44.宴の春
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それから一か月が経った。
すでに霞の月(3月)も末。川の水は温み野には翠が萌え、吹く風にも花の匂いが混じる、そんなうららかな春の日。
暁の館では、15歳組を送り出す旅立ちの宴が催されていた。
今日を限りに、彼らは館を離れそれぞれの道へ進んで行く。
この一年、ほとんどの日々を外部活動に費やし、館に戻るのは休暇の時くらいだったとはいえ、やはり彼らにとってこの場所は我が家であり、共に育った仲間達が家族であることに変わりはない。
そして館に残る後輩達にとってもまた、彼らはかけがえのない家族だ。
旅立つ者、見送る者。ともに別れは寂しく、また同時に喜ばしいことでもあった。
宴の会場は普段と変わらぬ食堂であったが、部屋の中はいつになく華やかに飾られ、料理も年始めや感謝祭の宴にも増して豪勢なものが取りそろえられている。
それもそのはず、家族の門出のためにと、後輩達が朝から総出で準備に勤しんだのだ。
宴は夕暮れ時から、ドーク先生のはなむけの言葉に始まり、続いて15歳組の6名の挨拶、そして後輩達による歌や踊りなどの催しを楽しみながらの歓談と、夜遅くまで続く。
毎晩鳴らされる就寝の鐘も、今夜ばかりは打槌を手にする者はない。
席順は組ごとにテーブルを囲む形で、15歳組は正面中央、ラルコ達11歳組は会場の中ほどに席を取っていた。
だがそこに、クロウレの姿はない。
彼は、意識は取り戻したものの、いまだ身体を自由に動かせる状態ではなかった。会話もままならず、かろうじて声をかければ眼と唇で反応するといった程度だ。
パミル先生によれば、彼はアウラのほとんどを失い、生まれたての赤子のような状態になってしまっているらしい。回復するには相当の期間が必要で、もし動けるようになったとしても、以前のような強力なアウラを発輝できる望みは薄いとのことだった。
開始当初はみな席に着いて大人しくしていたが、宴が進むにつれ、多くの者が自分の席を離れ、雑多に入り乱れて楽しんでいる。
ラルコは、実は以前から15組に色々と話を聞きたいと思っていたのだが、控えめな性格が災いしてと言うべきなのだろうか、いまだ話しかけるきっかけを見つけることが出来ずにいた。
もともと彼らとは接触の機会がほとんどなく、先日の呼び出しの後も、気付いた時にはいなくなってしまっていたのだ。今日が最後だというのに、と、やや消沈気味に仲間達との会話を楽しんでいた。
だが、その心配は無用だったようだ。
「よっ」
ラルコの肩を、後ろから叩く者があった。
「クライさん」
「となり、いいかい?」
「はい、どうぞ」
大勢の雑多な意識の中でも、クライを始め15歳組の面々は強い輝きを放っている。
彼が後ろから近づいて来るのも無論わかっていたが、まさか相手の方から声をかけて来るとは予想していなかったので、多少の驚きはあった。
「あー、クライくんだー。どーぞどーぞ、はいはいはーい、そっち詰めて詰めてー」
ラルコの右に座っていたアマルルが席を空け、隣のティグラを端に追いやる。その先のトードはどこかへ行ってしまっていたので、席は空いていた。
そしてさらに、左側にも別の人物が顔をのぞかせた。
「私もこっち、いい? シーニャんごめんねえ、ちょっとだけ彼氏貸してねえ」
と、シーニャが座る椅子に横からグイグイと腰を押し込んできたのは、クライと同じ15歳組のスティファ・ローランディアだ。
赤毛の長い髪に、男子と変わらぬ長身を備える彼女は、15歳組の中でもかなり目立つ存在だ。当然、シーニャもよく知っている。
「シーニャん?! ややや、別に彼氏じゃないし! って、スティファさん何してんですか! 席くらい譲りますから!」
「いいからいいから、シーニャんも一緒に。いいでしょう? だってだって、今日で最後なんだからあ」
「うっ……」
それを言われてしまっては、逆らえない。
仕方なく肩を抱かれたまま腰を半分ずらし、1人掛けの椅子に2人、無理やりの密着状態で座った。
「じ、じゃあちょっとだけですよ」
「うふふ、ありがとー。それにしても……」
そう言いながら、スティファはシーニャとラルコを見較べる。
「君たち、本当によく似てるよねえ。双子みたい」
「そ、そうかしら」
「うんうん、とってもお似合い。こりゃ他の子達がサジ投げるわけだ」
「ど、どういう意味ですか?」
「あらあらトボけちゃって。どういうもこういうも、そういう意味に決まってるでしょ」
「そっ……」
真っ赤になってうつむくシーニャを、スティファは嬉しそうに見つめる。
「おいスティ、それくらいにしておけよ。
済まないなラルコくん、こんなのまで連れて来てしまって」
「いえ……」
「こんなのとは何よ。私だって、ラルコくんにはずっと目を付けてたんだからね。
あんたが独り占めしようったって、そうはいかないわ」
「いい加減にしろ、馬鹿」
「まあまあクライさん、スティファさん。そんなことよりも、まずは」
正面の席に座るダカルが立ち上がり、飲み物の入った杯を掲げる。
「ご卒業、おめでとうございます」
「「「おめでとうございまーす!」」」
「ああ、ありがとう」
「ありがとー」
