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58.連戦乱闘


「おおーっ!」

「いいぞ、行けー!」

「おいみんな、場所を空けろ! 酒なんか飲んでる場合じゃないぞ!」


 広間の中はたちまち大騒ぎになった。

 床に広げられていた料理や酒壺は全て部屋の外に追いやられ、向かい合う二人を中心に大きな空間が作られた。

 こうなってしまっては、いかな副王と言えど口をはさむことは出来ない。もはや主役は、新たに名乗りを上げた若い騎士に移っていた。


「タイガ辺境騎士団左翼十二番隊、ラコアン・ドォ・ジューダ。ジューダ伯爵家の三男だ。

 王族には劣るが、姫の伴侶として家柄に不足はないはず。

 ひとつお手合わせ願うぞ」


 シーニャよりも頭一つ高い、ラルコと同じくらいの背丈。細身ながら十分に鍛え上げられた肉体と、黒髪に貴族らしい品を漂わせる顔立ちは、少なくとも外見だけなら、彼女の隣に立っても見劣りしないものを備えていた。


「あははー。よくわかんないけど、楽しそうー。

 いいよー、勝負しましょー」


 シーニャは、周りを取りかこむ男どもの期待に満ちた顔をぐるりと見渡し、それから正面に立つ騎士に笑顔を向けながら、右の拳を突き出した。

 仕合に臨んでの、拳士の礼。公式な勝負として受けて立つという意味だ。

 ラコアンと名乗った騎士も、同じく拳を突き出しシーニャのそれに軽くあてる。

 場内の歓声が一段と高まった。


 ラコアンは、一歩下がって左手を前に半身に構えた。自ら名乗り出ただけのことはある、修練を積んだ隙のない構えだ。

 それに対し、シーニャは拳を前に出したまま動こうとしない。

 いや、足元が微妙にふらついている。眼の焦点も合っておらず、表情もゆるんだままだ。

 だがその揺れる拳先は相手の視線を正面からとらえ、絶妙な牽制となって間合いを掴ませない。それに気付いたラコアンは、改めて表情を引き締め、じりじりと摺り足で距離をつめて行った。


