29.光鎧
「いくぞ! 腹を引き締めろ!」
「ちょ! やめっ……!」
止めようとするティグラを無視して、スカラーツ先生が中腰に構える。
「むんっ!」
「ぶふぉっ!」
慌てて目をつぶり身を固くするティグラの腹部に鉄拳がめり込み、その一撃で巨体は五マールも先までふっ飛ばされた。
「何をしている、立て! もう一度だ!」
「ぐへ……、ぐううっ……」
地べたに転がったまま腹を押さえてもがくティグラに、容赦ない言葉を浴びせかけ、腕を掴んで無理やり立たせる。
この巨体を片手で軽々と引き上げる膂力もさることながら、いつものにこやかな態度からは想像もできない厳しい表情に、他の三人も驚いた。
「これから俺がラルコに教えるのは、これ以上の打撃を放つ技だ。受ける方のお前もしっかりしていないと、ただじゃ済まないぞ」
「うええっ。そ、そんな……」
「いいか、腹の部分だけでいい。筋肉を引き締めるのと同じように、アウラを固く引き締めて盾を練り上げろ」
ティグラも、先生の普段とは違う厳しい態度に少しは真剣になったのか、腹を抑えたまま再び目をつぶった。
全身が鈍色の光に包まれ、灰色熊の様相を見せる。深呼吸を繰り返すと、ぼんやりした輪郭がやや明確になった。
だがそれはせいぜい、ふわふわの冬毛が夏毛に変わった程度のもので、やはりラルコやトードに較べると、甘いと言わざるを得ない。
それからティグラは両腕を開き、足を踏ん張って更に気合を込めた。
「むううーっ……」
すると、腹のあたりの光が強さを増した。
くすんだ灰色を凌駕する白の輝き。それは固いとまでは言えないものの、これまでのティグラのアウラにはない、力強さを感じさせた。
だがそれを目にした他の三人が、顔を見合わせる。
「これは……」
「なんと言うか……」
「プッ……ククク……ッ、ク……」
全身灰色の着ぐるみの中に、腹の部分だけが白い。
それは灰色熊とはまた一味違う、真剣な表情とは裏腹に以前にも増して動物らしさが強調されてしまった愛らしい様相に、シーニャは必死に笑いをこらえた。
「シーニャ、アウラが乱れているよ」
「だ、だって……、狸みたいなんだもん……、ククッ……!」
「よしティグラ。そのままだ、その状態を保ち続けろ。いいな、俺がいいと言うまでずっとだぞ」
「っくううーっ」
三人の笑いは耳に届いていないらしい。顔を真っ赤に染め全力でアウラを操ろうとするティグラに、スカラーツ先生は腕組みして淡々と告げる。
それから、隣に立つトードに向いた。
「トード、こいつをよく見張っててくれ。気を抜いたら、腹を殴っていいぞ」
「ふぁっ?! ほゃええっ!」
「ひゃっほー。まかせてよ、先生」
悲鳴まじりに抗議しようとするティグラと、両手を上げてはしゃぐトード。
先生は二人を一瞥してから、こちらも集中してアウラを操っているラルコの前に立った。
「よし。じゃあラルコだ」
「は、はい」
「今の形は悪くない。まだちょっとぎこちないが、このまま修練を重ねればいくらでも良くなるだろう。この感覚を忘れるなよ」
「はい」
「では全体の形はそのままで、右の拳に意識を集中するんだ。掌の中にアウラを満たすように」
「はい」
右手に集中。アウラの塊を手で握るイマージュだ。
気の高まりとともに掌の中にアウラが満ち、指の隙間からほのかな光が漏れ出す。
「もっとだ、もっと強く」
「はい」
更に気を込める。
ほとばしる光の圧力で、指先が内側から押し返されるような錯覚さえ憶えた。
「もっと」
「く……っ」
「もっと」
「……!」
手の中が火傷するほどに熱く、抑えきれぬ光が指の隙間から噴き出してくる。
「だめだ、アウラを外に漏らすな。拳の中に留めろ」
「は……い」
だが、強く握ろうとすればするほど中の圧力も高まり、噴出する光は勢いを増してきた。
