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32.次の階段


 明けて、特訓二日目。


「始めっ!」


 スカラーツ先生の合図で、ラルコとシーニャは同時に地面を蹴った。

 シーニャはいつも通り、左手を大きく開いて前方に突き出す構え。だが右手に棒剣は携えておらず、だらりと下げたままだ。

 対するラルコは両手を軽く上げて拳を握る、打撃戦の構え。

 激突寸前、ラルコの左拳がシーニャの顔面に襲いかかる。シーニャは即座に左手を返し、その腕を絡め捕ろうとした。

 だが指先が彼の手首に触れようとした刹那、いきなり足を払われ、なす術もなく転がされてしまった。


「あれ……?」


 彼女を引き起こそうと手を差し伸べてくるラルコの顔を見上げながら、シーニャは声を漏らした。

 一方のラルコは、彼女の手を取りながら何故か「うーん」と首をひねっている。


「何が、うーんなのよ。ちょっと、今のはどういうこと?」

「いや、なんでもないよ。もう一度やってみよう」

「ええ、望むところよ」


 今度は距離を取らず、間近で向き合った。

 シーニャは慎重に、腰を落として両手を緩く前に出す。柔技(スプラァ)の基本の構えだ。

 そしてラルコは、構えもせず無造作に手を伸ばすと、彼女の襟首を掴んだ。


「えっ? ちょっ!」


 油断していたわけではない。それどころか、先程の仕返しをしてやろうと、彼の動きを慎重に見定めていたはずだったのだ。

 なのに、気付いた時にはもう襟を掴み取られていた。


「くっ!」


 ラルコの腕を取って振り払おうとする。

 だがそれよりも早く、体を左右に激しく揺すぶられた。

 それは昨日、彼女自身がやってみせた技のひとつ。だがその時のシーニャが相手の腕を直接掴んで反応を読み取り、間合いと重心を操ったのに対し、ラルコは衣服を通して間接的に彼女の反応を読み、しかも挙動を支配してみせた。

 シーニャは抗う隙すら与えられず、一瞬にして体勢を崩され、尻もちを突かされてしまった。


「なんで……」


 たったの二度、手合わせをしただけで悟った。完敗だ。

 シーニャにとって、柔技(スプラァ)は矜持そのものだった。

 腕力で勝る男子と対等に渡り合うために、達人の先生に頼み込んで特別な指導を受けて来た。

 医術師を志すアマルルと同じように、勇者を目指す彼女もまた日々真剣に研鑽を重ね、技を磨いてきたのだ。

 ラルコに教えてあげても、易々と真似できるようなものではないと、そう思っていた。

 なのに……。

 たった一日で……。


「ちくしょう」


 ギュッとつぶった瞼の間から、ポロポロと大粒の涙が零れ落ちた。


「ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!

 うわああーん!!」


 地面に座り込んだまま、大声を上げて泣き出したシーニャに、ラルコも慌てた。


「シーニャ、落ち着いて。たまたま、たまたまだよ」

「たまたまなことなんて、あるもんか! ラルコの馬鹿あっ!!」

「ご、ごめん」


 ラルコにとって、こんな事態は初めてだった。

 いや……、そうではない。二度目であったことを、ラルコは思い出した。


(そういえば、あの時のラキィもこんな感じだったっけ。こういう時って、本当にどうすればいいんだろう)


