66.魂を喰らう獣
広大な光の海の中を、無数の黒い槍が縦横に暴れ回る。
もはやラルコに抗うすべはなく、食い荒らされた魂は、蛾虫の群れに襲われた若葉のごとく無残な姿をさらしていた。
朦朧とする意識の中、ラルコは最後の気力を振り絞って、右手の剣にアウラを注ぎ込んだ。
(この剣を、大槍と化し……、必殺の……一…撃で……、魔人……を……)
「xxxXX!」
そのわずかな動きすらも、マドゥクランは見逃さなかった。
魔人が薄笑いを浮かべながら声を放つと、傍に控える魔獣は瞬時に爪剣を閃かせ、ラルコの右腕を肘から斬り落とした。
(がああっ!)
激痛に転げ回ろうとするも、身体はその場に横たわったまま、わずかな痙攣を見せるのみ。
地面から顔を上げることすらかなわず、ラルコは泥にまみれた口元から苦鳴を漏らした。
「ククク、殺しはせぬ。殺してしまったら、この素晴らしきゴウラまで失ってしまうゆえにな。
生きたままに貴様を喰らい尽くし、その身に秘めたる力の全てを我がものとしてくれるのだ」
「ぐぐ……く……」
「悔しいか、悔しいであろう。貴様の屈辱がよく見える。
ククク……。汚辱が積もれば積もるほどに、よりゴウラは汚れ旨味も増す。
あああ、この上なき楽しみかな。これこそ人の人たるゆえん、我が同胞には持たぬ美味なる魂よ。
この美味ゆえに、我は人を喰らうのが好ましいのだ。あまりに喰らいすぎて人に似てきたなどと、同胞に揶揄されるほどにな。
だがそれもまた、良きかな。ククク、クククッ」
魔人は含み笑いに侮蔑を込めて投げ下しつつ、片足を上げラルコの頭を泥土の中に踏みつける。
その屈辱は、だが崩壊の際にあるラルコの魂の中ではごく小さな瑕疵に過ぎず、マドゥクランの期待ほどには沸き立たない。
その時、わずかに残された彼の自我は、自分の中で起こりつつある別の事象に向けられていたのだ。
(だめだ……、それに……触れてはいけない……)
大きなうねりが、ひとつ。またひとつ。
ラルコの精神世界では、無残に食い荒らされた白い光の奥底で、姿の見えない何者かが目覚めようとしていた。
黒い光の群れは一斉にそこに向かおうとするが、なぜか寸前で踵を返し、再び矛先をむけては躊躇するという不可解な動きを繰り返していた。
まるで何かを、そこに潜む何者かを恐れるかのように。
「クク、我がゴウラが恐怖に震える。
ああ何と芳しきかな、暴虐の残り香よ。貴様が何者であってもかまわぬ。そのゴウラを喰らい尽くせば、全ては我がものとなろう。
ククク、ククク」
魔人が眼をつぶり、天に祈るように諸手を掲げる。
するとそれに呼応するように、無秩序に飛び回っていた黒槍の群れは一定の方向へと流れを変え、しだいに渦を巻き始めた。
渦は速度を増しながら中心部へと収束して行き、より強固な力を生み出す。
より速く、より硬く、より鋭く。ついにはすべてが一つとなり、高速で回転する一本の大槍と化した。
「では、参る」
ゴウラの黒い大槍が、ラルコの魂の最深部、白く輝く水底にその鋭端を突き立てた。
(が……アアアアア……!)
魂の中心に巨大な槍を打ち込まれ、容赦ない旋撃で削られえぐり取られていく。
抗うすべはなく、死に逃げ込むことすら許されず、この世の全ての苦しみを合わせてもなお及ばぬ。無限の痛苦。煉獄の責苛。
そして漆黒の悪意に撃たれた白のアウラは、苦悶にあえぐラルコの意思とはうらはらに、秘め隠していた別の感情を顕わにする。
闇に応するように。今こそ光の牢獄を破らんと、無垢の大地に鮮血の亀裂を走らせる。
それは、まぎれもない喜悦であった。
「ククク、ククク……、クハハハハッ! ゲッ!ゲッ!ゲッ……!」
魔人はもはや興奮を抑えきれぬといった様子で、哄笑を轟かせながらラルコを見下す。
耳まで裂けた口の奥から剣のごとき牙をのぞかせ、青黒く二又に分かれた舌をうごめかす、そのおぞましい姿は正しく魔獣以外のなにものにも非ず。だがそこに浮かんでいる表情は、やはり人間のそれと酷似していた。
やがて満足したのか、マドゥクランは笑いを止めると、ラルコの頭を掴み取ろうとゆっくりと手を延ばす。
その右腕が、音もなく魔人の肩を離れ、地面に落ちた。
「ッ……!」
驚愕に眼を見開く暇もなく、続いて肩口から腹部にかけて大きく傷口が開いたかと思うと、何かに蹴り飛ばされたかのように後方に吹き飛んで行った。
さらに、傍らに立つ魔獣も顔面から胸へと一直線に裂け目を走らせ、大量の血をほとばしらせながら後ろへ跳び退る。
「ななっ、何事かっ!」
「グオッ! ギャオウッ!」
よろめきつつ、左手で肩口を押さえながらマドゥクランは立ち上がり、魔獣も前面を黒い血で濡らし狼狽えた様子で、あたりを見回す。
ラルコの精神世界の中では、魔人の制御が及ばなくなったためか、ゴウラの大槍が旋動を止め白い水底から漂い離れていた。
失われかけていた意識をかろうじて取り戻したラルコが、うつろな視線を宙に彷徨わせると、その先におぼろげな影が姿を顕し始めた。
「ラルコ! 大丈夫かっ!」
影が叫ぶ。
同時に精神世界に若草色の風が吹き荒れ、不浄なゴウラを一瞬で消し飛ばして行った。
(この風……このアウラは……、まさか!)
