崇拝
何とか町の人たちに捕まる前に馬車に乗る事ができたネルソンたちは、最初の休憩地点に辿り着いてようやく人心地ついた。何せ、あの町の者はあり得ないくらいしつこかったのだ。ネルソンたちが馬車で出発しても、馬を駆って追いかけてきた程だ。
幸いにもその馬は足の遅い老馬だったために何とか振り切れたものの、この件でドローレスが受けたショックは計り知れなかったらしく、ネルソンが外の空気を吸おうと提案しても、馬車から出たくないと言って車内に引きこもってしまった。
ネルソンは、仕方なしにドローレスを置いてヒルダと一緒に外に出た。新鮮な空気を吸いがてら、やっとあの町で起こった事をヒルダに話す事が出来た。
「クレアとドローレスさんの喧嘩……ですか」
何があったのか分かると、ヒルダは左手首をこすりながら嘆息した。
「少しの小競り合いで、随分大変な事になるものですね。予想外ですわ、これは……」
「……皆おかしい」
ネルソンが吐き捨てる。
「ドローレスさんが何をしたっていうんだ。クレアがそんなに偉いのか? 僕には理解できない」
「……青藍の聖女は、それだけ皆の心の拠り所なのですわ」
ヒルダが静かに言った。
「だとしても、あれは異常だ」
ネルソンがイライラしながら言った。
「あんなに拝んだり跪いたり……。まるで催眠にでもかかった人を見ているようだった。薄気味悪い」
「……もしかしたらそれも、聖女の持つ力の一種なのかもしれませんわ」
ヒルダがかぶりを振る。その目には、剣呑な光りが宿っていた。
「ネルソンさん、あなたもお気を付け遊ばせ。ネルソンさんもいつか、クレアの聖女としての魅力に憑りつかれる日が来るかもしれませんわ」
「僕が……?」
ネルソンは鼻で笑いかけた。だが、思い直す。『クレアの聖女としての魅力に憑りつかれる』とはすなわち、彼女に攻略されてしまう事を意味するのではないだろうか。
だとするならば、油断はできない。何せ、乙女ゲームの主人公であるクレアは、男を落とすプロだ。気を抜けば、虫が食肉植物に食われてしまうように、いつの間にかクレアの手の中に収まっていた、などという事態になりかねない。
「僕は、あんな病的な人々の仲間入りはごめんだ」
一瞬自分がクレアに愛の言葉を囁いている光景を思い浮かべてしまったネルソンは、眉をひそめた。
「僕はクレアになんてなびかない。万に一つも、そんな可能性はない」
ドローレスの事しか眼中にないネルソンにとって、それは当然だった。たとえ僅かな間でさえ、彼女以外の人物を愛する想像をしてしまった事に、自己嫌悪さえ覚えてしまう。




