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55.運命の落とし穴


「君達も知ってのとおり、かつて魔族はロスコア西部のツンドゥールカ地方を拠点に、一大王国を築いていた。

 その王国は七年前の戦争で魔王の死とともに崩壊し、魔の眷族も大半が滅びたはずだった。

 ところが最近になって、わずかに生き残り散り散りになっていた魔族達の間に、ふたたび秩序立った活動が見られるようになってきたというのだ。

 ロスコア西部や南部の辺境で人や家畜が襲われる事件が多発するようになり、ロスコア首都では討伐と調査のため、各地に兵団を派遣していた。そしてその戦いのさ中、帝国の兵士に捕われた一匹の魔族が、魔王の復活を告げたという。

 そういう噂だ」


 ロスコアは、大陸北部の全域を領地に収める大帝国だ。

 ただし、その国土の大半は雪と氷におおわれた無人の地で、人口と産業のほとんどは首都のある東部周辺に集中しており、辺境には、いくつかの貴族領を除けば点在する小さな村々と遊牧民が暮らすのみだった。

 最北の地は極点にも達し、東面は大海に、南面の東半分はカラルカ大山脈、西半分はタイガの森に面している。

 ゆえに、他国と接している部分はごくわずかで、国境争いによる紛争もこれまではなかった。


 タイガの森は、ブルメリアの西面から大陸の中央、カラルカ山脈の南側に沿うような形で西へ伸び、山脈が尽きる辺りから更に北へと広がりロスコア領内へとつながる。大陸の約二割の面積を占める、大森林地帯だ。

 森の中央には、長大な大地の裂け目が約六千カマールにも渡って横たわっており、そこから立ち昇る瘴気が、深淵部への人の侵入を拒んでいる。そして瘴気は魔獣や魔族の活力の源であり、これが故にタイガの森は魔族の支配するところとなっているのだ。

 ただし外縁部は通常の森林と変わらず、人間界へも多くの恵みをもたらしている。

 ブルメリア王国においても、森に面する西部辺境地域は国内有数の穀倉地帯となっていた。


 ツンドゥールカ地方は、ロスコアの西端に位置する山岳地帯だ。

 ここを越えれば、大陸西部世界へと通じることができるが、長らく魔族の支配地となっていたことから、事実上タイガの森の延長とみなされ、人間が入り込むことは不可能とされていた。

 七年前の動乱ではここが主戦場となり、東原世界のみならず西部世界や中央界、南国界からも多くの兵が派遣され、全人類による魔族の包囲戦殲滅が展開された。

 その結果、魔王は滅び魔族の王国も壊滅に追いやることができたのだが、その代償として、ツンドゥールカ地方は山塊ごと消滅。かつて王国があった地域は、残された瘴気によって人が立ち入ることのできない禁断の地となってしまったのだった。


 ラルコは、副王の口が発した『魔王』という言葉が引き起こす胸のざわつきを、必死で抑えつけようとしていた。

 その禍々しい響きを持つ名は、これまで何度も耳にしてきた。その度にラルコは、自分の中でどす黒い何かが生まれ出ようとするのを感じていたのだ。

 それは、『勇者(アーロー)』という言葉から湧き上がる感情とは、まったく逆のもの。嫌悪と、狂気と、破壊の衝動。清水の底にたまった泥が沸き立つように、アウラの光を濁し汚そうとする、暗い欲望。

 そしてその汚泥の中に、枯れ枝のようにねじくれた喜悦が潜んでいることに、彼はとまどいを憶える。

 これは、自分自身の感情なのだろうか。この闇は、人が誰しも等しく抱える負の資質なのだろうか。この闇が光を覆した時、自分は崩魔(ディフォンディアブラ)に陥ることになるのだろうか。

 彼は知らず、答えを告げる者もなかった。


 ラルコは、心の乱れを抑えようと密かに深呼吸を繰り返していた。その時、彼の意識の中に突然、嵐のような激情が流れ込んできた。


(えっ?)


 自分のものではない、荒れ狂う大波のようにあふれ出した感情の奔流。そのあまりの乱れ様に驚いたラルコが隣を振り返ると、そこには眼を大きく見開き、顔面を蒼白にして唇をふるわせるシーニャの姿があった。


「シーニャ」


 呼びかけても、答える様子はない。


「シーニャちゃん!」


 反対側に座っていたアマルルも異変に気付き、手を伸ばして、固く握りしめられた彼女の手を掴み取る。

 だがシーニャはそれを振り払って、立ち上がった。


「魔王は生きていたのですか! 兄さんが命をかけて倒した魔王が、死んではいなかったというのですか!」


 ブラージェ副団長が、立ち上がったシーニャをいぶかしそうに見上げる。


「君は?」

「しまった」


 シーニャの叫び声に、スカラーツ先生も舌打ちしながら後ろを振り返るが、すでに手遅れ。場内の注目が彼女に集まっていた。


「私は……!」

「シーニャ、やめろ!」

「私は、シュニアシル・ヴァルロシャーク!

