70.第一章最終話.東区第一域 東大通り付近 ②
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あの時に受けた心の傷は、決して癒えてはいない。今でもラルコのことを想うたびに、胸が締め付けられるように痛くなる。
でもそれを表に出さないくらいには、強くなった。
彼女には使命があるのだ。
勇者になること、魔王を倒すこと。それを果たすまでは、もう泣かないと決めた。
「ふえー、これが東門かあ」
東門は、王城の裏門にあたる北門よりも、構えが一回り大きい。
ここを起点とする東大街道は、はるか大海へと続く交易の大動脈だ。街道の一部となる東大通りは、北の大通りと較べると倍も幅が広く、そこを埋め尽くす馬車や人の群れは、見ているだけで眼が眩むほどだった。
シーニャは門の正面に立って周りを見回し、それからそびえ立つ石造りのアーチを見上げながら、城壁の中へ向かおうとした。
門は大きく開かれ、一般の市民も自由に出入りしている。この際だからちょっと見物して行こうと思い立ったのだ。
真下から見上げると、城門の大きさが改めて実感できる。暁の館の中央塔がそっくり入ってしまうのではないかとさえ思った。
「ほええー、すげーなあー」
石の天井を見上げながら、田舎者まる出しの間の抜けた声とともに大門を通り抜ける。
と、やはりと言うべきか、通行人とぶつかってしまった。
「きゃあっ」
「あっ、ごめんなさい!」
相手の若い女性が、ぶつかった拍子に荷物を落としてしまった。
「わっ、大変」
「ああっ」
肩にかけていた大きな布鞄が地面に落ち、中身が散乱してしまった。二人は慌てて拾い集める。
(これ全部、本? こんなに沢山。うわ、難しそう)
それは十数冊もの分厚い本だった。
手に取ってみると、表紙を見ただけで高度な学術書ということが判る。というより、それしか判らない。
めくれた頁をチラリと覗いてみても、難しそうなことが書いてある以外は何も理解できなかった。
(大学の学徒さんかな。さすが王都ね)
「ありがとうございます、剣士様。ごめんなさい、前をちゃんと見ていなくて」
「いいえ、私の方こそよそ見をしていたものですから」
シーニャは拾った本を手渡しながら、相手の女性をしげしげと見つめた。
(わあ、すっごい。可愛らしい人だなあ)
よく櫛の通った栗色の髪をまっすぐに垂らし、鮮やかな黄色のローブで身を包む。
細くて華奢な手脚。身長はシーニャより頭一つ低いが、若い娘としては標準と言ったところだろう。
物腰は柔らかで、清楚。分厚い書籍の束を抱えてわずかに小首をかしげる仕草が、そこはかとない知性を漂わせる。
がさつな自分とは正反対の、品の良い正に都会のお嬢さんといった感じだ。
「剣士様……あの。失礼ですけど、女性の方でしょうか?」
彼女もシーニャを見上げながら、おずおずと声をかけてくる。
でしょうか……と。
わざとそう見えるようにしていたのは事実だが、こんな綺麗な女性から「男みたいですね」と言われるのは、やはりちょっと悲しかった。
「はい、こう見えて女です」
「ごめんなさい、違うんです! とても凛々しくて格好良くて、素敵だなと思って!」
シーニャの沈んだ声に、彼女は手を振って否定したが、実はまるで否定になっていない。
その慌てぶりにクスリと笑ってしまった。
「あなたこそ、とても可愛らしくて素敵ですよ」
そう言われて恥ずかしそうに俯く姿が、また愛らしい。
その様子を眺めながら、シーニャは「そうだ」と思い立った。
「あの。すみません、ちょっと教えてもらっていいですか?」
「はい、私に分かることでしたらなんなりと」
「いえ、大したことではないのですが、東門騎士団の庁舎ってどの辺ですか?
なにしろ王都に来たのは初めてなもので」
「あら」
と、なぜか彼女の表情が明るくなった。
「それならご一緒します。ちょうど私もそこへ帰るところだったので」
「え? 帰る?」
こんなお嬢さんが、騎士団に?
