第5話 魔術との遭遇
「……っこれ!!!」
木の幹の下。正方形の白い石が落ちていた。
異国の言葉が細かく刻まれているそれは、土の中に半分埋まっていたが、取り出すと劣化の跡が全くなかった。手に握ってみると、『どくん』と脈動がする。
これが――魔術石。手に持った瞬間、何らかの力が手から伝わってくる気がした。
「見つけたわ!」
「それはよかった。綺麗な石だ」
「……貴方のは?」
「これ。マリアと違って黒い。魔術が熟練するほど、黒くなるんだ」
燕の石を見ると、確かに黒ずんでいる。しかし汚らしい色ではなく、魔術が溜まっているのが見て取れた。
「知らなかった」
「そう。じゃあ、知らないだろう情報をもう一つ教えよう。コイツは生きている」
そんなの知らない。ゲームでは、そんな情報知らなかった。
しかし考えてみれば当然かもしれない。燕はゲームでは中立な立ち位置を維持していたため、カタリアに過剰に情報をよこすことはなかったのだ。しかもあくまで恋愛ゲームだ、魔術の説明なんて長々とする訳がない。だから何故か今、肩入れしてくれるらしい燕の情報はありがたかった。
「そうなの?」
「うん。だから、死ぬときは死ぬ」
「死ぬ条件は?」
「他人への譲渡だ」
なるほど、合点はいく。ゲームでカタリアが魔術石を手に入れてから、周囲の人物は彼女の寵愛を受けて魔術付与をしてもらおうと奔走はしていたが、石を奪おうとする人はいなかった。
「他人の譲渡」で魔術石が死ぬ、ということは周知していたのだろう。
「そう。じゃあ、ひとまずは安心ね」
「ただ、君を『魔術師』という地位から引きずり降ろそうとする人間なんて山ほどいる」
「そうね、用心しないといけない。――ねえ、燕。ここからは提案なんだけど」
燕の手を両手で握ると、勘がいい彼は慌てて6歳児目線にしゃがんでくれる。
少し顔を赤らめているが、怒っている様子はない。それに安心して、言葉をつづけた。
「私は魔術に関してまだまだ素人よ。知識なんてほぼないわ。自主学習しようにも、魔術の使い手は限られているし、専門の本があるとは限らない」
「……うん」
「だから、私の先生になってほしいの。貴方が必要なの!」
燕の瞳が大きくなり、顔色が赤く染まる。
怒ってしまったか。有識者を無料で講師にしようなんて厚顔無恥な提案、それも当たり前だろう。
しかし、私には切り札がある。
燕の5ルートは完全攻略しているのだ、彼のプロフィールなんてこちとら網羅している。彼が否定の言葉を発する前に、私は切り札を彼の前に突きつけた。
「わかっ」
「待って。勿論、こんな提案は厚顔無恥な自覚はあるわ。だからね、交換条件があるの。
貴方の知らない世界のお話を、レッスン日に聞かせてあげる。きっと楽しいわ!」
そう、燕の弱み――それは長寿だからこその、「人生への飽き」だった。
500年生きた彼は、生きることに飽きていた。カタリアに会った日、彼は自殺しようとしていたのだ。しかし魔術石を見つけた『自分以外の初めての魔術師』に興味を持ち、燕は動向を見守る。そんな彼に、カタリアは出会う度いろんな国の話を聞かせるのだ。兄が宰相だったカタリアは、兄から異国の話を山ほど聞くことができ、それを「暇つぶしにでも」と燕に話した。
燕はこの時、特段カタリアに肩入れしていたわけではない。それなのに見返りの心なく、純粋に燕のためを思って楽しそうに話す姿に惚れていく。そんなストーリーだった。
勿論私は燕に惚れられたい訳ではない。彼は惚れるとヤンデレさんになるのだ、謹んで遠慮する。
しかし彼の知識は、特にこの世界では貴重なものだ。それと引き換えに前世の面白話をするくらい、なんてことない。
期待を込めて彼の瞳を覗くと、彼は右手で顔を覆っていた。顔の横に結んでいる三つ編みが、心なしかへたんと萎れている。慌てて次の条件を模索するが、「いいよ」とくぐもった声で漏らしてくれた。
