70.第一章最終話.東区第一域 東大通り付近 ①
初夏の日差しがまぶしい、水の精の月 (七月)の初め。
王都ガレイドの中心部、王城北門そばにある駅馬車の停留所は、大小さまざまな馬車や大勢の人々が行き交い、大都会にふさわしい賑わいを見せていた。
国土の八割を平地が占めるブルメリアでは、道路網が十分に発達しており、駅馬車は王都と地方を結ぶ重要な交通機関の一つとなっている。
停留所は王城の周辺、東西南北に四カ所設けられており、それぞれが各方面へ向かう旅の拠点となる。
北停留所は、文字通り北部地方への出発点だ。駅馬車はカラルカ大山脈のふもと、サルーエル侯爵領へと続く百五十カマールの道のりを、数々の都市や宿場町を経由しながら片道十日前後の日数をかけて往来する。
街道の途中には、聖王宮を擁するカリグー山がある。聖王宮には全国から参拝者が訪れるので、駅馬車にもカリグー行き専用の便が設けられていた。
交易の拠点としては他の三駅に較べて規模は小さいものの、これが故に人の数は勝るとも劣らない。
春先の羊の群踏にも似た人の波をかき分けるように、今また一台の駅馬車が到着した。
二頭立てで、幌付きの大きな客車を備えている。とはいっても高級な四輪馬車などとは似ても似つかぬ、客車というよりも荷車と呼ぶ方が相応しい粗雑な造りの、庶民向けの乗合馬車だ。
御者が停車を告げると、荷台の後部から乗客たちが次々と降りてくる。客はみな旅支度で、大きな荷物を担いだ商人らしき姿の者も少なくない。
安賃馬車のこと、荷台には扉があるわけでなく、乗降のために梯子が掛けられることもない。客たちは勝手に飛び降り、あるいは年寄りや大荷物には先に降りた者が手を貸すなどして、客同士で助け合っている。
始まりは見ず知らずの他人でも、長い時間を共にするうちに仲間意識が芽生え、はては家族同然に心が通じてしまうのも、常のこと。
馬車を降りた後も乗客たちはみな別れを惜しみ、連絡先を交換したり、あるいは抱き合って涙する者までいる。
「よいしょっと。はい、お疲れ様」
「ありがとう!」
長髪の若い剣士が、小さな女の子を抱き上げて荷台から降ろした。
「ううん、どういたしまして」
「本当に有難うございました。おかげさまで安心して旅が出来ました」
女の子の母親が剣士に頭を下げる。
二人は、王都で働く父親に会うために、はるばる北の地からやって来たのだ。
駅馬車の旅は比較的安全だとはいえ、女二人きりの旅路はやはり不安が多い。偶然乗り合わせた剣士が保護者役を務めてくれたおかげで、母娘が長旅を心安らかに過ごすことが出来たのは、確かなことだった。
「いいえ、私の方こそ。サリアちゃん、いっぱいおしゃべり出来て楽しかったよね」
「うん、楽しかった!」
「では失礼いたします。剣士様もお気を付けて」
「ありがとうございます。チャオ(バイバイ)、サリアちゃん」
「チャオ! シーニャお姉ちゃん!」
大きく手を振りながら、母娘が去って行く。
シーニャは二人が雑踏の中に消えるのを見届けると、背中に回していたつば広帽を目深にかぶり、白金にきらめく長い髪をかき上げて帽子の中に押し込んだ。
人目を避ける必要はないが、街中でむやみに注目を浴びるのは好ましくない。これでも、目立ちがちな容姿について自覚がないわけではないのだ。
派手な金髪と蒼い瞳を帽子で隠し、男性並みの長身は旅の剣士の装いで誤魔化す。
誇らしげに突き出た胸は、うつむき加減で。
衆人と眼をあわさぬよう静かに歩き出す。
とはいえ、初めての王都にはずむ気持ちは抑えきれない。
カリグー山からほんの二十カマールの距離にある王都ガレイドは、だが彼女にとっては生まれて初めて足を踏み入れる大都会だ。
停留所の雑踏を抜け出ると、ほっと息を吐いて辺りを見渡した。
「さてと。慌てることはないし、のんびりと歩きますか」