影は立ち上がりながら、長剣を構えた人の姿へと形を変えていく。
その背中に向かって、まだ体の自由がきかないラルコはかすれた声を放った。
「サン……、グラ……」
「しっかりしろ! い、今僕が、たた助けてやるからなっ!」
緊張と興奮で、声が震えている。今にも逃げ出したい気持ちを必死でこらえているのが、意識を読まずとも容易に見て取れた。
その後ろ姿をラルコが呆然と見つめていると、続いて声なき声が頭の中に響いてきた。
(ラルコ! ラルコ、聞こえるか?!)
(どうして、君の……)
触れてもいないのに、心の声が伝わるとは。
(僕の結界で君を包んでいるから。離れていたら無理だけど、こうすれば声にしなくても会話ができるよ!)
(そうか、でもどうして君が。皆は?!)
(君の戦いは、遠く離れても見えていたよ。ごめんね、僕が頼りないばかりに君にこんな無茶をさせて。
でも大丈夫だ。皆はもう眼を覚まして、砦に向かっている。精神誘導で記憶を操作したから、川を渡り切るまでは僕達のことなんか完全に忘れてしまっているよ。
君のおかげでみんなが助かった。だから!)
「君のことは、僕が助けるんだ!」
(待て、無茶をするな! 結界が使えるなら、このまま君のかくれんぼで逃げよう!)
(もう無理なんだ!
ここに来るまではなんとか持たせたけど、もう隠形のアウラは使い果たした。
それに、さっき魔獣を斬っちゃったから! 心が乱れて透明なアウラを練れないんだ!
だから、戦うしかないんだ!)
(馬鹿! やめろ!)
「ちくしょー! かかって来い化け物! ぼ、僕は負けないぞ!
うわあーっ! わあーっ!」
ラルコの声に逆らうように、若草色のアウラが燃え上がる。声を振り絞り、涙をほとばしらせながら。
サングラは、これまでまともに剣をふるったことはなく、その刃はただの一度も生き物を傷付けたことがない。それはラルコの弱点とは異なる、純粋な優しさのせいであった。
だが彼は彼なりにラルコの境遇に共感を覚え、弱みを抱えながらもなお前に進もうとする心の強さに、あこがれを抱いていたのだ。
サングラ・カリグーは、そのあこがれと振り絞った勇気をアウラの光に変え、剣に注ぎ込んだ。
「ググ……、獲物の群れの消えたるは、この男ではなく貴様の力であったか。
許さぬ。この痛み、万倍にして返してくれるぞ!」
マドゥクランの叫びと同時に、その身体から無数の黒槍が放たれ嵐となって彼に襲いかかる。
サングラもまた声を上げながら光剣を振り下ろすと、若草色の輝跡はつむじ風へと姿を変え、それを迎え撃った。
黒の嵐と、若草色の旋風。ふたつの力は両者の中間でぶつかり合い、激しい戦いを演じるかに見えた。
だが黒い嵐は、若草色の風に触れると一瞬で泡のように消え失せてしまい、旋風は何事もなかったかのようにそのまま魔人に向かって突進して行く。
「なにっ!」
あまりにも一方的な結果に、マドゥクランが驚愕の声を上げながら再び黒槍を放つも、やはり旋風には通じない。
一直線に襲い来るそれを魔人は跳躍してかわそうとしたが、風は獲物を追いつめる獣のごとく軽やかに身をひるがえし、その身体を容易く捕らえ込んでしまった。
「ぎゃあああーっ!」
マドゥクランが旋風の中で全身を硬直させ、絶叫を放つ。
ラルコは見た。風が、魔人の周囲だけでなく身体の内側にまで吹き抜けるのを。
その精神世界で、黒いゴウラを若草色の光が野獣のように侵し、むさぼり喰うのを。




