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36.それは一つめの罰なのか


 ラルコは信じられない思いで、手元を見降ろした。

 自分の右手が、クロウレの胸を貫いている。

 そして彼の体内に手首まで突き入れられた、その掌の中に握り締めているのは、形を失った柔らかな塊。

 温もりはまだ残っている。でもそこには鼓動も、命あるものが伝えるはずの確かな手ごたえも、感じることは出来なかった。


(僕は……、いったい何をしたんだ)


 あの超感覚の中で、自分は彼を救った。

 壊れかけ、破滅に向かおうとしていたアウラを癒し、赦し、絶望の残滓を受け入れた。

 はずだったのに。

 こわばった指先を無理やりに開き、震える手を引き抜くと、後を追うように大量の赤い血が噴き出してきた。

 間近に向き合う虚ろな顔が、ゆっくりと沈んでいく。支えを失った身体は、地べたに座りこむように崩れ落ちた。


「クロウレ……」


 ラルコの声に応えるように、足元にうずくまるそれは一瞬だけ小さく震え、続いて口から、胸に空いた赤い穴から、鮮血が噴きこぼれる。


「クロウレ!」


 しゃがみこんで彼の身体を抱きかかえようとした。その時。

 ラルコは、かつて経験したことのない痛みが全身を駆け抜けるのを感じた。


「あぐ……っ!」


 いきなり、目の前の景色が真っ赤に染まった。

 続いて襲い掛かる、体中の筋肉が絞り上げられるような痺れと激痛。心臓が潰れ、体液が漏れ出して行く喪失感。奈落へと落ち込んで行くほどの悪寒。

 肺から空気が絞り出され、呼吸が止まる。視界が闇に飲まれる。

 そして逃れ得ぬ、死の恐怖。

 ラルコは、この世のものとは思えぬ烈苦に全身を灼かれ、草の上を転げ回った。


(痛い……、苦しい……。誰か…助けて……!)


 それは、クロウレの(アウラ)が放った絶叫だった。

 肉体からは既に命が失われているように見えるが、その魂は今まさに死と向き合い、無限の苦しみと恐怖にあえいでいる。その痛みが、そのままラルコの意識に流れ込んで来ているのだ。

 ラルコは必死に心を閉ざしつながりを断ち切ろうとしたが、荒れ狂う苦悶の激流は易々と堰をこえ、怒涛となってラルコに襲いかかった。

 引きちぎられるような激痛が身を責め立て、気が狂うほどの恐怖が心を苛む。

 救いを求めても、赦しを請うても、それに応える者はない。


(暗い……怖い……もう……終わり…に……)


 痛みよりも、苦しみよりも。この世の全てから拒絶される絶望。

 その暗闇に耐え切れず、最後の瞬間に自らの死を願って、終わる。

 これこそが、天命を全うすることなく理不尽に生を奪われた者の、最大の痛みであった。


(これが……死……、なのか……)


 だがラルコは、記憶のどこかにこれと同じものが眠っているのを感じた。


(僕は……知っている……。あれは、いつのことだったの……か……) 


 それも一瞬のこと。微かに漂う追憶の残滓は、落魂の嵐にたちまちかき消され、更なる苦悶の激流が彼を翻弄した。

 もはや何も見えない。何も聞こえない。

 いつ果てるとも知れぬ煉獄の責め苦に、ラルコは喘ぎ、震えた。


 広い草地の真ん中で、投げ捨てられた人形のように動かぬクロウレと、そのすぐ横で胸を掻きむしりながらもがき苦しむラルコ。

 そこに飛び込んで来たのは、アマルルとエリザリン・パミル先生だった。

 二人はクロウレの身体をすばやく地面に横たえると、その両側を挟むように膝をつき、胸の上に手をかざした。


「「ラー……、トリートゥ……、コンソラトゥール……レタブリース…ルミナ…レホーミィ……」」


 詠唱が重なり、同時に二人の手が目もくらむような輝きを放つ。

 続いて何人もの先生や先輩達が次々と駆け付け、彼女たちと同じように身体に手をかざし、あるいは前の者の背中に手を当てて、治癒術(ソワン)の光を幾重にも重ねて行く。

 木霊のように響き渡る詠唱の波と、様々な色合いのアウラの光。

 クロウレの姿が、虹色の太陽の中にかすんで見えなくなった。


「ラルコ! ラルコ、しっかりして!」


 シーニャはラルコの身体を抱き締め、淡い蒼白の光で包み込んだ。

 アマルルほど巧みではないが、彼女も治癒術(ソワン)が使える。他にも何人か、治癒術(ソワン)の使い手がラルコを取り囲んで、同じように癒しの光を与えた。


 (アウラ)が、慈愛の光で満たされて行く。

 その効果が顕れたのか、それともクロウレの魂がもはや痛みを感じる力さえ失ってしまったのか。やがてラルコの精神を苛む苦痛が、少しずつ和らいできた。


(彼が、去っていく……。待って……)


 ラルコの前にはドーク先生が立ち、その様子をじっと見つめていた。


「ラルコ! お願い、返事をして! ラルコ! ラルコ……!」


 シーニャが懸命に呼びかける。ラルコはその声を遠くに聞きながら、意識を失って行った。



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