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準備万端

「あら、ネルソンさん」

 

 女子修道院内のドローレスとの待ち合わせ場所に向かっている最中、ネルソンは本を抱えたヒルダと偶然会った。


「こんにちは、ヒルダ」

「ええ、ごきげんよう。わたくし、孤児院へ行くところでしたの。子どもたちに文字の読み書きを教える事になっているのですわ。……よろしければ、ネルソンさんもご一緒にいかが?」


 どうやらヒルダも、ここでの生活にすっかり慣れたようだ。ネルソンは、「悪いけど、またの機会に」と返す。


「これからドローレスさんとの約束があるからね」

「あら、そうですか」

 ヒルダは、ちょっと残念そうにした。そして、「そう言えば……」と少し声を落とす。


「先程、クレアが男子修道院に入っていくところが見えましたわ。あの子、何か迷惑をかけていませんか?」

「相変わらず、つきまとってくるよ」

 ネルソン愚痴を零した。


「何とか振り切ってきたけど……。どうにかならないのか、あれは」

「どうにもなりませんわ」

 ヒルダは肩を竦めた。


「あの子、強欲ですもの。あなたを手に入れるまで帰りませんよ」

「……だろうな」


 そんな未来は永遠に訪れないというのに、早くその事に気が付いてほしいものだ。ネルソンは深いため息をついた後、ヒルダと別れた。


 待ち合わせ場所の、大きな木が見えてくる。その木陰から、風に吹かれる長い藍色の髪が見えた。ネルソンは思わず駆け足になり、愛しい乙女がこちらに気が付く前に、後ろから彼女を抱きしめた。


「ネ、ネルソンさん!?」


 ドローレスは一瞬体を強張らせたが、相手が誰なのか分かると、すぐにたおやかな肢体を弛緩させる。


「もう……びっくりしたわ」


 そう言いつつも、ドローレスは嬉しそうだった。抱擁を解いたネルソンに、艶っぽい笑みを向ける。


「はい、これ卵」


 ドローレスと会うのは、この大修道院に来た日以来だった。変わらない恋人の笑顔の眩しさに気分が高揚するのを感じながら、ネルソンはとれたての卵をドローレスに渡した。


「それから、聖堂の壊れた窓の修理に午後からフィンさんが行くそうだから、担当の人に伝えておいてくれ」

「ええ……」

 ドローレスは卵を受け取りつつも、不思議そうな顔になった。


「ネルソンさん……何だか、随分馴染んでいるのね」

「いや、大した事じゃないよ」

 ネルソンは緩く首を横に振る。


 確かに、貴族であるネルソンは、本来ならこのような雑事とは無縁のはずだ。そんなネルソンが、以前からここで暮らしていたかのように何の違和感もなくこの生活に溶け込んでいるのには、理由がある。


 実はネルソンは、ドローレスがもし青嵐の鬼女であったと発覚し、辺境の修道院送りになった時のために前々から備えをしていたのだ。


 ネルソンは、大修道院での暮らしがどのようなものかを前もって調べておき、そこで住む事になってもまごつく事がないようにした。また、実家にいる使用人たちに、家事や掃除、大工仕事を習って、そういった事を一人で出来るようにしておいたのだ。

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