この春、暁の館を卒業した彼女は、サルーエル侯爵領の地方騎士団で三ヶ月の研修を終えた後、今日から騎士見習いとして東門騎士団に入団することになっていた。
東門騎士団の庁舎は、当然のことながら東門付近にある。北停留所のある北門からは歩いて約半時といったところだ。
シーニャはポケットから地図を取り出し、小さくため息をついてから、城壁をめぐる外堀通りを歩きだした。
「とりあえず堀に沿って進めば、東門へはたどり着けるはず。そこまで行ったら、誰かに聞けばいいのよね」
スカラーツ先生が書いてくれた地図には、意味不明な数本の線と〇と×の記号しか描かれていない。これで目的地にたどり着けという方が土台無理な話だ。
はなからそんなものに頼る気がないシーニャは、落胆することもなく散歩気分で歩き出した。
―― * ―― * ――
ラウンディール砦での惨劇から、はや一年が経とうとしていた。
あの事件は、暁の館の仲間達はもとより、辺境騎士団のみならず王宮にも大きな衝撃をもたらした。
あの日、必死の思いで大河を渡り切り魔境から戻った騎士達は、森の奥に生じた金色の光を見た直後に、サングラの精神操作によって消されていた記憶を取り戻した。
一緒にいるはずの二人の姿がないことを知ったシーニャは、半狂乱になって再び川の向こう岸へ向かおうとした。
だが船はすでに失われ、こちら側に係留されていた渡河船もすべて、桟橋ごと流されている。彼女はそれでも泳いで渡ると主張したが、川の中はいまだ巨魚や魚竜達の狂乱が続いており、生身の人間が泳いで渡るなど不可能なことは明らかだった。
それだけではない、異変は川のこちら側でも起きていたのだ。
嵐が湧き起こるとともに、森にすむ動物達や魔獣が一斉に恐慌状態に陥った。森中が逃げ惑う動物達で溢れかえり、ラウンディール砦もその渦中に投げ出され騎士団は対応に追われた。
だが恐怖に駆られ闇雲に突進してくる猛獣達には立ち向かいようもなく、みな樹上に逃れ足下で繰り広げられる惨劇をただ見守ることしか術はない。
混乱は陽が落ちるまで続き、砦は獣たちの暴走によって建物のほとんどを破壊され、半ば壊滅状態に陥った。
唯一救いと言えるのは、ヴァイザルの民と天覇龍がその朝早くに旅立っており、惨禍を免れたことだけだった。
翌日、騎士団はようやく平静を取り戻したコングリート川を急ごしらえの筏で渡り、二人の探索に向かった。
そこで彼らが見たのは、森の奥に広がる一カマール四方にも及ぶ焼け焦げた大地。そしてその中央に残されていた、一本の剣。
形状と刻印から、剣はサングラのものであることが確認された。
そのすぐ傍には、燃え尽きた、辛うじてそれと判る人型の黒い焼け跡。それが何者のものであるかは、誰の目にも明らかだった。
だがもう一本の剣、もう一人の痕跡がどこにも見当たらない。
狂ったように泣き叫ぶシーニャの頬を、スカラーツ先生が張り飛ばした。
「落ち着けシーニャ。ラルコは無事だ」
「どうして?! どうしてそんなことが判るのよ!」
「見ろ、この剣を。こいつをここに刺したのは誰だ」
「あっ……!」
騎士達の注目が、サングラの剣に集まる。
続いて、ウォーラマ副団長が号令を発した。
「地面をよく調べろ! 立ち去ったのなら、足跡が残っているはずだ!」
痕跡らしきものはすぐに見つかった。
ひとつは、探索路を森の奥に向かって進んでいる、魔獣らしき群れの足跡。そしてもう一つ、魔獣とは別の方角へ向かう、人間の靴の跡。
どうやら魔獣を追って行ったのではないようだが、ではなぜこちらへ向かったのか。
更に追跡しようとしたが、風に吹かれたか、足跡は百マールも進まぬうちに消えてしまっていた。
その後も連日探索は続けられたが、結局最後まで手掛かりを得ることは出来ず、一五歳組は一ヶ月ほど滞在したのち、失意とともに砦を後にした。




