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31.白金と白銀


 思わぬ事故により、その日の修練は中断されることとなってしまった。

 シーニャはすぐに医療所に運ばれ、医術師(ミドゥシン)による治療が施されたが、幸いな事に軽い火傷を負っただけで大きな怪我はなく、彼女はほどなく意識を取り戻した。

 だが元気な肉体とはうらはらに、精神に受けた衝撃は相当なものだったらしく、回復は容易ではない様子だった。

 といっても、ただしょげ返っているだけであったが。


「どうしよう。私、落第しちゃう……」


 ベッドの上に座り込んで泣きじゃくるシーニャを、付き添いのサコとアマルルが「まあまあ」となだめる。

 その傍らには、スカラーツ先生と教師であり医術師でもあるエリザリン・パミル先生が並んで立ち、少女達を見降ろしていた。


「ねえ、シーニャ?」


 四十代半ば。若いとは決して言えない年齢ながら、まだまだ女ざかりといった美貌を誇るパミル先生は、その知性的な顔に苦笑を浮かべながら、シーニャに訊ねた。


「あなたが無茶をしてここに運ばれてくるのは、これが初めてじゃないでしょう?

 今日よりひどい大怪我をしたことなんて何度もあるし、でもいつだってあなたはケロリとして。

 それなのに、どうして今日に限ってそんなに落ち込んでるの?」

「だって……。みんなと一緒に進級したいんだもん。落第なんて知らなかったんだもん。

 うええーん……」

「タクロくん。あなた、この子に何を言ったの?」

「え? 何って、真面目にやらないと十二歳組に上がれないぞって」

「それだけ?」

「それだけですよ」

「うーん。そんなのをいちいち真に受けるほど、繊細な子だったかしら」


 だがそれを聞いたサコとアマルルは、顔を見合わせて頷き合う。


「あのね、エリザ先生。この子が言ってるみんなっていうのは、みんなじゃなくて」

「一人だけだと思いますよおー」

「あー、そういうことね。なるほどなるほど、了解したわ。

 あなたはケンカしか興味がないのかと思っていたら、ちゃあんと女の子もしてたってわけだ。

 へえー、このおてんばシーニャちゃんがねえ」


 うんうんと頷くパミル先生の下で、シーニャは黙ってうつむいたまま、真っ赤に染まった顔を両手で必死に隠そうとする。

 その様子を微笑ましげに眺めていたパミル先生だったが、隣で同じように満足げに頷いている同僚に気付くと、眉をひそめた。


「うんうん、思春期真っ盛りだな。いいぞいいぞ」

「ねえタクロくん。ひょっとしてあなた、全部わかった上でわざとやってる?」

「えっ? 何をですか?」


 屈託のない笑顔を見せる若い男性教師を、四人の女性達の疑念に満ちた目が、じっと見つめた。



―― * ―― * ――



 同じ頃、ラルコはダカル・カリグーに連れ出されて、館近くの林の中にいた。


 真冬の山中。森の奥へと向かう小道は訪れる者もなく、雪と静寂に包まれている。

 山麓の東面に位置するこの場所では、午後も三の時を過ぎると陽がかげり始める。辺りにはすでに薄闇が忍び寄り、風も冷たさを増していた。

