第9話 初めてのドレス選び
部屋に戻ると、いつも待ち構えている彼女はいなかった。
その代わりに置手紙が置いてある。『遅いので、マリア様の寝間着を準備して帰ります』とのこと。どうやらずいぶん要領のいい性格らしい。
寝る前に、魔術石を取り出した。心なしか少しだけ黒ずんでいる気がする。
魔術発動のコツはつかんだので、あとは持続力・放出量の増加だろう。
暗い部屋をイメージし、再び炎を掌から出した。
どれだけ、持続できるか。その鍵は集中力だと予想していたが、どうやら当たりらしい。
純粋に、雑念なく「炎を出す」と願うほど、その炎は長く掌で光っていた。
そしておそらく「思いの強さ」が放出量に直結する。光っている炎に「もっと」と力を込めると、火の玉が大きくなった。
なんとなく――魔術が分かってきた気がする。自分一人で研究していたならもっと時間がかかったに違いないが、燕の与えてくれた知識が少なからず役に立っていた。
しかし、まだまだ足りない。知識も、技術も。
悪役令嬢である私の運命を救うには、この帝国を立て直す必要がある。しかしちょっと魔術が使える程度の少女に何ができるだろう?
頭を必死に回転させるが、解は出てこない。
そのうち私はベッドに倒れ、意識を手放した。
※※※
「マリア様、起きてください」
「あ……私」
「布団もかけないで寝ていらっしゃいました。全く、はしたないことこの上ありません。
さっさと着替えてください、本日はドレス選びが控えています」
彼女は用件だけ告げると、いつものように部屋の外に出ていく。
毎回の彼女のつれなすぎる反応に、なんだかおもしろくなってきた。
そんなどうでもいいことを考えしばらくぼおっとしていたが、頭が覚醒した瞬間慌てて石を探す。すると横のベットに転がっていた。
「彼女に見られてしまったか?」と訝しんだが、何も言われていない。彼女ならきっと「汚らしい石」と皮肉の一つでも零していただろう。彼女の魔力量が低く石を見ることができなかったか、『強運』が作用したか――どちらにせよ、今回は私の注意不足だった。
これから気をつけねばならない、と背筋をただした。
いつものようにドレスを着て、彼女を呼び戻す。
「応接室に」と声を掛けられ、彼女についていくと豪華な部屋が待っていた。
部屋に入り、ソファに腰掛ける。使用人の彼女も背後についてくれた。ふわふわすぎる感触に夢見心地になりつつ、目の前でお辞儀をする男性を観察する。
それなりに裕福な商人らしく、身に着けているものは高そうなものばかり。商売がうまくいっている証拠だろう。
ニコニコとしているが、目は油断ならない。商人としてはかなり優秀な部類だと予想できた。
「初めまして、お目にかかれて光栄ですレディ。私はダリア=ローラン。この度は第一皇女様のお召し物をご紹介しにまいりました」
「初めまして、ダリア。私はマリア=ファントム。今日は有意義な時間を過ごせることを期待していますわ」
商人は目を丸くする。普通、皇族は商人の名前なんて覚えない。殿上人である彼らが商人や町人を人間と認識すること自体が珍しく、自己紹介なんて滅多に行われないのが普通だった。
少し驚いた彼であったが、すぐに自分のペースを取り戻し、綺麗な笑顔を浮かべた。
「本日お持ちしたお召し物はこちらになります。今社交界で流行りのフリルが沢山使われているものですね。私としてはこの春の季節、華の模様があしらわれているこのドレスなんて、おすすめですが」
「……」
キラキラと、眩いばかりのドレスたち。しかし、正直心が惹かれない。
民たちから無理やり取った重税を、これらのドレスに使うのは気が引けた。
「…気に入りませんか?ほかにも商品は、」
「茜染めしたドレスが着たいです」
「アカネ…ゾメ?なんでしょう、それは」
ダリアは怪訝そうな顔をする。
商人の彼が知らないということは、この世界で普及されているものではないのだろう。
私はできるだけ伝わるように、自分の中の知識をかみ砕く。