ダカルに続いてラルコや他の仲間達が、そしてクライとスティファも同じく杯を掲げる。
「それで、クライさん達は卒業したらどちらに行くんですか?」
ダカルが、テーブルに身を乗り出して訊いてきた。どうやらラルコ同様、彼もクライ達の話を聞きたかったようだ。
「ああ、俺は魔道騎士見習いとして、辺境騎士団に入団だ」
「私も同じく。それからあちこちの騎士団を渡り歩いて、修行させてもらう感じかな」
「すごいなあ。他の人達も一緒ですか?」
「いや、みんなバラバラだよ。
カウザーとサリアンは教会の仕事に就くために聖王宮に残る。ノウイは王宮付の女官だ。で、トリアノの奴は……」
クライがそこでクスリと笑い、スティファが後を継ぐ。
「パン屋さんですって」
「「「えええーっ!」」」
「すごい!」
「すてき!」
「王都の店で修行させてもらって、いずれ自分の店を出すのが夢だそうだ」
「いいなあ、私もそういうのになりたい!」
手を打って喜ぶシーニャに、ティグラが口を挟む。
「あれえ、シーニャは勇者になるんじゃなかったっけ?」
「そ、それはそれ、これはこれよ」
楽しそうにふざけ合う仲間達。だがその時、ラルコは皆の意識の中に流れるとまどいと緊張を読み取っていた。
クライが名を上げた4人に、この場にいる2人を加えた合計6人が今日の宴の主役だ。だが皆が知る15歳組は、9人のはずだった。
残りの3人がどうしてここにいないのか。仲間達はそれを訊ねようとはせず、クライもまた、彼らの名を思い浮かべながらも話そうとするそぶりは見せない。
そしてラルコも、触れるつもりはなかった。
「勇者か……」
クライがポツリと漏らす。
「そんなものは、あえてなろうとするもんじゃないと俺は思うけど。ラルコくんも勇者を目指しているのかい?」
「僕は……、よくわかりません。勇者とはいったい何なのかも」
「君には、申し訳ないことをしたと思っている。君達の仲間のクロウレのことは、本当なら俺達がやらなければならないことだったんだ。
でも俺達にも、ドーク先生にも彼を救うのは無理だった。あるいは君なら、というスカラーツ先生の提案に皆が賛同したんだ。
危険な賭けだった。まだアウラの真実をきちんと会得していなかった君の、可能性だけを頼りにするなんて、無茶もいいところだ。
それでも、他に道がないのなら残された道を躊躇なく進む。それが俺達だ。
でも、やっぱり君には謝りたい。
辛い役をさせてしまって、済まなかった」
「私からも、本当にごめんなさい」
頭を下げる二人に、ラルコは慌てて手を振った。
「そんな、お二人とも顔を上げて下さい。
いいんです。僕もずっと悩んでいましたけど、先日のドーク先生の話を聞いてよく判りました。
今回だけじゃない、これから同じようなことを何度でも繰り返さなければならないことも。そして本当の戦いは、まだまだずっと先にあるということも。
力なき者を護るために、持てる限りの力を尽くす。それが、僕達の役目なんですよね」
「ああ、そうだ」
クライがうなずく。
他の皆も、それぞれに思うものがあるのだろう。そこで会話が途切れ、沈黙が流れた。
そうして少しの時間が経った後、サコが静かに立ち上がった。
「私、ちょっと歌ってきます」
仲間達に見送られながら、サコが会場の正面に設えられた小さな舞台へと向かう。すると、それに気付いたらしい者が2人、席を立って後に続いた。
3人は壇上に並んで笑みを交わし合い、それから前を向いて大きく息を吸った。
初めに、サコの歌声が流れる。
と、ラルコは部屋の中に風が吹き込んで来たような錯覚を憶えた。
会場内のざわめきが一瞬にして静まり、皆の視線が集まる。
続いて他の2人の声が重なると、突然、目の前に色鮮やかな景色が広がった。
周囲の壁や天井が消え去り、青空に陽光が降り注ぐ。皆のいる部屋が、まるごと草原の中に放り出された。
(これは、歌にアウラを乗せているのか。こんな使い方があるなんて……)
3人の声が奏でるのは、春をめでる唄。
暖かな光と風、緑が艶やかに芽吹き、生き物達が命の喜びを歌い、野に舞い踊る。
青い山を仰ぐ。草原を駆け抜ける。流れる雲となって天空に遊ぶ。唄い上げる歌詞そのままの風景が、目の前に繰り広げられた。
以前体験した意識が広がる感覚と似ているようで違う、まるで唄の世界に入り込んでしまったような、不思議な高揚感がそこにあった。
「ラルコは初めてだったよね。あれがサコの力よ」
「すごいな。あの2人は?」
「13歳組のライラさんと、14歳組のミクリィさん。
以前はあの人達が館の歌姫姉妹って言われていたんだけど、今はサコを加えて三歌神になったの。
3人そろっての唄は滅多に聞けないんだけどね。サコの声が一番すごいんだって、お姉さん達が言ってたよ」
見れば、サコの身体が薄紫の優しい光に包まれていた。その両脇を挟むライラとミクリィは、黄色と鮮緑のアウラだ。
寄り添って立つ3人の姿は、まるで一輪の野花が咲いているような可憐な佇まいを見せていた。
それから数曲を、三歌神は朗々と歌い上げた。
旅立ちの唄、家族を想う唄、そして愛の唄。どれも聴く者の心に深く沁みわたり、魂を癒す、そんな歌声だった。
宴はその後も日付が変わる頃まで続き、翌朝、クライ達15歳組の6人は館の皆に見送られて、新たな人生へと旅立って行った。




