56.聖王と副王
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その後は、十五歳組を迎えての宴となった。
本来なら来訪初日の今日は、砦の案内と任務の説明、それからパラディヌ団長直々の手によるヒヨッコどもの腕試しが行われるはずだったのだが。
大幅に予定を狂わされた団長がすっかりやる気をなくしてしまい、「今日はもうやめだ! 飯にしようぜ飯に! 酒持って来い!」と大声を上げたためだ。
「団長、まだ昼ですよ。酒盛りは夕刻からのはずですが」
「うるせえ、細けえことはいいんだよ! おい誰か、厨房に行って今すぐ支度しろって言ってこい!」
ウォーラマ副団長が一応はたしなめようとするものの、団長はもちろん聞く耳など持たない。
おかげで、こちらも予定を大幅に狂わされた厨房は大騒ぎとなり、料理長は激怒したが、騎士達は大喜びだった。
無理もない。彼らはラルコ達十五歳組が到着するよりもずっと早く、深夜に襲撃を受けてから夜通しで死闘を繰り広げていたのだ。
この場に居並ぶのは、アマルル達の治癒術によって回復した比較的軽傷の者のみだ。重傷者はいまだ医療所で回復の途にある。
だがその者たちも、今は小雨の降りしきる草地に野ざらしにされることもなく、温かなベッドの上で静かな時を過ごしている。
戦いの後には、傷ついた者には傷ついた者への、力みなぎる者には力みなぎる者への、それぞれにふさわしい癒しがあってしかるべきだった。
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「さあ、君達も遠慮せず飲みなさい」
ルミニア副王が、ダカルに向かって酒瓶を差し出した。
広間の中には、飲み物と料理の皿が床の上に無造作に並べられている。騎士達はそれらを囲む形で思い思いに車座を作り、宴を楽しんでいた。
副王とともに座を囲むのは、パラディヌ団長、ウォーラマ副団長、スカラーツ先生。それから、結局今日は砦に滞在することとなったネャーフ・ハダイだ。
十五歳組からは、ダカル、ラルコ、ベアゴの三人のみ。初めはシーニャもいたのだが、若い騎士達に引っ張られて隣の組に移り、他の者達は、こんなお偉い席にいられるかと早々に逃げ出していた。
宴と言っても、乾杯の合図やかしこまった挨拶があるわけではない。酒や料理が運び込まれるにつれ、好き勝手に飲み食いをしているだけだ。
何とも騎士団らしからぬだらしなさだが、それを気にかける者もない。
それに団全体の雰囲気として、団長や副王に対する騎士達の態度にも、充分な敬意をもって接しているとは言い難いものがある。王宮騎士団などではとても考えられない、規律の緩さだ。
もっとも、当人達がそんな堅苦しい儀礼など求めていないのも明らかで、現に今も副王は、王国第二の地位にある者とは思えない気安さで、十五歳の若者に酒をすすめているのだった。
「すみません。俺達はまだ学徒なので、酒はちょっと」
だがダカルは、手を上げてそれをさえぎった。
これもまた、王族に接する平民の態度としては無礼極まりないものだが、副王は気にとめる様子もない。
「なんだい、学徒だからって酒を飲んじゃいけない決まりはないだろう?」
「そうだそうだ! 十五のガキとはいえ、実戦を経験すればもう一人前だ。酒を飲むのも実戦のうちだぞ!」
団長は大杯を手に真っ赤な顔で、すでに出来上がっている様子だ。
その隣では、酒壺を膝にかかえたスカラーツ先生が、同じように顔を赤くして団長と肩を組んでいた。
「いえそれが、教会の戒律で学徒は年齢にかかわらず飲酒は禁じられているのです」
「なに、戒律で? そうなのか」
「馬鹿野郎、戒律なんか気にして魔族と戦えると思ってんのか! あいつらはそんなお上品な決まりごとなんぞ守っちゃくれねえぞ!」
「いや駄目だ。戒律を破るのはよくない」
意外なことに、副王はダカルの言葉を素直に聞き入れて酒瓶を下げた。
「なんだと?」
「えー、ルミさんがそんなの気にするんですかー?」
自身も教会の一員であるはずのスカラーツ先生が、不遜な言葉を放つ。しかも、ウォーラマ副団長にならって、副王殿下をルミさん呼ばわりだ。
「いいかい? 教会の戒律ということはだね、すなわち姉王の命ってことだ。
姉王に逆らうのはいけない。だって姉王は、とっても怖いんだよ」
副王が姉王と呼ぶ人物。とはつまり、聖王マグセルのことだ。
ブルメリアの若き国王、ライディン・ブラージェには三人の弟妹がいる。
六歳年下の長妹マグセル、七歳下の弟ルミニア、そして十歳下の末妹スフィアン姫だ。