「茜という植物はご存じでしょうか?」
「――不勉強のため、存じておりません」
「いえいえ、名前を知っている人は少ないでしょうから仕方ありません。いわゆる『雑草』と分類される植物で、この国にもたくさん生えています。植物図鑑で私も初めて知ったのですが」
本当は庭園で見つけたのだが、そこは隠す。
ダリアは「雑草?」と未だ不思議そうに首をかしげていた。
「茜の根を細かく刻んで、煮詰めたら染料になるのです。赤色の綺麗な布が出来上がるんですのよ」
「…なんとっ!」
「手間はかかってしまうかと思いますが、作業自体はそこまで複雑ではありません。……今、田畑が荒れ果てて失業者があふれかえっているでしょう。彼らにこの染色作業をさせなさい」
「……マリア様」
ダリアは目を見開く。
プロの商人である彼に商品の提案をするのは気が引けたが、どうやらいたく感動してくれたらしい。
彼の目がうるみ、キラキラと光っている。
なんだか気恥ずかしくなって横を向くが、「素晴らしい!」と彼は机を両手でたたいた。
「ヒッ!」
「マリア様、貴女は天使のような人だ!失業者対策まで考えられていたとは!町の評判とは大違いでびっくりしましたぞ!」
「……どうせ貧弱とか無能とか、そのような評判でしょう。その評判に間違いはありませんよ。私はただロマン帝国皇女として、この国の国旗の赤を背負いたいだけの我儘女です」
ロマン帝国の国旗は、真っ赤な背景に星が一つ。
赤色は『国民の血』を現していて、歴代国民が血を流して頑張った歴史を踏まえ、願いをかなえていくという意味が込められていると知った。
最悪の国だが、その理念は嫌いではない。
折角のお披露目で、その理念を身に着けるのは素敵だと考えたのだ。
「頼めるかしら?」
「えぇ、もちろんです。このダリア、商人の誇りをかけてこのドレスを作ります!」
「期待しているわね」
ダリアは最初会った時よりも深くお辞儀をしてくれる。
彼なら素敵なドレスを作ってくれそうだ。彼のドレスを着るのが、楽しみになった。
※※※
「……正直、意外でした」
「え?」
部屋に戻る道中、使用人の彼女は口を開く。用件しか告げない彼女にしては、珍しいことだ。
「マリア様は、世情に興味がないと思っていたので」
「……」
「バッハ様と、ご兄弟。貴女の世界はそれだけで完結していたでしょう?」
彼女は振り返らずに、的確に指摘をする。
その通りだ、マリアには家族しか見えていなかった。だから家族の愛情を得ようと、間違った方向へ行ってしまったのだ。
「そうかもしれないわね」
「……心変わりでも?」
「えぇ、そうね。私には世界を知る責任があるとやっと気づいた」
「……」
「そして、私の周りにいる人にも興味があるわ。貴女の名前を、手始めに聞きたいんだけれど」
マリアの記憶に使用人の彼女の名前はなかった。残酷な話だが、マリアは本当に彼女に興味がなかったのだろう。
だが、今の私は彼女にとても興味がある。むしろ用件皮肉人間の彼女の発言が、ツボに入る節さえある。だからそう問うと、彼女は眉を吊り上げた。
「あの商人が丸め込めたら、次は私ですか」
「そんなつもりじゃないわ、でもお世話してくれる使用人の名前を知らないなんて不自然よ」
「……レベッカ」
「レベッカ!いい名前ね、よろしく」
そう手を差し出すと、彼女はその手を払いのけた。
「何をやったのか」くらい、彼女もわかっているだろう。皇族の手を払ったのだ、クビになってもおかしくない。しかし彼女は全く動揺せず、私をまっすぐと見据えた。
「貴女と仲良くするつもりはありません。私はロマン帝国の皇族が嫌いなんです」
「……」
「皇女に生まれた貴女が、私の苦しみなんてわかるわけがない」
彼女の瞳が、初めて熱を持った。初めて生きた彼女と触れ合った気がして、引き込まれる。
しかし彼女の瞳はすぐに温度をなくし、「失礼いたしました」ととりなした。
私の部屋まで送ってくれる彼女は、手がわずかに震えていた。しかし一切述べた言葉を訂正しなかった。