60.偵察行
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翌日は、十五歳組の面々は少人数に分かれ、騎士団の各隊に編入されて砦の任務につくことになった。
ラルコは、シーニャ、サングラとともにルミニア副王の隊に加わり、コングリート川の西岸へと向かう偵察行だ。
副王に随行するのは、二十数名の魔道騎士。川の西岸は、比較的平穏な東岸と違って全域が危険地帯なので、一般の騎士は参加しない。
コングリート川は、カラルカ山脈を源流とし、大陸を渡りはるか東の大海へと達する大河だ。
この付近でも川幅は優に二カマールを越え、そのうえ水中には狂暴な鰐や肉食魚が多数生息しているため、泳いで渡るなどはとても考えられないが、流れは緩やかで舟を使えば往来は難しくない。
川岸には桟橋が設けられ、大小さまざまな船が係留されていた。
今回用いるのは、中型の手漕ぎ船だ。両舷に四人ずつ八人の漕ぎ手が櫂を持ち、水先一人と舵手一人の計十人で操る。
本来は貨物輸送が目的の船で、乗員十名のみを運ぶにはやや大きすぎる船体だが、この船には荷物の代わりに緊急用の小舟が二艘積まれていた。
偵察隊は総勢三十名。三艘での渡河となる。
櫂は長く重く、これを長時間漕ぎ続けるのは常人にとってはかなりの苦行だ。
だが、アウラによる肉体強化を会得している魔道騎士には何ほどのこともない。
むしろ力任せに漕ぐと櫂の方が耐え切れず、簡単に折れてしまう。いかに力を制御し他の者と息を合わせるかが、操船のコツなのだ。
むろん、ラルコらはこういった訓練も充分に積んでいるので、問題はない。騎士団側も暁の館の研修は毎年のことなので、対応も手慣れており、ごく当たり前に櫂を預けてきた。
総員が呼吸を合わせ、一体となって櫂を漕ぐ。
今朝は昨日の雨も上がり、空は晴れ渡っている。川面を渡る風が、汗ばむ肌に心地良く感じた。
魔道騎士の超人的な膂力で操られた渡河船は、高速艇のごとき猛烈な速度で水面を駆け抜け、二カマールの距離を十小時足らずで渡り切った。
対岸にも桟橋が設けられており、上陸に問題はない。二艘の船を太綱でしっかりと固定し覆いをかぶせて、たとえ嵐が来ても失われることのないよう状態を確保してから、陸に向かった。
西岸は、東岸とは植生も異なるようで、見慣れぬ姿の木々が異様な風景を作りあげていた。
一見広葉樹の森のようだが、葉は小さくまばらで、幹は黒く太くねじ曲がっており、まっすぐに天を目指すものはない。
鳥の声もなく、吹く風はかすかに燻し香のような炭臭さを含んでいた。
騎士団は縦二列に隊列を組み、森の中に敷かれた広い道を進んだ。
道はきちんと整備されている訳ではないが、獣道とは決して言えないくらいに充分な幅を備えている。
おそらく、長い年月をかけて騎士団によって切り開かれ、踏み固められたものなのだろう。この道を進む限り、深い森の中でも迷子になる心配はなさそうだった。
副王は隊列の前方中ほど、ラルコ達は後方に位置を取っていた。
行軍の間、副王にあれこれと話しかけられ質問攻めに合うのだろうと覚悟していたが、当面はその心配もないようで安心した。
ラルコは隊列に従って歩を進めながら、意識を広げて周囲の様子を探った。
近い範囲には特に危険な気配は感じられない。風は独特の臭気を含んでいるが、毒はなさそうだ。
だが、心の奥に生じた奇妙な感覚に、次第に違和感が募りはじめる。
(これはいったい……。いや、落ち着け)
緊張を解こうと軽く息を吐いたところに、並んで歩くシーニャが小声で話しかけてきた。
「ラルコ」
「ん?」
「昨日は、あの……、ごめんね」
「あ、うん。
仕方ないさ、僕だって昨日の……副王様の話には、驚いたから」
「……うん」
ごめんねの意味は、流れてくる意識から正確に読み取れた。唇をせがむなんて、はしたない行為をしてしまったと今更ながら恥じているのだ。
そしてラルコは、シーニャの意識を読んだ瞬間にあの時の彼女の表情を思い出してしまい、その話題を口にするのが恥ずかしくなって別の話にすり替えようとした。
だが『魔王復活』という言葉を放とうとしたとたんに、心臓が締め付けられる感覚を憶え、思わず口ごもってしまった。
シーニャはそれに気付いた様子もなく、小さくうなずいた後は、口をつぐみ前を見て歩き続ける。
ラルコはひそかに安堵の息を漏らしながら、再び思考の海に沈んだ。
昨日の出来事が、シーニャや自分達の今後にどのような影響を及ぼすことになるのか、それはラルコにも判らない。判らなくても、やるべきことなら初めから知っている。
何があってもシーニャを、仲間を守り抜く。ただそれだけだ。
