45.北東区第二域、乙女の襞裾通り
王都ガレイドは、古来、高い城壁に囲まれた城塞都市だった。
その後、国の発展につれて市街地が郊外へと広がり、いつしか東原諸国の中でも有数の巨大都市となったが、その形成は計算された都市計画に基づくものではなく、自然発生的に秩序もなく広がったものに過ぎなかった。
それが改革されたのは、約百年前。魔道大戦と呼ばれた戦乱で傷ついた都市の復興のために、王都全域に大規模な再開発が施されたのだ。
改革の第一歩として行われたのは、城門から東西南北に延びる大街道の拡張と、王都を広く廻る二重の環状道路の敷設。
これにより、都市は王城を中心に大きく四区三域に区分されることとなった。
その後は中心部から少しずつ整備が進められたが、大国の力をもってしてもこの大都市の改造は容易ではなく、百年の月日を経てなお終わりを見ていない。
内環状路、天馬通りの内側にあたる第一域は、王宮を囲む官庁街や高度商業地区として比較的早期に整備がなされ、現在においても王都の中心地としての役割を十分に果たしている。
また、外環状路、一角騎通り外側の第三域は、都市化の進んでいない田園地帯であったため、余裕をもって整備を進めることができた。
だが残された第二域、二本の環状路に挟まれたこの地区は、地図上の区割りはされているものの、実体は大通り沿いの一部の地域を除いて半分以上が手付かずの状態だ。
この地区は民衆が最も多く暮らす、いわば都市の中核地帯でありながら、いや、なればこそ手を加えるのは容易ではなかった。
それでも街道や環状路に程近い区域は比較的整備が進んでおり、場所によっては区割りどおりに道が通されている所もある。
ただ、本来地区を貫いて大通りと大通りを結ぶはずの計画道路は、その多くが工事半ばで放棄され、途中で行き止まりになっていたり、入り組んだ隘路に溶け込んで迷路の一部と化していたりする。その奥先は、土地勘のないよそ者などは決して足を踏み入れてはいけない、王都のはらわたとでも言うべき迷宮となっていた。
―― * ―― * ――
風薫る、万葉の月(五月)のとある夕暮れ時。
リュカス・トリクラートは、北東区第二域の東大街道にほど近い街の中を、ひとり歩いていた。
東大街道は、王都と東海岸の港を結ぶ交易の大動脈だ。
その沿線は商業地区として栄え、都市整備も比較的早期から進められていた。街道に並行する形で何本もの街路が敷かれ、碁盤の目のように区割りがされている。
リュカスが歩いているのは、東大街道から北に五本目の、乙女の襞裾通りと称される通りだ。
この辺りは、商業地区というよりも、そこで働く者達や旅人をもてなす飲食店や宿屋が軒を連ねる、いわば歓楽街となっていた。
すでに陽は落ちかけ、往来には一日の疲れを癒すべく訪れた大勢の市民が行き来している。その周りでは、客引き達が大声を張り上げて、街の活気に花を添えていた。
「おや、リュカスさんじゃないですか。いい酒入ってますよ」
「やあやあ、どーもどーも。また今度ね」
「ああらリュカさん、最近見なかったんじゃありません? ちょっと寄ってきなさいよ」
「ごめんねー、今日はちょっと先約があって」
都の東部に位置するこの通りは、かつて東門騎士団に所属していたリュカスにとっては、古くからの馴染みの街だ。
それに騎士団を退役した後も王都を訪れる度に足を運んでおり、顔見知りも多い。通りを歩けば、すぐに誰彼なく声をかけてくる。
リュカスは慣れ親しんだ街の雰囲気を味わいつつ、人混みの中を足早に目指す先へと向かっていた。
その時。
「おい、リュカ坊! あたしの店の前を素通りとは、いい度胸してるじゃないか!」
突然背中に投げつけられたダミ声に、リュカスはギクリとして足を止めた。
「サ、サンカ姐さん……?」
おそるおそる振り返ったその先で、腰に手を当ててこちらを睨みつけているのは、姐さんと呼ぶにはいささか無理がある、おそらく七十歳は越えているであろう、小柄な老嬢。この街の顔役の一人である、サンカ・パンバリエだった。
サンカ姐さんの店は、表通り沿いにあるごく真っ当な料理店だが、なぜか若い娘の店員が大勢いて、頼めば酒の相手もしてくれるという、男達には大人気の店だ。
特にいかがわしいことをする訳ではないが、店の外での客と店員の個人的な付き合いはご自由にという大らかな経営方針のおかげで、それを目当てに閉店まで粘ったり毎日通いつめたりする客も多く、それが繁盛の一番の要因となっていることは否定できない。
「なんだいその顔は! ずいぶんと久しぶりだってのに、挨拶もなしとはいいご身分だね!」
あからさまに渋い顔を向けるリュカスに、サンカ姐さんはさらに声を張り上げた。
「いや、ごめん。今日はちょっと大事な約束があって」
「約束だあ? 生意気なこと言ってんじゃないよ!
今から十年以上も前のその昔、まだ女も知らないガキんちょだったあんたを男にしてやったのはいったい誰だったか、忘れちまったのかい?!」
「人聞きの悪いこと言うのはやめてよ! 知らない人が本気にしたらどうすんだよ!」
「何言ってんだい。このあたしが、うちの店で一番の娘を紹介してやったんだろ。
今日もいい娘がそろってるから、ちょいと寄ってきな」
「ああ……、もう」
二人の周りでは、道行く人々が足を止め、突然始まった寸劇を面白そうに眺めている。
リュカスはガシガシと頭を掻きながら姐さんに歩み寄ると、その両肩を抱いて頬にチュッとキスをした。
「ごめんね、姐さん。帰りに寄るからね」
「おっ……、おおう」
「じゃっ、そういうことで!」
言うや否や、後ろを向いて脱兎のごとく駆け出した。
「あっ、待ちやがれこの野郎!」
「また後でねー!」
リュカスは、両手を上げて怒鳴るサンカ姐さんに大きく手を振りながら、雑踏の中を走り抜け、姿が見えなくなったところでようやく足を止めた。
「はあーっ、はあーっ。
ああ、まいった。まさか、姐さんがまだ表で客引きなんかやってるなんて思わなかった。まったくもう、いつになったら隠居するんだよ、あの元気婆さんは。
ホントこの街ときたら、知り合いだらけでどこに行ってもすぐ見つかっちまうな。でもだからこそ、姿をくらますのには都合がいいんだけどね、っと」
リュカスはブツブツと勝手な文句をつぶやきながら、フイと横道に入った。
そこは、表通りの喧騒とは裏腹の、人気のない暗い小道。道というよりも建物の隙間と言った方が良いくらいの、狭い通路だ。
もしリュカスを監視していた者がいたとしても、人ごみに紛れて見失ってしまったようにしか思えないだろう。それほどまでに目立たない、自然な動きだった。
それからリュカスは、入り組んだ隘路を迷いのない足取りで通り抜け、途中明るい表通りを二度ほど横切って、元いた場所とは全く別の裏通りにたどり着いた。
そこは、同じ北東区第二域でも北端に近い、外部の者にはあまり知られていない小さな飲み屋街。
リュカスはその中の一軒の扉をくぐると、店の中をぐるり見渡した。
「ああ、いたいた」