「無理に力で抑え込もうとするな。アウラでアウラを包み込むんだ」
ラルコは右手の表面のアウラに意識を集中し、掌の中のアウラを膜のように包み込んだ。
ほとばしるアウラと、包み込むアウラ。水の入った袋を握っているような感覚だ。
だが、熱い。
「そうだ、それでいい。
ではそれをゆっくりと握り潰せ。ただしアウラを手放すなよ。柔らかい粘土の塊を握り締めるように、少しずつ力を込め、やさしく指の間からアウラを外に逃がして。
そしたら今度は、そのアウラで拳を外側から包み込む。
形状を意識しながら」
「く……」
(そんな……。冗談じゃない……、アウラを手の中に留めておくだけでも限界だというのに、これを粘土のように操れだなんて。
しかも先生の意識は、冗談どころか完全に本気だ)
アウラとは、自分自身の中にある魂。
それを自分と切り離して全く別の物体のように認識し、しかも自在に操るなど、自分の手足を切り取って動かしてみろと言っているに等しい。
(この人のことが少しわかってきたぞ。冷静で穏やかな先生だと思っていたけど、そんなのは外見だけだ。
平然とした顔で無茶苦茶なことをやろうとする、この人自身が無茶苦茶な人なんだ!)
それでもラルコは集中を途切れさせることなく、先生の言ったイマージュそのままにアウラを操った。
右手を強く握り、手の中にあったアウラを外側に這わせて拳を包み込む。だが無駄に迸らせることなく、水の塊のようにまとわせる。
「よしいいぞ。もっと形を意識して、拳を守るように」
光の境界がより明瞭さを増し、触れられそうなほどに存在を顕わにし始めた。
先生はその様子を冷静に見つめながら、更なる高みを要求する。
「より強固に。革袋をかぶせるように」
光の厚みが減り、それに代わって輝きが増す。
極度の集中で、ラルコの全身から汗が噴き出して来た。
「だめだ、そんな野兎の毛皮のようなフワフワした物なんか、戦いの役に立つか。もっと固く、鰐の鱗皮のように。
よしいいぞ、もっとだ。
目をつぶるな、自分の目でしっかりと見ろ!
もっと力強く、鎧と化せ!」
「くっ!」
(先生の求めていることは理解できる。
どんな力も、一点に集中すればするほど強くなる。アウラだって、掌をただぼんやりと包み込むのではなく、より狭い範囲に凝縮させた方が強靭になるはずだ。
でも、これ以上の圧をかけるなんて……)
「違う! 柔らかい水を無理やり押し固めるのではなく、鋼鉄のようにそれ自身が固く引き締まるイマージュだ!」
「はいっ」
(より固く、より強く。鋼鉄のように……)
ラルコは以前王宮の門で見た、長槍を掲げた騎士の姿を思い浮かべた。
(あの甲冑だ。鋼の鎧を着けている様子を再現できれば)
ラルコの脳裏に確たるイマージュが浮かんだその瞬間、拳を包む光が明らかな変化を見せた。
内側から湧き出す圧力が消え、それまでの幻影のような煌めきが薄れるとともに、硬質の存在感が備わる。鋼とまでは言い難いが、水が氷になったような感覚を憶えた。
「よし、それでいい。しばらくそれを維持して、できるなら腕や指を動かしてみるといい。
それができるようになったら、ティグラを殴らせる」
「は…い……」
ラルコは額に汗をにじまて、固く握り締めた自分の拳を凝視していた。
形状を整えることまではどうにか出来たものの、これを動かす余裕など微塵もない。少しでも気を緩めたら、全てが壊れてしまいそうだ。
(イマージュをもっと明瞭にしなければ。より固く、強く……、そして……)
先生の言わんとしていることは理解できた。
ラルコには強靭な拳を、ティグラにはそれに耐えうる堅固な盾を、だ。
ならば、自分がティグラに勝つためには更なる集中、鋼の盾をも貫く鋭さが必要だ。