 二人は言葉を交わすことなく、単色で染め上げられた景色の中を雪を踏みしめながら進んだ。

 五小時ほど歩き、館の尖塔も木々の間に隠れて見えなくなったあたりまで来ると、ダカルは足を止めラルコに振り返った。


「君に、頼みがあるんだ」


 そう告げるダカルを、ラルコは無言で見つめ返した。


「クロウレに、なんとしても勝ってくれ」


 既に彼の意識を読んでいたラルコに、驚きはなかった。

 だがそれだけでは足りない。その真意は、言葉で確かめる必要がある。

 そう思ったラルコは、自分から声に出して訊ねた。


「どうして?」


 と。


「クロウレと揉めそうになった時、僕をかばってくれたことには感謝してる。でも君は、どちらかというとクロウレの側だと思っていた」


 ラルコの問いかけに対する答えを、ダカルは苦笑いで返した。


「やっぱり君はすごいな、ちゃんと判っている。

 そうさ、俺はクロウレの味方だ。君の才能に嫉妬しているのは、あいつよりもむしろ俺の方なんだ。

 クロウは俺の親友だ。本音を言えば、今回の勝負はあいつに勝って欲しいとさえ思っている。でも、だからこそ、君にあいつを打ち負かして欲しいんだ」


「どうして?」


 と、再びラルコ。


「あいつは今、とても危ないところにいる。力を欲しがって焦っているんだ」


 ラルコに流れてくるダカルの意識は、完全に言葉通り。口にしているのは一片の偽りもない真実だ。

 だがその心の内を知っても、そこには容易くは読み切れない複雑な感情が渦巻いていた。

 人は、自分の本心を常に意識の表面に浮かび上がらせているわけではない。

 そもそも思考をきちんと整理できる者の方が少数派であるし、自らの気持ちを押し隠してしまうことも、自覚すらない本音というものもあるのだ。

 他者の意識を読めるとはいっても、その真意を汲み上げるには、会話による導きが必要だった。


「君は、シーニャのことをどう思っている?」


 一瞬、まさかダカルまでその話か、と言葉を詰まらせたラルコであったが、すぐにそうではないことに気付き、逆に彼に問い返した。

 慎重に、言葉を選んで。


「どうって?」

「さっきのアウラの暴発のことさ。すごいとは思わないか?」

「うん、すごかったね」


 ここでダカルはわずかに言葉を途切れさせた。

 その心に浮かんでいるのは、逡巡……。この先をラルコに話してしまって良いのだろうか、と。


「シーニャが、この館に来たのは三年前だ。三年前に、あの子はロスコアからブルメリアにやって来たんだ。ドーク先生に連れられて」


 三年前のその時、ロスコアで何があったのか。世間で知らぬ者はなく、ラルコも既に座学で学んでいた。


「ツンドゥールカ動乱……」

「そう。ロスコアの西部、ツンドゥールカ地方で起きた対魔族戦争だ。

 シーニャはあの戦に巻き込まれて家族を失った。

 あの戦いには、ロスコアだけじゃなく東原の他の国からも多くの兵士が参加していたんだ。ブルメリアからも、王宮騎士団や聖王宮の魔導士、ドーク先生をはじめとする勇者達が戦場へと向かった。