すると彼女は、いたずらっぽくクスリと笑った。
「実は私、騎士団の宿舎に住まわせてもらっているんです」
「へえー」
門の外に向かって歩き出しながら、とつとつと話し始める。
「去年、大学に通うために田舎から王都に出て来たんですけどね。
娘に一人暮らしなんかさせられないって、お父さんが。で、昔の伝手を頼って騎士団に話をつけてくれたんです。
あそこなら絶対安心だからって。でも若い騎士も多いから、もし変なことをする奴がいたらすっ飛んでって殴り倒してやるって」
クスクスと笑う彼女は、実に楽しそう。
平和ってこんなにいい匂いがするものなのかなあと心和む一方で、これまで自分が過ごして来た殺伐とした日々を振り返って、少しだけ寂しくなるシーニャだった。
「でも本当は、騎士団の宿舎は一般人は利用できない規則らしいの。当たり前ですけどね。
なので私も、肩書だけは騎士見習いということになっているんですよ」
「えーっ! じゃあ、私の先輩じゃないですか!」
「えっ?」
「実は私も今日から、東門騎士団に騎士見習いとして入団するんです」
「でも見習いって、だって剣士様はもう立派な……」
「様はやめて下さい。お姉さんは大学に通っているんでしょ? だったら私よりお姉さんのはずだ。
だって私、まだ十五歳ですよ?」
「ええっ!」
今度は本気で驚いた様子で、シーニャの凛とした立ち姿をまじまじと見つめる。
そんなにびっくりしなくてもいいのにな、と思いつつ改めて挨拶した。
「今日からお世話になります、シーニャ・ヴァルロシャークです。
よろしくお願いします、先輩」
帽子を取り、金髪をさらして深々と頭を下げる。
「こ、こちらこそよろし……く……!」
笑いながら顔を上げると、正面から向き合った彼女が息を飲んだように眼を見張った。
ロスコア風の顔立ちが珍しいのは判っているし、こういう反応にも慣れているので、いまさら驚きはしない。
だが、大きく見開かれた両の眼から、ほろほろと大粒の涙がこぼれ出すのを見るのは初めてだった。
「えっ、えっ。ど、どうしたんですか、お姉さん!」
「あっ。ご、ごめんなさい」
慌てて両手で顔を覆い、下を向く。だがその指の隙間から絶え間なくしずくがあふれ落ち、地面に黒い染みを作っていくのを見て、シーニャはさらに狼狽えた。
「あの……えっと、大丈夫ですか」
自分でも抑えきれないのか、彼女はしばらくそうしたまま、俯いて肩を震わせていた。
いったい何が起きたのか。呆然と見守るシーニャに、ようやく落ち着いたらしくおずおずと顔を上げ、笑いかける。
その眼には、まだ戸惑いの色が残っていた。
「本当にごめんなさい。あなたの瞳を見たら、昔の知り合いのことを思い出しちゃって」
「そうなんですか……」
彼女はふたたび顔を伏せると、両手の袖でゴシゴシと拭いた。
その仕草になぜか、都会のお嬢さんには似合わぬ幼さを感じた。
「ロスコアの人なんですか?」
「うん……、いえちょっと……。もう何年も会ってないんです。どこにいるのかも判らなくて」
「大切な人なんですね」
自分にだって、そういう人はいる。別れてからまだ一年も経っていないけれど、抱えている寂しさと不安はきっと、彼女と何も変らないはずだ。
「大丈夫。いつかきっと、必ず、また会えますよ」
必ず。そうに決まっている。
「うん、ありがとう」
正面からじっと見つめてくるシーニャの言葉の力強さに、彼女もうなずく。
それから、ニコリと笑った。
「ふふ、今日はとっても素敵な日だ。
シーニャさん、あなたとお友達になりたいな」
「私の方こそ、よろしくお願いします。えっと……」
「ああっ、ごめんなさい! まだ名前を言ってなかった!」
慌てたように口に両手を当てる。
警戒心のまるで感じられないその仕草に、思わず頬が緩む。
(いいなあ、とても表情豊かな人だ。ただお上品なだけじゃなくて、どこかホッとする。
なんだろう。ちょっと懐かしいような、森の匂いがする)
「では改めまして。よろしくお願いします、シーニャさん」
先ほどの涙顔が嘘のような、眩しいほどの笑顔とともに手を差し出す。
「私はラキィ。ラキィ・カンターラです!」
第一章『魔王』 完
第二章『勇者』へ続く