だが今ラルコの心を乱しているのは、いつ訪れるとも知れない未来への不安ではなく、今現在自分を襲いつつある、不可解な状況そのものだった。
ラルコは無言で歩きながら、心の内で自問を繰り返していた。
(まただ。どうしてこの言葉が、これほどまでに僕の心をざわつかせるんだ。
魔王、そして勇者。彼らが僕にいったい何の関係があるというんだ。
それに、僕しか持っていない、他者の魂とつながる能力。他人と意識を共有し、その痛みも喜びも自分のものとすることができる。いや、否応なくさせられる。
いったい何のために、僕はこんな能力を授かったのか。
僕はいったい、何者なんだ)
もどかしい。
それは彼がこの世に生まれてから、いやそうではなく、この世界で意識を持ち始めてからずっと抱いてきた感情だった。
自分が何者なのか。どこで生まれ、何のために生きているのか。
(いっそ、ドーク先生にすべてを打ち明けて相談してみるべきだろうか)
自分の異能をもってしても心を読めない、唯一の存在。あるいはあの人なら、答えの出ない問いにも道を示してくれるかも知れない。
だが、それだけは決してしてはいけないと、魂が告げる。
ラルコ自身も知らない彼の秘密が知られた時、世界は敵になる、と。
答えのない疑問。でも同時に、なぜか根拠も理由もなく与えられている答えがある。
(魔族は敵。人類は味方。そして勇者は、目指すべきもの)
では、いま自分がいるこの場所は何だろう。
この森は、明らかに人間の住むべき世界ではない。鬼気漂い魔獣が跋扈する、魔界だ。
この風に混じる臭いは、間違いなくかつてここに立ち込めていた瘴気の残滓。この程度であれば人体に害はないだろうが、それでも、この風が吹く地に人は立ち入るべきではないとする、その証に他ならない。
だがその微かな香気と周囲に広がる異界の風景に、理解不能な安息を感じ始めている自分に、苛立ちを憶える。
(ここは敵地だ。この風景が懐かしいだなんて、そんなことがあるはずがない。
僕はいったい、この森から何を感じ取っていると言うんだ)
偵察行はどうやら特別な任務というわけではなく、定例の巡回といった程度のものらしい。小隊は私語を交わすこともなく、二列縦隊で真っすぐ前を向き、黙々と行進を続けている。
騎士達の多くは、昨日の戦いで大きな傷を負っていたが、アマルルの治癒術でほぼ回復していた。
あのような襲撃は滅多に起こらないというのも、確かなことなのだろう。危険区域のただ中にいるというのに、特に緊張した様子もなく、流れてくる意識は散歩を楽しむような平穏に満ちたものばかりだ。
ただしそれは、単に任務として慣れているというだけのことであって、ここが魔界であるとの認識を忘れたわけではない。ラルコがひそかに抱いている、まるで故郷に戻って来たような安らぎとは一線を画するものだ。
(僕は、ここに来たことがある。いや、ここではないかも知れないけれど、これと似た風景を見たことがある。
あれはいつのことだったのだろう。
僕はこの景色の中で長い時を過ごしていた。
何年も、何十年も、何百年……。嘘だ、そんなことはあるはずがない。
ああ、何かを思い出しそうだ。
思い出してしまう。いやだ、思い出したくない。でも……)
その時ラルコは、堂々巡りの思考に没頭するあまり、周囲への警戒が散漫になっていたことに気付かなかった。
風の中に微かな異臭を感じた時、自分達がいつの間にか何者かに取り囲まれているのを知って、愕然とした。
(獣の臭い、魔獣か。しまった、巧妙に気配を隠して、僕達が来るのを待ち受けていたんだ。
かなりの数だ。すっかり囲まれてしまっている。
まずい、この先にはもっと隠れている。いや、それどころか!)
ラルコは、感覚を広げて周囲の状況を把握すると、悟られないよう前方を見据えたまま息を吸い、それから大声で叫んだ。
「抜剣!」
『抜剣』の合図は、奇襲を受けた際に、それに気付いた者が周囲に防御と反撃を呼び掛けるものだ。その号令は地位や役目にかかわらず、例え見習いであっても、危機に際しては誰でも発することができる。いや、しなければならないとされている。
ラルコが声を発した次の瞬間、三つのことが同時に起きた。
ラルコの声にいち早く反応した騎士達は、瞬時にアウラを湧き立たせると同時に剣を抜き放ち、数人ずつ背中合わせに円陣を組んだ。
それと時を同じくして、静かだった森が突然の嵐のように沸き立ち、周囲の木陰や藪の中から無数の黒い影が躍り出て、一斉に襲いかかってきた。
敵は鼠のような猿のような、小型の魔獣。大きさは中型犬ほどで、黒牙狼ほどの脅威ではなさそうだ。だが数が多い。
そしてラルコは、騎士達の頭上高く跳躍するとともにアウラの光剣をひらめかせ、樹上からなだれ落ちてくる敵を、一閃に薙ぎ払った。




