引いて開ける構造になっている。ここの納屋も、宿舎などの他の部屋と同じように、鍵はついていなかった。だが、その代わりとでも言うように、扉の片側に斜めに傾いた棒が置かれている。つっかい棒だ。
「おかしいとは思わないか? あんなものを外側に設置するなんて」
つっかい棒は外側からの侵入を防ぐためのもので、本来なら室内側に取り付けるものだ。それなのに、この焼けてしまった納屋では外に置かれている。ネルソンには、その意味するところが一つしか思い浮かばなかった。
「私を……外に出さないようにするため……?」
ドローレスは戦慄していた。
「中に閉じ込めておくために、こんな事を……?」
「何ですと!?」
修道士は飛び上がった。
「こ、こんな所にいれば、鬼女様はただでは済みませんでしたよ! 下手をすればお亡くなりになっていたか……良くても大火傷を負っていたに違いありません!」
そして、修道士はある可能性に気が付いた。
「まさか、納屋が燃えたのは……誰かが火をつけたから……?」
自然発火ではなく、意図的な放火。十中八九そうに違いないとネルソンも思っていた。
もちろん、『犯人』はドローレスを閉じ込めようとしただけであり、火事は偶然の産物だったという可能性もゼロではないが、今この大修道院でドローレスの身に起きている事から考えると、どうしても誰かがドローレスを害そうとして火を放ったと見る方が自然な気がしたのだ。
「由々しき事態ですわ」
ヒルダが無表情で言った。
「いくらなんでもこれは……悪戯だとか、そんな言葉では片付けられませんわよ」
梯子の件も十分悪質だったが、今回はそれよりなお悪い。下手をすれば、ドローレスは死んでいたのだ。歴とした殺人未遂である。
「ああ、何と恐ろしい……」
修道士はこの異常事態に震えあがっている。天に向かって祈りを捧げるように跪いた。
「神よ……。どうか鬼女様をお守りください……」
痛切な願いだった。だが、ネルソンは知っていた。祈っても神は助けてくれない。モリス曰く、神は直接的には何もしてくれない存在なのだ。
(だったら……ドローレスさんを守れるのは僕だけだ)
ネルソンはドローレスの華奢な肩に手を回し、静かに黒こげになった納屋を睨んだ。