 再び互いの拳が触れあおうとした寸前、ラコアンは石火の踏み込みとともに左手でシーニャの手を払いつつ右の正拳を撃ち放とうとした。

 その刹那。シーニャの右手はラコアンの左を受けるでも弾くでもなく、その腕を絡め取るように、手首を返してクルリと一周させた。

 すると彼の身体は、その手の動きに合わせるように、まるで自ら跳んだかのごとく宙に舞った後、背中から床に落ちた。


「ぐはっ」


 シーニャは元の位置から一歩も動くことなく、薄笑いを浮かべてその様を見降ろす。


「なんだ、今のは……」

「どうなってんだ。触れた瞬間にひっくり返されたぞ」

「副団長を投げ飛ばしたのと同じやつか」


 一瞬の沈黙の後、彼女の技がただの格闘術でないことに気付いた観客達が、ざわつき始めた。


柔技(スプラァ)か」

柔技(スプラァ)ってなんだ?」

「あんなの初めて見たぞ」

「聞いたことがある。たしか関節と投げ技が主体の護身術だ」

「護身術?」


 わずかにその名を知る者もいるようだが、ほとんどの者はシーニャの妙技に眼を丸くしている。

 その間を割って、また新たな騎士が前に進み出た。


「ようし、では次は俺が相手だ!」


 そう言って彼女の前に立ったのは、パラディヌ団長にも劣らぬ筋骨隆々の大男だ。


「ガルディ・ダルク、農家の次男坊だ! 家柄なんか気にするようなお姫様でないことを祈るぞ!」

「うふふ、そんなの気にしませんよー。私だってロスコアの辺境、スノルウィーグ生まれの田舎者ですからー」


 シーニャはクスクスと笑いながら、先ほどと同じように拳を差し出した。

 巨漢の騎士も右手を差し伸べ、拳を触れ合わせる。そうして向かい合う二人の姿は、観客達の眼には完全に大人と子供としか映らない。


柔技(スプラァ)なら、以前手合せしたことがある。決してあなたを見くびりはしないが、俺に不意打ちは効かないとだけ言っておこう」

「あらあら、ご親切にありがとうございます。優しい男の人は、好きよ」


 とろけそうな笑顔を向けてくる美少女に、ガルディ騎士も思わず顔が緩みそうになり、慌てて頬を引き締める。

 気を取り直し、先ほどのラコアンと同じように半身に構えると、今度はシーニャも相対する型で構えをとり、こちらも表情を変えて不敵な笑みを向けた。


「では私からも一つだけ。柔技(スプラァ)に決まった型はございませんのよ、くれぐれも御油断なされませんよう」

「それはご親切に。では、参る!」


 巨漢に見合わぬ俊速の踏み込み。そして長身から繰り出される長槍(スピエル)のような鋭い突き。

 迎え撃つシーニャは、身を沈めながらそれをかわすと同時に、両手で手首と肘を掴み取り、打突の勢いを殺すことなく引き込むように担ぎ上げつつ、相手の脚を払い飛ばした。

 あらがう隙すら与えられず、ガルディ騎士の身体が宙に浮く。

 シーニャは体全体を使って自分の倍もあるその巨体を振り回し、一回転してから周りを取り囲んでいる騎士達に向かって投げ飛ばした。


「ぐわあっ!」

「さあ、お次はどなた?!」


 酔いが醒めたのか、それとも戦いという新たな酒に酔っているのか。群衆に向かって声を張り上げるその顔は、完全に戦士のそれになっていた。

 騎士達もまた熱狂の波に呑まれ、我こそはと先を争って戦いを挑んでいく。

 シーニャはそれを迎え撃つどころか、自ら騎士達の群れの中に飛び込んで行った。

 両手で二人の騎士の胸ぐらを掴み取り、柔技(スプラァ)の妙技で二人同時に投げ飛ばすとともに、さらに別の一人の鳩尾めがけて鋭い蹴りを撃ち込む。

 あっという間に三人の男が床の上に転がった。


「子供相手に何やってんだ! 情けないぞ!」

「どけ! 俺がかたきを取ってやる!」

「待て、俺が先だ!」

「あはははは! たーのしいー!」


 もはや誰が相手かなど関係ない。嬌笑を響かせながら手当たり次第に投げ、蹴り、打ち倒していくシーニャと、我先に立ち向かおうと殺到する騎士達。しまいには、騎士同士の殴り合いまで始まり、トードやティグラなど十五歳組の者達まで巻き込んで、広間の中は大混乱の戦場と化した。

 その一方で、この状況に呆れた一部の者は早々に壁際に退避し、狂乱のお祭り騒ぎを醒めた眼で眺めていた。


「あの姉ちゃん、メチャクチャだな」

「さすがタクロくんの愛弟子だね。ダカルくん、君達はいつもこうなのかい?」

「ええ、まあ」


 すっかり白けてしまったパラディヌ団長と、動じた様子もないウォーラマ副団長。

 ダカルとラルコ、そしてアマルルとサングラの二人にルミニア副王もこちらに加わり、並んで壁際に張り付いている。

 その眼の前では、むつけき男どもに交じって、シーニャどころかサコまでもが大暴れを繰り広げていた。

 ダカルは頭を掻きながら、隣に立つラルコに声をかけた。


「なあ、そろそろいいんじゃないか? 君の出番だろう?」

「うん、わかった」


 ラルコは軽くうなずくと、分け入る隙間などないように見えた争乱の中によどみない足取りで歩を進め、戦場のただ中に立った。


「シーニャ!」


 喧噪を貫いて、彼女を呼ぶ声が響く。

 その瞬間、広間を埋め尽くす激闘はピタリと静まり、皆の視線が広間の中央に集まった。

 むろん、呼ばれた本人もだ。


「シーニャ、おいで。こっちだよ」


 構えを取りながら再び呼びかけると、シーニャは狂乱に染まった瞳をさらに輝かせ、一瞬の躊躇もなくラルコに襲いかかって行った。

 同時に他の騎士達は一斉に後ろに下がり、二人のために戦場を提供する。

 続いて始まったのは、息をもつかせぬ蹴打の応酬。

 稲妻の速度で撃ちかかって来たシーニャの打突をラルコは苦もなく弾き返し、間髪入れず顔面めがけて拳を繰り出す。

 シーニャはそれを右足で蹴り上げつつ喉元に抜き手を放つ。

 ラルコはその脚を掴み取ると同時に左足を払おうとする。

 シーニャは自ら宙に跳んでそれをかわし、持ち前の柔軟さで空中で体勢を入れ替え、あり得ない角度から蹴りを放つ。

 ラルコはそれよりも速く鳩尾に拳を突き入れようとする。

 シーニャがその手を捕えようとする。

 かわす。撃つ。弾く、掴む、蹴る捻る払う貫く弾く殴る掻く回る沈む跳ぶ。

 二人は、常人の眼ではとらえることもかなわぬ神速の錬技で、互いに必殺の拳を繰り出し合った。

 刹那の間隙に、いったい幾十の攻防が交わされたのか。永遠に続くかと思われた激闘は、だが実際にはほんの数呼吸ほどの間にすぎなかった。


 決着の瞬間をはっきりと目視できたのは、ごく少数の者のみだった。

 シーニャが突然後ろを向いたかと思うと、その背後からラルコが掴みかかり、一瞬のうちに手足を固めて押さえ込んでしまった。

 おそらくそれは、ラルコが繰り出した柔技(スプラァ)の一手だったのだろう。シーニャは自ら背を向けたのではなく、彼に体幹を操られて振り回されてしまったのだ。


「ちくしょう! 離せっ!」


 シーニャは逃れようと身をよじるが、それすらも絶妙な力加減で抑え込んで許さない。

 ラルコは、右手で彼女の両腕を後ろ手に重ね取り、左腕は胴をしっかりと抱え込む。更には脚を使って彼女の右脚を左脚に交差させるように奇妙な型で絡み取ったうえ、足の甲をしっかりと踏みつけていた。

 なおも暴れようとする彼女に、ラルコは落ち着いた様子で耳元に口を寄せ、言葉を放った。


「もういいだろ、シーニャ?」


 するとシーニャは、その声に衝撃を受けたように一瞬肩を震わせ、それから、大きく息を吐いた。


「……はい」


 ラルコは、シーニャが全身から力を抜いたのを確認すると、自分も身体を離し、彼女の頭をポンと軽く叩いた。


「ちょっと、外の空気を吸いに行こうか」

「うん」


 肩に手をそえて歩き出すラルコに、まるで人格が入れ替わったかのような素直な態度で従うシーニャ。

 寄り添うように出口に向かう二人に、騎士達は無言で道を開き、その後姿を見送るのだった。




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