ライディン王は、現在二十九歳。先王の急逝により王冠を戴いたのが今から十年前のことで、十九歳の誕生日を迎えて間もない頃だった。
同時にルミニア王子も副王の座につき、国政にたずさわることになった。わずか十二歳の時だ。
若い王、そして若すぎる副王。
これを補佐する重鎮達が十分な年齢と経験を備えており、国の運営には何の支障もなかったとはいえ、この状況を王室の弱体化と見る者は、国の内外を問わず少なくなかったはずだ。
少しでも対応を誤れば、不毛な権力闘争や外国の侵略を招くような事態は充分に考えられた。
それにもかかわらず、少なくとも表面上は王室が盤石の体制で国政に臨み、また国民も心を一つにしてこれを支持して、外国や王宮に巣食う有象無象に付け入る隙を与えなかった背景には、国王よりも五年も先に即位し、聖王としてすでに人心を掌握していたマグセルと、その麾下にあって国内外に広く信者を持つ聖王教会の存在が大きかったことは、間違いない。
幼くして聖王宮に入り、常にカリグーの山頂にあって王国全土を見守る聖王は、王国民にとって限りない慈愛と平和の象徴であり、彼女の顔を曇らせるというその一点のみにおいても、王国の良民は大いなる罪悪感を憶えずにはいられないのだ。
聖王マグセルは無条件に愛されるべき存在であって、彼女を怖いなどと考える者など、この国にいるはずがなかった。
だがここに、そうではないと告発する者がいた。
「怖いって、聖王様がですか?」
スカラーツ先生の言葉に、ルミニア副王は真顔でうなずいた。
「ああ、怖い。
実はね、僕達兄妹は、年に一回姉王に謁見するためにカリグーに登るんだ。
それも三人一緒ではなく、一人ひとり別々の日にだ」
「国王陛下もですか?」
と、ダカル。
「そうだよ。
年に一度、姉王から僕達のもとへ手紙が届くんだ。何月何日に来なさい、と。
そしたら僕らは、供も連れず一人で山を登り、靄唇殿へ向かう。そこで丸一日、姉王と二人きりで過ごすんだけど。その一昼夜の間に、いった何が起きると思う?」
身を乗り出し小声で語る副王の真剣な表情に、居並ぶ者達は言葉もなくゴクリと息を飲む。
ルミニア副王は皆の顔を見渡した後、ゆっくりと口を開いた。
「お説教だよ」
「「「え?」」」
「ああ、ひどいもんさ。
文字通り一昼夜の間、姉王と差し向かいで一年分のお説教を延々とくらわされるんだ。
寝る時間も与えられず風呂にも入れず、食事は出るけどその間も休憩なんかない。
唯一中断してもらえるのは用を足す時だけだけど。それすらもろくに時間を与えてはくれないんだ。
信じられるか?
五小時もたたぬうちに後を追って来て、ドアをガンガン叩く。それでも出ないと、手洗所の外で大声で怒鳴り散らすんだよ」
ルミニア副王は王族の威厳もかなぐり捨てた様子で、おそらく誰にも告げることはなかったであろう、これまで身に降りかかってきた不幸を、年若い学徒に訴えかけた。
そのおびえ切った表情はまるで悪夢に目覚めた朝の幼子のようで、心なしか自慢の黄金色の髪さえも輝きを失っているように見えた。
「えっと。いったい何を、そんなにお説教されるのですか?」
「何もかもだよ。
何月何日、あなたはこれこれこんな事をやった。なぜそんなことをしたのか。
何月何日、あんなことをした。もう少し上手に出来なかったのか。
何月何日、こんなことがあった。これはあなたの怠慢だ。
何月何日、誰が何をした、あなたの責任で始末をつけなさい。
何々の件がまだ片付いてない、何をモタモタしているのか。
だいたいあなたは王族としての自覚があーだこーだ。私が何度言ってもどーのこーの……、って。
とにかく、姉王は僕がどこで何をしているか全部知っているんだ。どうやって知るのかは判らないけど、もしかしたらあの山頂から直接見ているのかもしれない。
いや、きっとそうだ。きっと今も、僕がここでこうして喋っていることも聴いているに違いない」
まともな王国民が聞けば、ひどい妄想だと笑いをもらすような話だ。
が、ここにいる者の中に世の常識で『まとも』と言える人間は一人もおらず、ここにいない聖王もまた、その身に宿す能力や宿命を思えば、世の『まとも』とは程遠い人物であるに違いない。
彼の言葉に、ほんのわずかの嘘も誇張もないことを理解したラルコ達は、そしてパラディヌ団長でさえもその哀れな告白に杯を床に置き、副王に同情の眼を向けるのだった。
「まあそういう訳だから。
君達も戒律はちゃんと守らなくてはいけないよ」
「はい」
「はい」
ダカルとラルコが、そしてベアゴも無言でうなずく。




