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69.訣別の運命


―― * ―― * ――


 タイガの森に、嵐が吹き荒れていた。

 静かな森の一角に突如生じた漆黒の旋風は、周囲の木々を飲み込みながら次第に大きさを増していき、ついには直径一カマールにも及ぶ龍嵐の結界を形作った。

 結界の中には陽光さえ届かず、暗闇に烈風が吹きすさぶ。風は灼熱をおびて、森の木々を焼き大地を茜色に照らした。


 嵐の中心に立つのは、片腕の少年。いや、少年の形をした何かだった。

 闇よりも黒い影。血の色に染まる双眸。全身から放たれる凶気は、世界を絶望の海に沈めて、なお余るほど。

 その者は声を放つ。言葉にならぬ叫喚は、だが誰の耳にも明らかな意味をともなっていた。

 すなわち『世界よ呪われろ』と。そして『世界よ、我を呪え』と。

 足元に落ちていた右腕が剣を握ったまま宙に浮かび、欠けた肘に吸い寄せられる。

 叫声はやがて哄笑へと変わり、その響きがさらなる嵐を呼んだ。


 少年の傍らでは、一体の魔人が身を横たえ、焼け溶けた身体から黒い血を流し死の苦痛にあえぎながら、歓喜に眼を輝かせていた。


「王よ! 王よ! そこにおられたのですね!

 あああ……我は信じておりました! あなたは不滅だと! 人になど滅せられるはずがないと!

 我はここに! 今ここに! 再び忠誠を誓いましょう! 暴嵐のゴウラの復活と、氷酷の魔王国の再興に!」


 四肢は焼け崩れ肉体は滅びの淵にあってなお、(ゴウラ)は黒き光を失わず。マドゥクランは声を限りに歓喜をうたい、吹きすさぶ嵐に負けじと魔王の復活を言祝ぐ。


「ゴフッ……。ガハアッ!

 我が魂底の……歓びをもで……!

 ごの身を……! ゴウラの全でを……! 我が王に……さざ……げ……」


 だが少年は聞かず、見ず。そして知らず。

 魔人の歓声がやがて枯れ、その魂とともに風の彼方に散り去ろうとしたことも。その時、闇茜(ガラスロジェ)の結界に乱入する者がいたことも。

 それは小型犬ほどの大きさの、鼠とも猿ともつかぬ姿の魔獣の群れ。それらは外の世界から黒い嵐の中に突入してくると、熱気に身を灼かれながらも臆することなく魔人のもとへと馳せ寄り、もはや肉塊となり果てたその身体の上に自らの身を投げ出した。

 するとどうしたことか、魔獣の肉はマドゥクランであったものと交じり合い、溶け合って一つになる。

 続いて別の一体が。さらにもう一体が。

 魔獣は次々と飛び込んで来ては、魔人であったものにその身を捧げて行く。やがてそれは秩序もなく無数の手足と頭部を生やした、奇怪な肉の造形物となり果てた。


 そして更に。

 肉の塊が不気味な蠕動を始めるとともに、その内側から骨の砕ける音と何かをすりつぶすような不快な音が響いてきた。

 そう、魔獣の肉が咀嚼されているのだ。

 やがて肉塊は無数の手足を全て身の内に沈め、続けてあらたな四肢と頭部を顕す。

 ほどなく、以前と寸分たがわぬ姿の魔人が、大地を踏みしめゆっくりと立ち上がった。


「グククク……。

 王よ! ああ、王よ!」


 復活したマドゥクランは諸手を広げて、漆黒の王に声を捧げる。


「さあ、共に参りましょうぞ! 世界に再び、血と破壊と絶望の楽土をもたらさんと!」


 だがやはり、少年の影は何の反応も示さず、ただ立ち尽くすのみ。

 魔人が王の前にひざまずき、手を差し伸べようとしたその時。漆黒の影を破って、金色の光がほとばしった。



―― * ―― * ――



 ルミニア・ブラージェ副王率いる騎士団がそれを見たのは、砦に帰還すべく渡河船で川に漕ぎ出して、まもなくのことだった。


 雲一つない晴天に突然の強風が吹きすさび、穏やかだった水面に荒波が立ち始めた。

 いぶかしむ暇もなく風は急激に強さを増し、ついには嵐のごとき烈風となって船の前進をはばむ。

 騎士達はアウラの光を櫂に流し込んで両舷に展開させ、船体を安定させようと試みるが、川面は千々に乱れ、頭上を越えるほどの高波が襲いかかってくる。川船としては比較的大きさに余裕があるはずの中型船も、外海の嵐のような大波の前にはなす術もなく翻弄された。