 魔王と相打ちになって果てた極星の勇者、アルクサラウディ・ヴァルロシャークの、妹です!」


 騎士達の間に、どよめきが沸き起こった。

 極星の勇者の名は、ブルメリアにおいても知らぬ者はない。彼なくしては先の戦争に勝つことはかなわなかった、まさに救世の英雄なのだ。

 その勇者の妹が、まさかこの場に現れるとは。


 むろん、ラルコや仲間達はそのことを本人の口から聞いて知っていた。スカラーツ先生やドーク館長もだ。

 そして、そのあまりにも重大な事実が外部に知れ渡ることの危険性にすぐに気付き、自分達の口を閉ざすことはもとより、シーニャ自身にも固く口止めしていたのだ。

 だがまさか、魔王復活というただの噂話に彼女がこれほどまでに激烈な動揺を示すとは、誰にも予測できなかった。


「そうか。だが落ち着きなさい、これはあくまで噂だ。

 君の兄さんは、確かに魔王を倒した。これは間違いのないことだ。

 もしもふたたび魔王が現れたという噂が真実だったとしても、それは君の兄さんが倒した魔王とは別の者だ」

「それは、本当ですか!」

「確実なことは何も言えない。全てはこれからだ」


 唇を固く結び、睨みつけるように副王を見つめる。次の瞬間、その顔がクシャリと歪んだ。


「う……、ううー……」


 空色の両眼から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 不用意に感情を爆発させてしまった反動なのか、それとも更なる混乱におちいってしまったのか。崩れ落ちるように床に座り込み、泣きじゃくるシーニャを、アマルルがそっと抱き締める。


「そうか、君が極星の勇者の……。君の兄さんの働きには、世界中が感謝している。とても立派な、正に真の勇者だった」


 沈痛な表情でシーニャに声をかける、ルミニア副王。だがその時、ラルコに流れ込んで来た彼の意識は、まぎれもない歓喜にあふれていた。


(これは、なんという暁光か。

 すでに伝説となりつつあるあの極星の勇者の、妹。しかも、今朝の戦いぶりを見れば、才能については疑う余地はない。加えてこの美貌だ。

 ロスコアに、いや世界に対してこの上ない最強の手駒となるに違いない。

 この娘を手放してはならない。いつか必ず、役に立つ時が来る)


 次に彼が眼を向けたのは、彼女の隣に座るラルコだった。


「君は、この子のお兄さん? 君も勇者ヴァルロシャークの兄弟なのかな?」

「いえ、僕はラルコ・カンターラといいます。シーニャやお兄さんとは兄弟でも親戚でもありません」

「カンターラ? それは南部地方に多い姓だが。君もロスコアから来たのではないのか?」

「僕は、生まれの記憶がないのです。一時期、キャラコルク郡マルジット村の農家に保護されていて、そこでこの名をもらいました」

「キャラコルクには移民でできた村も多い。その家もきっと何代か前に南から移って来たのだろう。

 そうか、何年か前に金髪の少年のことが噂になったことがあったな。君があの時の」


 同時に流れて来たのは、軽い落胆と、更なる冷徹な計算。伝説の勇者と無関係なのは残念だが、だとしても使いようはいくらでもある、と。

 ラルコは、軽くうなずく振りをして彼から目をそらした。

 王家に列する立場なれば、当然のことなのだろう。だがシーニャや自分達を道具のようにしか見ていないその視線が我慢ならなくて、つい睨み付けてしまいそうになったからだ。


(これだ。これこそが、僕達がずっと危惧していた落とし穴だ。

 シーニャの出身の秘密は、僕の能力にも劣らないくらい重大な意味を持っている。それを、最も知られてはならない人に知られてしまった。

 この人だけではない。この先、この子を利用しようと手を伸ばしてくる者が次々と現れるだろう。

 敵は前ばかりにいる訳じゃない。僕達は、その汚らしい大人達の手から仲間の(アウラ)を守り抜かなければならないんだ)


 だが、自ら秘密を暴露してしまった彼女を、責めようという気持ちにはならない。

 シーニャの兄に対する想いはそれほどまでに強く、その偉業は彼女にとって生きるための道標(みちしるべ)そのものだったのだから。



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