「ラルコ、ラルコ」


 そのラルコの袖を、後ろからティグラが引っぱる。


「え?」

「心配しなくても大丈夫だよ。シーニャは負けるといつもこんな感じだから」

「そ、そうなの?」

「すぐに泣き止んでケロッとしちゃうから。気にすることないよ」

「その代わり、その技を自分にも教えろって、後がしつこいけどな」


 と、隣からトード。

 スカラーツ先生は、そのやりとりを見つめながら何かを考えている様子だったが、やがて「うん」と頷いて手を挙げた。


「よし、シーニャはもういいだろう。次はトードだ」

「ほーい」

「はい」


 シーニャも涙を拭きながら立ち上がり、二人に場所を空けた。

 ラルコとトードは向き合い、共に打撃戦の構えを取った。

 トードがアウラを沸き立たせ、全身を橙色の光で包む。その安定した輝きを、昨日の失態を思い返しているのか、シーニャは悔しそうに見つめた。

 対するラルコも、同じようにアウラの光をまとうかと思われたが、何故か自然体のままだった。


「あら? ラルコはそのままでいいの?」

「うん、大丈夫。ちゃんとアウラは使っているさ」


 言われてみれば、ラルコの体からもかすかにアウラの気配は感じる。

 だがそれは本当にわずかな、注意していなければ気付かない程度のものだ。

 シーニャは先程の奇妙な態度と思い合わせ、彼が何を企んでいるのか見極めてやろうと、じっと目を凝らした。


「始めっ!」


 先手はトード。

 右の拳が側面からえぐり込むように、ラルコの左頬を狙う。

 ラルコは左腕でそれを軽くいなすと同時に、自分も右の拳を繰り出した。

 トードも同じく左腕で受けようとした。

 はずなのに。

 ラルコの拳はその防御を易々とすり抜け、トードの顎をとらえていた。


「なにっ?!」


 打撃の瞬間、ラルコの拳が白金(プレトゥヌ)の光を放ち、トードの橙色(オラージュ)のアウラとぶつかり合って火花を飛ばす。

 光の鎧で辛うじて大ダメージを免れたトードは、いったん後ろに跳び退って距離を取ろうとした。

 その膝が、カクンと崩れた。


「あっ」


 そのまま尻もちを突いてしまう。

 すぐさま立ち上がろうとしたものの、腰にまるで力が入らず、何としても立つことができなかった。


「あれ? くそっ……」

「うん」


 ラルコは、今度は納得できたという様子で、自分の拳を見つめている。


「おいラルコ! 今のは、いったい何だ?!」


 地べたに座り込んだまま声を上げるトードに、だがラルコは目もくれず、ティグラの前に立った。


「ごめんトード、説明は後でまとめてするよ。その前に、もう一度確かめてみたいんだ。

 ティグラ、いいかい?」

「お、おう」


 それまでの二つの仕合を見ていたティグラは、昨日とは別人のような切れを見せるラルコに、少々怖れを感じていた。

 だがラルコよりも、無言でこちらを睨みつけるスカラーツ先生は、もっと怖い。

 ヘタに逃げ腰なところを見せたりしたら、また昨日のように殴り飛ばされるかも知れない。

 それを思うと、背筋に悪寒が走ると同時にかえって覚悟が固まった。


「よ、よし。来い」


 ラルコと向き合い、構えを取る。

 静かに息を吐き精神を集中すると、体の奥底からアウラが沸き上がり、全身を灰色の光で包み込んだ。


「うん」


 ラルコも同様に構えを取り、そして同じくアウラを沸き立たせる。

 しかも今度は、トードに対した時とは違って、全身に白金(プレトゥヌ)に輝く鎧をまとった。


「えっ?!」

「まさか!」

「すごっ!」


 ティグラだけでなく、傍らで見ていた二人も思わず声を上げる。それほどまでに見事な、硬質の質感を備えたクリスタルのような武装だった。

 スカラーツ先生は、無言でニヤリと笑った。


「うわああっ!」


 開始の合図も待たず、ティグラの旋風脚がラルコに襲いかかる。

 ラルコはそれを避けるどころか、自ら乱撃の前に身を投げ出し、側頭部を狙って来た大木のような右脚を、片手で受け止めた。


「うっ」


 体重を乗せて放った必殺の蹴りをいとも簡単に防がれ、ディグラが固まる。

 しかも、脚を引こうとしてもラルコの指はがっしりとそれを掴んで許さず、ティグラは片足立ちの格好のまま、動きを封じられてしまった。


「こおおおおっ!」


 ラルコは左手でティグラの右脚を抑え込んだまま、息を吐きながらもう一方の腕を振りかぶる。

 その拳が、白金(プレトゥヌ)の閃光を放った。


「ひっ」


 顔を引きつらせながらも、ティグラは更にアウラを沸き立たせ、腹部を光の盾で覆った。

 そのど真ん中に、ラルコの光拳が突き刺さる。

 渾身の力で打ち込まれた拳はティグラの盾をものともせず、白い腹部に手首までめり込んで見えなくなった。

 衝撃で、ティグラの両足が地面から離れる。ラルコはそこで力を緩めることなく、右腕を思いきり振り抜いた。


 巨体が宙に舞う。

 昨日のスカラーツ先生の拳よりもはるかに強烈な一撃。十マールの彼方まで吹っ飛ばされたティグラは、地面に落ちてもそこに留まることなく、昨日の傷跡が残る黒焦げの草地の上を、更にその先へと転がって行った。

 アウラの光が完全に消え去っているところを見れば、彼が気を失っていることは明らかだ。

 立木にぶつかって止まった後も、その場に横たわったまま、起き上がる気配を見せなかった。


「うわっ、やりすぎた。ティグラごめん!」


 慌てて駆け寄ろうとしたラルコの前に、立ちはだかったのはシーニャとトードだ。


「満足した? じゃあ説明してもらいましょうか」

「いったい何なんだ、お前は」

「いや、ちょっと待って。その前にティグラが」


 だが眉を吊り上げた二人は、道を開こうとしない。


「あんなの放っといても平気よ。頑丈だけが取り柄なんだから」

「そんな……」


 ラルコは、腰に手を当てじっとこちらを睨みつける二人に、諦めて息を吐いた。


「わかったよ、全部説明する」



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