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37.目醒め



―― * ―― * ――


 夢を見ていた。


 果てしなく広がる、白い荒野。

 大地は粗い砂で覆われ、空は赤く燃え上がる。

 だが太陽は見えない。風は熱く乾き切っていて、息をするたびに喉を灼いた。


 無限の大地を、ひたすら前を見つめて歩き続ける。

 一歩、また一歩。

 踏みしめる砂がザク…ザク……と耳障りな音を奏でる。


 はるか先に、誰かの影が見えた。

 その者はこちらに背を向け、同じように無言で前を進んでいる。

 言葉をかけようとしたが、喉が涸れ、声が出なかった。

 追いつこうとしたが、砂に足を取られ、駆け出すことが出来なかった。


 もどかしさに、足元に目をやる。

 そこにあったのは砂ではなく、踏み砕かれた骨のかけらだった。

 多くはすでに形を失い、白い砂粒となってしまっていたが、その中に、いまだ姿を残したものも多数まじっていた。

 人ばかりではない。獣も、鳥も、正体の知れぬ何者かの骸骨もあった。


 地平の果ての、その先まで広がる大地。そのすべてを埋め尽くす、幾万幾億の生き物達の、成れの果て。

 踏みしめる。

 踏みにじる。

 前に進みたいという欲望に。

 理由(わけ)もなく湧き上がる渇望に。


 先を進む誰かの姿が、小さくなっていく。

 遠ざかる。

 遠ざからない。

 去っているのではなく、その体が少しずつ、砂に埋もれて行っているのだった。


 その場所に辿り着いた時、彼の姿は既に白い骨くずの中に消えていた。

 その上を、踏みしめる。

 踏みにじる。

 そして前へと進む。


 でも……。


 前って、いったいどこに向かえばいいんだろう。



―― * ―― * ――



 意識が戻った時、ラルコは自分の手を誰かが掴んでいることに気付いた。

 まだ頭がはっきりせず、自分がどこにいるのかも、どのような状態になっているのかも判らない。だが掌を包む柔らかな感触と、そこから流れてくる暖かなものだけは、感じることができた。

 うっすらと瞼を開くと、木目の天井が見えた。

 そして鼻腔をくすぐる、微かな薬草の匂い。

 ああ……館の医療所か。と理解する。


「良かった。目が醒めたのね……」


 すぐそばで、ささやくような声が聞こえた。視線を傾けると、ベッドの脇でシーニャが微笑んでいた。


「良かった……」


 もう一度。

 言葉とは裏腹の憔悴しきった笑顔に、思わず声をかけようとしたが、喉が乾ききって言葉を発するには至らず、唇がわずかに震えたのみだった。


「無理しないで。三日も眠っていたのだから、すぐには身体が動かないでしょう?」


 三日……。

 その間、ずっとこうして見守ってくれていたのだろうか。

 ラルコは礼を言う代わりに、強張った指先に少しだけ力を込めた。

 シーニャはそれに気付くと、両手をそえて、優しく握り返してくれた。

 つないだ掌から、ほのかな温もりが身体の中に流れ込んでくる。それは術ではなく、彼女の真心そのものであった。


「お水、飲む?」


 彼女の眼を見つめながら小さくうなずくと、シーニャは手を離して立ち上がり、テーブルの上にある水の入った皿に、白い包帯の切れ端をひたした。


「まだひとりで飲めないでしょう? 少しずつね」


 ラルコの唇に濡れた帯布をあて、水滴をたらした。

 そのほんの数滴が、乾ききった喉に潤いをもたらす。その瞬間、ラルコは夢で見た、大気まで灼け付くような熱い荒野を思い返していた。


(今でも、まるで現実にあったかのように思い出せる。もしかしたら、あの景色は世界のどこかに、本当に存在するのかもしれない……)


