何よりも勝るもの
「ネルソンさん……どうしてここに?」
ドローレスは、何が起こっているのか分からないようだった。
「私たちの婚約は、解消されたって聞いたのだけれど……」
「……僕は、ずっとあなたの傍にいると約束した」
ネルソンはきっぱり言い切った。
「婚約関係がどうとか、そんなの関係ないよ。それとも……あなたは、もう僕になんて傍にいて欲しくない?」
「それは……そんな訳はないわ」
ドローレスは急いで否定した。
「私、追放されてからもずっと、あなたの事を考えていたの。最後にお別れも出来なかったから……」
「お別れなんてしなくて良いんだよ」
ネルソンはかぶりを振った。
「これからは、ずっと一緒にいるんだから」
ネルソンはドローレスを抱きしめた。彼女が息を呑むのが分かる。
「だ、だめよ!」
ドローレスの声は引きつっていた。
「私といると、あなたが不幸になるわ! ネルソンさん! 離れて! お願いだから!」
ドローレスは華奢な腕を振り回して、必死でネルソンの体を叩いた。だが、非力な女性に少し叩かれた程度では、ネルソンの逞しい体はびくともしない。その内、ドローレスは諦めて、がっくりとうなだれた。
「ネルソンさん……どうしてなの……?」
「あなたと一緒にいたいからだよ」
ネルソンは先程と同じ台詞を繰り返した。
「ドローレスさんだって、僕と一緒にいたいんだろう?」
「……ええ」
頑なな態度のネルソンに、ドローレスは早々に折れた。と言うよりも、彼女の心に潜む悪魔が、「彼を受け入れてしまえ」と囁く声に身を委ねたようだった。ドローレスは腕を伸ばし、ネルソンの背を抱きしめる。
「私……もうあなたには会えないと思っていたわ」
ドローレスはネルソンの硬い胸板に頬ずりしていた。
「婚約破棄とか、追放された事とか……色々あったから。でもそれは、私の愛が負けてしまった結果だから、その事にネルソンさんが失望してしまったかも、って思って……」
「失望なんかしないよ」
ネルソンは、ドローレスの艶やかな藍色の髪を撫でながら言った。
「今回は難易度イージーだったからね。こうなっても仕方がないと思っていたよ」
「えっ? 難易度って?」
ドローレスは、ネルソンの顔を見上げながらきょとんとした。ネルソンは、「何でもないよ」と優しく返す。
「それより、僕たちのこれからの事を話さないか?」
「これから……」
ドローレスの目が少し輝いた。ネルソンは微笑む。
「これを受け取ってくれ」
ネルソンは懐から取り出したものを、そっとドローレスの手のひらに乗せた。藍色の宝石が輝く指輪だった。
「これって……」
「僕の気持ちだよ」
ネルソンは熱っぽく言った。そのまま、ドローレスのしなやかな手に指輪をはめてやる。
「これからも、ずっとつけていて欲しい。これは僕の愛の証だ。ドローレスさん、僕と……」
「そんな事より、いいかしら?」
「そ、そんな事……?」
ネルソンは出鼻をくじかれて、声が裏返りそうになった。それに、今から話す内容を『そんな事』と表現された事に、少し傷ついた。
「私ね、このままじゃ、我慢できないの」
ネルソンの傷心を察するそぶりも見せずに、ドローレスは話し続けた。
「我慢できないって、何がだ?」
ネルソンは虚しい気持ちで尋ねた。
だが、そんな心地は、ドローレスの答えを聞いた途端に、階段を一段踏み外した時のような、内臓が浮き上がりそうな衝撃に変わった。
「クレアよ、クレア」
ネルソンは今更のように、ドローレスの目の輝きは、自分たちの明るい前途を思ってのものではなかったのだと気が付いた。それは紛れもない、報復に向けた暗い野望の光だった。
「どうやって復讐してやるのがいいと思う?」
そう尋ねてくるドローレスの表情は残酷で……まるで、少し前まで彼女がその役を務めねばならなかった、物語に出て来る悪役そのもののようであった。