「何だこの風は!」

「くそっ、どうなってんだ!」

「おい、あれを見ろ!」


 その時、騎士の一人が叫び声を上げた。

 指差す先に眼を向けると、森の奥に真黒な龍嵐が湧き立っていくのが見えた。

 風は黒雲を中心に吹き荒れ、ちぎれ飛んだ木々や土砂を巻き込んで、渦巻く濁流のような景色を森の上空に描き出している。

 龍嵐の雲は、だが周囲の土煙とは一線を画す、闇の暗さを湛えていた。

 それはまるで陽の光さえも拒絶するかのような、そして奥底にほのかな血の色をにじませる、闇茜(ガラスロジェ)。数カマールの彼方にあってなお見る者の魂を引きずり込もうとする、漆黒の奈落。

 騎士達は櫂を漕ぐのも忘れ、そびえ立つ異形の風景にしばし眼を奪われた。


「左舷警告! 衝撃に備えろ!」


 先頭を進む一艘で、水先の叫び声が響く。その直後、大きな衝撃音とともに船体が宙に浮いた。

 船と変わらぬほどの巨大魚が、横から体当たりしてきたのだ。

 騎士達は振り落とされそうになりながらも何とか体勢を保とうとする。だがその後も、他の二艘にも大小さまざまな魚の群れが次々にぶつかり、船体をきしませた。

 見渡せば、川のあちこちで大小さまざまな魚や鰐、水棲の魔獣などが跳び、あるいは川の中を狂ったように疾走している。どうやら異変は水上だけでなく、水中にまで及んでいるようだ。

 それだけではない。空では多くの鳥が旋風に巻き込まれ、黒雲に飲み込まれて行くのが見える。だが鳥達はそれでも、飛び立つのをやめようとしない。

 みな何かに怯え、理性を失っていた。


 それは動物達だけでなく、人間も同じだった。

 森の奥にそびえ立つそれを眼にした瞬間、誰もが奈落に引きずり込まれるような恐怖におののいた。

 そこにあるのは、破滅。絶望。死と破壊の衝動をまき散らす、底知れぬ悪意。

 騎士達は悪夢に追い立てられるように夢中で櫂をこぎ、対岸を目指した。

 その間も、狂乱に陥った巨魚や魚竜との衝突は続く。ついには一艘が舷側を破壊され航行不能に陥ってしまった。

 他の二艘が乗員を助け出したが、そちらも無傷というわけではない。

 櫂は半数以上が折れ、船体には穴が開き浸水が始まっている。

 予備の小型艇は水に降ろした途端に大波にあおられ転覆してしまった。

 もはや船が沈むのが早いか、岸に着くのが早いか。死にもの狂いで櫂を漕ぎ、到着直前で水に没した船を捨て、猛魚に追われながら泳いで岸にたどり着いた。

 そして陸に上がり、対岸を振り返ったその時だった。


 闇の底から突如あふれ出した閃光が、黒い龍嵐を切り裂いた。

 それはまるで、森の底から太陽が生じたかのように。

 金色の夜明けとともに、嵐は始まった時と同様唐突に止み、黒雲は消え去る寸前、曙光に照らされて虹色に輝いた。



―― * ―― * ――


 金色の光芒の中で、少年はすべての記憶を取り戻した。


(そうか、やっと全部理解できた)


 自分が何者なのかも。言い知れぬもどかしさの正体も。

 なぜ自分があの泉に現れたのか、なぜ勇者や魔王という言葉に不可解な不安や怖れを抱いたのか。

 全ての答えは己の(アウラ)の中にあった。


(僕は、勇者などではなかった。僕こそが倒すべき敵、魔王だったんだ)


 魔王という他者の魂を隠し秘めていたわけではない。あの暴嵐の記憶は、紛れもなく自分自身のものだ。

 失われた記憶。それはかつて魔王であったこと、気まぐれに人を襲い、街を国を滅ぼしたこと、世界を地獄に陥れようとしたこと。

 (アウラ)は告げていた。隠された秘密が知れた時、世界は敵になる、と。


(そうじゃない、僕が世界の敵だったんだ。

 人間の王となり人々を従えてやるというあの言葉も、僕自身のものだ。僕は、再び世界を滅ぼそうとした)


 あのまま闇に陥ちていたら、間違いなく魔王が復活していた。それも、人の姿を持ち人の間に隠れ棲むという、最悪の形で。

 想い返すだけで恐怖に身体が震える。

 そうならずに済んだのは、今自分を包んでいるこの光が闇を切り裂いてくれたおかげだ。


 彼女が守ってくれた。

 彼女が与えてくれた真名(ヴェリナ)が、魔の呪縛から解き放ってくれた。


(ラキィ! ラキィ!)