「断られるかも」と思っていただけに承諾してくれた嬉しさは激しく、第一皇女なことを忘れて燕に飛びついてしまった。
「ぶぉわっ!」と紳士的な彼からは想像もつかない声が漏れ、私は笑ってしまう。「はしたない真似だったわ、ごめんなさい」と謝ると、「……君と一緒だったら、毎日楽しくなりそうだよマリア」と返してくれた。
なんだかんだ優しい彼に、私はまた笑ってしまった。
※※※
魔術石を使ったことがない私が魔術を使えるはずなんてなく、帰りは勿論燕に瞬間移動してもらった。瞬間移動のおかげで、抜け出してから思ったよりも時間がたっていないらしく、シーツ製ロープは誰にも発見されず風に吹かれている。城の防衛がこんな緩くていいのか、と突っ込みたくなるが、外からの侵入には備えていても内からの脱出には備えていなかったのだろう。
しかしこれからは軍事力が強化され、内からもネズミ一匹逃げ出せなくなる。やはり無謀だとは思ったが、今日勇気を出して抜け出してよかった。思わぬ拾い物もあったことだし。
「……マリア、失礼なこと考えているでしょ」
「ふふ、否定はしないわ」
「少しは否定しようよ。それに、シーツで作ったロープって……まさかここから降りたのかい?ありえない」
「違うわ、ロープだけじゃない。木登りもして降りたのよ」
「……あはは!そんなお姫様初めて見た」
燕は自然に笑うようになってきた。彼の人工的な笑顔が苦手だった私は、その笑顔を見てうれしくなってしまう。へらへらと笑っていると「でも、絶対に次こんなことはしないでね」と釘を刺された。
「じゃ、俺はもういくから。レンガとロープは元通りに戻してあげる。――というか、こんなの放置していたら大事件じゃないか。こんな無計画でどうするつもりだったのか……」
「秘密。燕が助けてくれることは想定外だったけど、どうにかなることだけは知っていたの」
「……そう。まあ、俺が助けられてよかったよ。それと、家庭教師の件だけど」
「えぇ」
「日中の予定が終わって、マリアが暇になった時、僕の名前を呼んでほしい。君の座標を計算して向かうよ。そこからレッスンしよう」
「ありがとう、燕。本当に助かったわ」
「どういたしまして、マイプリンセス」
気障な言葉に苦笑した瞬間、燕は消えた。いつの間にかレンガは元に戻され、ロープに進化したシーツも元の布の姿に形を変えている。この世界に来てから初めて見た魔術に感動し、しばらくウロウロとしてしまったところを誰にも見られなくてよかった。
それにしても、だ。『マリア=ファントム』の隠しスキルは思ったよりも強いらしい。道理でゲームでカタリアが苦戦するわけである。
今回は、ある意味賭けだった。しかしその賭けのおかげで、隠しスキルの強さが証明できてよかった。
映画でしか見たことがない、シーツ製のロープ。異世界での木登り。シフトに入っているかも分からない衛兵探しに、無計画の庭園への移動。どれもこれも、転生初日に行うのは無茶がある。頭脳明晰とうたわれているマリアが取る無計画すぎる行動に、燕は怪しんでいる様子だった。
それもこれも、隠しスキルの検証を兼ねていた。マリアの隠しスキル――『強運』を確かめるために。
強運。生前の大不幸に見舞われていた人生とは相反するスキルだ。
不確定要素がある状況で、有利な方向へ物事を進めることができる。ただ、あくまで『不確定』。どれだけの潜在能力があるのか、測りたかった。
結果としては、一部失敗はあるものの(木へ一発で移動できなかった、衛兵を探すのに時間がかかった等)、燕の協力を得ることができたことを考えると、大成功と言っていいだろう。魔術石も手に入れ、協力者も見つけ、最高と言っていい滑り出しだ。
固いベッドに寝転がると、いつの間にか月明りが朝日に変わっていた。6歳の身体は、過労に悲鳴を上げている。
魔術石だけしっかりと握り、私は意識を手放した。