「もっと飲む?」

「うん」


 今度は、言葉で答えることができた。

 シーニャはその声に安堵したのか、先程の力ない微笑とは違う明るい笑顔を見せた。


「待ってて」


 大きめのスプーンで水をすくい、ラルコの口元にそっとあてる。

 慎重に手を傾け、唇の間に含ませるように少量の水を流し込む。ラルコの喉がコクリと動くのを見て、彼女はふたたび微笑んだ。


「ありがとう、シーニャ」

「うん……」


 ラルコは起き上がろうとしたが、まだ身体に力が入らず、うまく動くことができなかった。


「無理しないで。まだ寝ていた方がいいよ」

「うん、大丈夫」


 シーニャの手を借りて、なんとか上体を起こす。


「ふう」


 少しずつ、身体の芯が目醒めてくるのを感じる。


「ずっと、見ていてくれたの?」


 シーニャはそれには答えず、照れたように目を伏せた。


「他の皆は?」

「アマルルは、まだ眠っているわ。ああ、でも心配しないで。頑張りすぎて力を使い果たしちゃっただけだから。

 他の人達は、みんな元気」


 でも、そのみんなの中には……。


「クロウレは?」

「クロウレは……、隣の部屋にいる。……安心して、死んではいないわ」


 だが同時に、彼女の意識が流れ込んでくる。


(死んではいないけど、生きてもいない……)