 先生はその戦いのさ中に、戦場となった街で瀕死の重傷を負っていたシーニャを助け出し、暁の館へと連れ帰ってきたんだ。

 館に来た時のあの子は、まだ傷が癒えてなくて、歩くのもやっとの状態だった。

 でも初めて皆の前に立った時、包帯だらけのその顔でニッコリと笑って、声を張り上げたんだ。

 もちろんロスコア語でだ。俺達には何を言っているのか判らなかったさ。

 でも、勇者(アーロー)という言葉だけは耳に届いた。

 後で先生に聞いたよ、あの子はこう言っていたんだ。『私は、勇者(アーロー)になるためにここに来ました!』って。

 ロスコアでも勇者(アーロー)勇者(アーロー)って呼ぶんだって、その時初めて知ったよ」

「どうしてシーニャは、そんなに勇者(アーロー)にこだわるんだろう。

 暁の館が修練を積むための場所だというのはもう知っているけど、みんながみんな勇者(アーロー)を目指しているわけじゃないよね」

「ああ。それになりたくても勇者(アーロー)なんてそう簡単になれるものじゃない。

 でもあの子にはそうするだけの理由がある。そして才能も。

 実は、あの子のお兄さんも勇者(アーロー)だったんだ」

「そうなのか」

「でもやっぱり女の子だから、腕力では男にかなわない。頑張れば頑張るほど、俺やクロウとの力の差は開いていく一方だった。

 あの子のすごい所は、何があってもくじけないことだ。だから余計に無茶をして、何度も大怪我をして。

 そんなあの子を、俺達はハラハラしながらも応援してあげたいという気持ちで見守っていたんだ。

 けれど……。十一歳組になって、アウラの修練を始めてから、状況が変わった」

「うん……」

「アウラの真実を真っ先に会得したのはアマルルだ。というより、あの子だけはもっと前から特別な修練を続けていたらしいから、別格なんだけどね。

 そして、次がシーニャだった。それも始めた途端にアウラを発現させて、さっき程じゃないけど、いきなり暴走状態になってしまったんだ。

 他の者達は、発現するまでに半年以上もかかった。それも、シーニャほどの力を出せる者は一人もいない。

 俺もクロウも、これが本当の才能というものなのかと驚いた。

 その時は、ただ驚いていただけだったんだ」


 ダカルはここで再び、言葉を区切った。


「でも君のアウラを見た時に受けた衝撃は、それとは全然意味が違った。

 シーニャにそっくりの顔立ち。そして同じ、いやそれ以上の才能。

 ロスコアは、魔道帝国と呼ばれるほど魔道が盛んな国だ。

 あの国には、こんな奴らがゴロゴロしているのか。これでは俺達がどんなに頑張ったってとてもかなわない、と思った。

 クロウが君に食ってかかったのは、シーニャのことよりも、その焦りがあったせいだ。そして俺も同じく、自分を抑えきれずについ大きな声を出してしまった」

「僕は、ロスコア人と決まったわけじゃないよ」

「そうか、そうだったな。

 でも、君が何者であっても、君はここにいる。その大きな力は俺達の目の前に、確かにあるんだ」

「僕は、どうすればいいの?」

「さっきも言った通り、クロウを打ちのめして欲しい。

 君が館に来てからというもの、あいつが妙にイラついているのには気付いていたけど。

 一昨日、君が初回でアウラの光を顕したこと。そして昨日の暴走を目の当たりにしたことが、クロウにとっては決定的だったみたいだ。

 あいつはどんどんおかしな方へ向かってしまっている。

 体術だけならもう上級生にも負けないくらいに強くなっているはずなのに、あいつは別の力を求めて、アウラの力を間違ったやり方で身に付けようとしているんだ。

 あいつのアウラが、濁り始めている」

「先生には?」

「もちろん相談したさ。でも先生はとっくに気付いていた、俺よりも先にだ。

 だから先生はこの仕合を仕組んだんだ」

「よく判らないな。先生はいったい、僕に何をさせようとしているんだろう」


 ラルコは既にスカラーツ先生の意識を読んでいる。だがそこにあったのは、口に出していた言葉そのまま、『気に食わない奴とは拳で語り合え。勝ち負けなんか問題じゃない』といった程度のものだ。ある意味、何も考えていないに等しい。

 一方で、ダカルの苦悩は理解できる。

 彼もクロウレも勇者を目指して頑張っている。でもいくら努力しても、そこには才能という大きな壁が立ち塞がっているのだと知ったら、理不尽と感じるのは当然だ。

 ダカルはそれを自力で克服しようとしているが、親友はもがき苦しんで袋小路に入り込もうとしている。それを救ってあげたいのだ。


「たぶん、先生が考えているのは俺と同じさ。君の力をクロウにきちんと認めさせてやりたいんだ。

 でも今の君のままでは、駄目だ。才能だけでなく、身に付けた実力でねじ伏せて欲しい」

「わかった」


 ラルコが頷くと、ダカルは少し後ろに下がり、距離を取って向き合った。


「さあ、じゃあ始めようか」

「うん」


 ダカルが半身に構え、息を吐く。その体が、白い光に包まれた。

 どこまでも白く、透明感のある輝き。同じようにアウラを沸き立たせて構えるラルコのそれと較べると、更に白さが際立つ。

 ラルコの輝きを白金(プレトゥヌ)に例えるなら、彼のアウラは白銀(プラージョン)とでも呼ぶべき潔癖さを備えていた。


「俺に勝てないようじゃ、到底クロウにはかなわないぞ。こい!」

「おう!」



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