第2話 OLは、悪役令嬢に転生する
「…リア様。マリア様!」
「え」
「起きてくださいませ。まったく、貴女には構っている時間なんてないのに。早く支度をしてください」
妹よりも温度がこもっていない、冷淡な声でそう呼び掛けられる。
目を覚ますと、豪奢な部屋が目に入った。
自分の部屋ではないことに驚き、「目が見えていること」も忘れ固まる。そして唯一その理由を知っているだろう、声をかけてきた人物に目を移した。
「あ、の」
「早くしてくださいね。本日のお召し物はこちらに。いくら『皇室の落ちこぼれ』のマリア様とはいえ、お食事には出席されないと世間体がありますから」
そう、彼女は告げて出て行ってしまった。
足音が聞こえないことからも、扉近くで待機しているのだろう。
私は大混乱する脳内をそのままに、とりあえず立ち上がった。
目が、見えている。死んだはずなのに――生きている。何一つ意味が分からない。
死んだのは、私の夢だったのか。否、『29年間生きてきたこと自体』が夢だったのか――?
汗が噴き出してくる。
とりあえずどんどん深みにはまっていく思考を停止し、現実逃避をすることにした。つまり、明確な目の前の指令「支度をしろ」に従った。
用意してある洋服を持ち上げてみると、ひらひらの花柄のドレス。嘘だろ?とアラサーの自分が囁く。
乾いた笑いをこぼしつつ、部屋に立てかけてあった鏡台の前に立つと――それはそれは美しい、少女が立っていた。
透き通る長く綺麗なプラチナの髪は、枝毛一本見つからない。
そして宝石のように輝く瞳は、長い睫毛に囲まれてキラキラと存在していた。
吊り目がちな顔は少し意地悪そうだが、それ以外は完璧な美を体現している。ただの6歳くらいの少女なのに、惚れ惚れしてしまった。
半ば夢見心地のまま、ドレスを手に取り身に着ける。
知らないはずのドレスの着方は何故か知っていて、すんなりと着ることができた。
「……出来ました」
「あら、相変わらず遅い支度だこと。使用人を待たせることがそんなに楽しいのかしら?
ほら、お兄様たちはもう揃っていますわよ」
彼女はわざと私を傷つけるようにそう言葉を投げかけてくる。しかしアラサーの私にとっては屁でもない。むしろ「何か怒らせる行動をとったのだろうか?」と心配になった。
平然としている私の姿に目を見張った彼女は、無言で歩を進めた。私もその後についていくと、ほどなく先程の部屋よりも豪奢な部屋にたどり着く。どうやら私の当初いた部屋は、この建物の中ではランクが落ちた部屋だったらしい。
扉を開けると、美少年たちが勢ぞろいしていた。
「――遅いぞ、木偶。早く座れ」
「……はい」
声を発したその人に、見覚えがある。
「本気で驚いた時、人って意外に冷静なのね」――そんなことを考えつつ、私は席に着いた。そして考えたくない現実を突きつけられ、小さくため息を吐いた。
私の真正面に座っている3人の美少年。彼らは私の兄弟である。そして見覚えがあるのはその中の一人、『エイジ=ファントム』――生前やっていた乙女ゲーム『恋する★戦乙女』、通称『こいせん』の隠しキャラクターだった。
馬鹿を言うなって?でも現実なんだから仕方がない。
ついでに言うなら私の姿も、こいせんの悪役ヒロイン『マリア=ファントム』そのものだ。先程鏡を見た時に発狂しなかっただけでも褒めてほしい。必死に現実逃避していたのに、こんなところで現実を突きつけられ、今すぐふて寝したい気分だった。
「相変わらず、辛気臭い顔だな。もう少し愛嬌よくできんのか」
そう話しかけてきたのは父バッハだ。ロマン王国の国王で、この国を軍事独裁国家にした一番の要因。『強さこそ最重要』という彼の信念のおかげで、弱い私は「木偶」と呼ばれることになる。勿論、使用人からの扱いが雑な理由もこの男にあった。
そしてこの作品の悪役令嬢、マリアは幼少期とてもいい性格だったのだ。通常の悪役令嬢のように高笑いや意地悪もしない、すごくいい子で、おとなしい子。そんな彼女があることをきっかけに悪役令嬢化するのだが、それはまた後々考えるとして。――そんな「いい子」で「弱い」存在のマリアが食い物にされないわけはない。
エイジはともかく、にやついてこちらを見る兄弟二人が憎たらしいったらありゃしない。バッハも私が泣いて謝るのを楽しみにしている、そんな顔つきだ。
私は小さく息を吸い、小さな掌を握りしめた。
「あら、両親譲りの子の顔が辛気臭いというなら、父様や母様のお顔も辛気臭いってことになりますわ」
「なっ!」
「でも私はお父様とお母さまが大好きなので、自分のお顔も好きですわ。お兄様たちはどうかしら?」
海のような青い瞳を持ち上げ、自信ありげにまっすぐ見据えると兄弟二人はそろって顔を赤くする。どうやら怒らせてしまったらしい。エイジもぽかんとこちらを見つめてくる。
バッハも呆気に取られていたが、コホンと息を吐き出すと「木偶が何を」と呟いた。
「エイジ」
「はっ!」
「こいつを懲罰房に閉じ込めろ。どうやら勘違いしているらしい。行け」
「……父様、食事は」
「不要だ。さっさと行け」
「――かしこまりました」
行くぞ、とエイジは無表情でこちらに手を伸ばす。
私は椅子から降りると、机の上の丸パンを手でつかみ、そのまま口に入れた。
兄弟や両親は驚きのあまり、制止するのを忘れている。
皇女マリアが絶対にしない行為。あきらかな、マナー違反。
丸パンを飲み込み最低限の食欲を満たすと、エスコートの手を取り、固まるエイジを半ば引っ張る形で歩を進めた。
懲罰房への行き方は、脳にインプットされている。
自分から暗い部屋に入り、「お兄様、鍵を閉めてくださいませ」と声をかけるとエイジは眉を上げた。
「……どういうつもりだ」
「何がです?父様の命令に従っただけです」
「父様に皮肉を言われたら泣く。反論はしない。ましてや手掴みでパンを食べるなんて野蛮な行為はしない。それが僕の知っているマリア=ファントムだが」
マリアに似たプラチナ色の短髪に、青い瞳。
ゲームの中での彼は悪役で異常な存在感だったが、目の前の彼はただの少年である。
なんだか可笑しくなってしまって、笑いを漏らした。
「何が面白い」
「いえ、別に。けれど、私はただの6歳です。第一皇女の前に、ただの女の子なんです。らしくない行動をとる――そんなこと、そこまで驚くことじゃないでしょう?」
エイジは目を丸くする。
そんなエイジに「早く鍵を閉めてください」と促すと、無言で鍵を閉めた。
さて、ここからが本番である。
懲罰房に閉じ込められたのが思いのほか早かったが、こちらとしては都合がいい。
部屋の上部にある窓からわずかな月明りしか届かない、そんなほぼ暗闇の部屋で、私はこぶしを握った。