「そうか……」


 うつむいて小さく肩を震わすシーニャは、涙をこらえているようにも見えた。


「水、もらえる?」

「あ、うん」


 シーニャは立ち上がると、大きな水差しからコップに水を注ぎ、ラルコに手渡した。

 ラルコはそれを一気に飲み干し、コップを返しながらベッドから降りようとした。


「クロウレのところへ」

「ダメよ、まだ大人しくしてなくちゃ」

「大丈夫」


 そう言いながら足を下ろし立ち上がろうとしたが、力が入らず膝をついてしまった。


「ほら、無茶するから」

「いいんだ」


 ベッドに手をついて、ふらつきながらもなんとか立ち上がる。

 今にも崩れ落ちそうなおぼつかない足取りで部屋を出て行こうとするラルコに、シーニャは溜息をつきながら寄り添い、腰に手を回した。


「もう、しょうがないなあ」

「ごめん。ありがとう」


 シーニャの肩を借り、廊下を回って隣の部屋へと向かう。

 ドアを開くと、そこはラルコが寝かされていた部屋と同じ療養室。三人の男女がベッドを見守っていた。


「ラルコ!」


 最初に声を上げたのは、ダカルだ。


「ラル…コ……?」


 続いて振り向いたのは、ベッドを挟んで反対側に座る、サコ。そしてパミル先生。

 三人ともシーニャ以上に消耗している様子で、入り口に立つラルコを茫然と見つめた。


「クロウレ……」


 ベッドの上に眠る彼は、今にも眼を醒ましそうなほど、穏やかな表情をしている。だがその身体に生きた人間の気配はなく、人形のようにただ無言で横たわるのみだ。

 唯一、サコが両手を添えている左手だけが、ほのかな光と熱を放っている。

 シーニャがしてくれたと同じように、サコも自分のアウラをクロウレに与え続けているのだ。

 パミル先生とダカルが立ち上がり、ラルコのそばに来た。


「もう、大丈夫なの?」

「はい、なんとか。クロウレは……?」

「パミル先生や他の皆のおかげで、傷口をふさぐことはできた。治癒術(ソワン)を使える人達が全員で、夜も寝ずに頑張ってくれたんだ。

 本当に凄かった。治癒術(ソワン)があそこまで出来るなんて思ってもみなかったよ。まさか、あの傷を本当に治してしまうなんて。

 だけど……」


 うつむいて言葉をつまらせる彼に、シーニャが声をかける。


「ダカル……」

「だけど、そこまでだ。形だけにすぎない。心臓を動かすことも、魂を取り戻すこともできなかった……」

「でも、死んでない! まだ死んでないもん!」


 ベッドのそばで、サコが声を上げて訴える。

 クロウレに寄り添い、こちらをキッと睨みつけて来るその眼は、雛を守ろうとする母鳥のようであった。


 シーニャに肩を預け、よろめきつつ近づいて来るラルコを、サコは固い表情で迎えた。

 同時に伝わって来るのは、緊張と、安堵と、怖れ。……混乱。

 それもまた、仕方のないことだ。

 サコにとってはラルコも仲間の一人、その無事は嬉しいに違いない。

 だが同時に、クロウレをこんな風にしてしまった張本人でもあるのだ。その行為と、理解を超えた力には、怖れを抱かずにはいられない。


 一方ラルコにとって意外だったのは、サコがクロウレに対してこれほどまでに真摯な感情を見せるとは予想もしていなかったことだ。

 それは他の者にとっても、サコ自身にも思いも寄らぬ感情の変化。いや、発露であった。

 ラルコはその小さな驚きを表情に出すことなく、サコの隣に立ち、シーツをめくった。


「何をするの?」

(お願い、これ以上彼に酷いことをしないで……)


 幾重にも包帯を巻かれた肉体は、以前と変わらぬたくましさを見せている。

 だがその中央の部分は染み出した血でどす黒く汚れ、そこに隠された傷の深さを物語っていた。

 鍛え抜かれた分厚い胸は、呼吸で上下することも、鼓動に震えることもない。

 その痛々しい姿に、サコは目を背けた。

 それでも左手を、離すことなく。


 ラルコはクロウレの胸を覆う黒い染みの上に右手を重ね、眼をつぶった。

 意識を通わせ、彼のアウラを確かめようとする。

 だがやはり、閉じた瞼の向こうに映るのは真っ黒な空洞。あるべきはずの輝きはそこにはなく、ただ薄汚れ粉々に砕けた、殻のようなものだけがとり残されているのみだった。


(この身体は、もう生きていない。既に(アウラ)は抜け落ち、空っぽの肉があるだけだ。

 おそらくサコがアウラを与えるのをやめてしまったら、そこで終わってしまうだろう。

 サコ自身も、気付いているはずだ。

 彼女も既に限界だ。仮に誰かが代わって続けても、どれほどのアウラを注いだとしても、元に戻ることはない。

 なぜなら、ここにはもうクロウレはいないのだから)


 クロウレの(アウラ)は、失われてしまった……。

 彼を救えなかった悲しみと後悔が、胸の奥から湧き上がってくる。

 自分は、守ることができなかった。

 いったい、どう償えばいいのか。叶うのなら、自分のアウラを全部差し出してでも彼の命を……。


(そうだ、僕のアウラを……)


 その時ラルコは、自分の中に微かな光がきらめいたような感覚を憶えた。


(いや待て。そうか、僕の中にあるアウラを……。そんなことが本当に出来るのだろうか。でも……)


 一つだけ、方法がある。いや、それ以外に方法はない。それが可能であるのなら、だが……。

 暫しの沈黙の後。ラルコは決心を固めた。


「サコ。少しの間だけ、手を離してくれないか?」


 彼女のアウラが集中の妨げになる。出来るかどうかは判らないが、少しでも成功に近づきたかった。

 だがラルコの言葉に、サコは怯えたように声を震わせた。


「い、いやよ。そんなことをしたら、クロウレが……」

「お願い、僕にも手伝わせて欲しいんだ」

「手伝……う……?」

「うん」


 ラルコは、サコにうなずきかけながら、クロウレの胸にあてた手にアウラの光を灯した。

 そこから力が流れ込んでいくのが、彼女にも感じられたのだろう。ラルコを見つめる表情が少しだけやわらぎ、でも決心がつかないのか、救いを求めるような視線をシーニャに投げかけた。

 それを受け止めたシーニャも、小さくうなずく。サコは一瞬泣き出しそうな表情を見せたが、それでもおずおずと、手を引いた。

 ラルコはそれを認めると、大きく息を吸って眼をつぶった。


(さあ、深淵へ向かおう)


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