 ラルコは、胸の奥に輝く金色の芒星を抱きしめた。涙が止まらない、今すぐ彼女のもとへ飛んで帰りたい。


(駄目だ。僕はまだ、何も成し遂げていない)


 魔王であったという事実、それは決して消し去ることのできない原罪だ。この大いなる罪を(あがな)い尽くすまで、安らぎを求めることなど許されない。

 でも、この罪をどう償えば良いのだろう。

 人として、勇者として、人々の住む世界を守る。新たな敵、再び生まれたという魔王と魂を賭して戦う。

 それ以外に出来ることはない。そのために生を受けた。

 でも……。


「僕はもう、あの場所へは戻れない」


 つぶやきとともに、仲間達の顔が、シーニャの笑顔が脳裏に浮かんだ。


(僕は彼女の敵だ。たとえ彼女が真実を知ることがなくても、その事実に変わりはない。

 僕には、彼女の隣に立つ資格がない)


 では、どこに向かえば良いというのか。

 世界の何処にも自分の居場所などない。出来ることなら、この世から消えてしまいたかった。

 だがそれさえも、決して許されることではないのだ。

 例えようもない喪失感に身体がすくむ。足を踏み出そうとしても、その勇気が出なかった。


 ふと前を見ると、魔人が跪き歓喜に身を震わせながら何事かを訴えていた。


(気が付かなかった、いつからここにいたんだ。

 魔王に忠誠を誓う? 僕と一緒に王国を築くだって?

 こいつは何を言ってるんだ、サングラを殺した(かたき)のくせに)


 怒りの衝動に駆られ、剣を閃かせると、魔人は真っ二つになった。

 だが。


「グギャッ!」


 魔人が倒れるとすぐに、数頭の小型魔獣が飛び込んで来てその身体を担ぎ上げた。

 半分ずつの肉体が合わせられると、マドゥクランは再び声を上げる。


「まさに孤高! 我が助力など不要と申される!

 さもありましょう! なれば我は我の望むことを成すのみ!

 我は予言する、あなたはいずれの日か必ずや北へ向かい、かの偽の王と雌雄を決すると!

 ならば我は南へ向かい王国を、王の軍団を育て上げましょう! 来るべき決戦の日に、王の一翼となすために!

 あああ誤解なされませぬよう! 決して王の為などではございませぬ!

 全ては我が望み! 王のために身を投げ命を尽くすことこそ、我が至高の歓びに他ならないのです!

 なればこそ、今ここで王に殺されるわけにはまいりませぬ!

 今日はこの場を去りましょう! 再びまみえる日を夢見て、我はかの地にて精進を尽くし力をたくわえましょう!

 来るべきその日まで!

 どうか王よ……!

 壮健であられんことを……!」


 マドゥクランは、魔獣たちに担ぎ上げられた格好のまま、森の彼方へと走り去って行く。

 後を追いとどめを刺そうという気持ちには、何故かならなかった。

 すでに彼の者に対する興味は失せていた。今望むのは、静寂の中にひとり佇み絶望に息を吐くことだけだ。

 眼を伏せ足元に視線を向けると、そこに人の形をした黒い染みが残っていた。


(サングラ……)


 それは、かつて友であったものの名残り。


(君がいてくれなかったら、仲間を助けることは出来なかった。僕の魂も魔人の餌食となって、再び人類を害する敵となっていたことだろう。

 君は世界を救ったんだ。本当にありがとう)


 ラルコは近くに落ちていた彼の剣を拾い上げると、黒い人形(ひとがた)の傍らに突き立てた。


(君の魂はここに置いて行く。きっと後で皆が迎えに来てくれるよ。

 でも君の想いは、一緒に連れて行っていいかい? これからもずっと、僕のそばにいて欲しいんだ)


 胸の奥に微かに残る若草色(ジュヌハーブ)のきらめきを、そっと握りしめる。それは、金色に輝く星とともに彼の心を温かなもので満たしてくれた。


(さあ行こう。ここではない、何処でもない何処かへ。

 僕は使命を果たす。たとえ独りきりになろうも、世界中から許されざる敵と誹られようとも。

 ラキィとの約束を守るために。そして僕が僕であるために)


 絶望を胸に秘め、希望を友に抱いて。

 少年はひとり、森の奥へと去って行った。




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