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26.拳撃のトード


「ほーい。お呼びでー?」


 草地の向こうの方で砂袋を振り回していた男が、駆けてくる。

 トード・ボワロだ。男子の中では一番小柄だが、それでもラルコよりはやや背が高く、体つきはたくましい。


「シーニャの次は俺か。やっと男と認めてもらえたのか、良かったな」


 からかうように笑うが、そこに悪意は感じられなかった。


「うん、よろしく」

「よし、今度はラルコも反撃していいぞ。打突もあり。ただし、急所打ちはなしだ。

 二人とも、いいか。始めっ」


 トードは両の拳を固め、半身に構えた。どうやら、打撃主体のスタイルらしい。

 対するラルコは、手を軽く開き気味に、受けの態勢をとる。

 目をつぶって精神を集中し、シーニャに対した時と同じように、アウラを体の隅々にまで満たす。コツを掴めてきたのか、初めての時よりもスムーズにできたような気がした。


 瞼を開き、互いの目を合わせたのが合図になった。

 トードが、すり足で間合いを詰めてくる。一発目は、顔面への右拳だった。

 鞭のようにしなやかで鋭い突きを、ラルコは辛うじてかわす。その直後に、左の拳が飛んできた。

 それもなんとかしのいだ。が、無理な動きをしたせいで上体が泳いでしまったところに、中段蹴りが襲ってきた。

 とっさに左手を出して受ける。

 トードはすぐに脚を引いた。と思ったら、そのままの姿勢で上段蹴りを放ち、無防備に下がっていた頭を側面から狙い撃つ。

 それも左手で受ける。掴み取る間も与えず素早く引かれた脚が、今度は下段、膝を狙ってきた。こちらも脚を上げ、迎え撃つように受ける。

 息つく暇もない三段蹴りを、ラルコは全てさばき切った。

 トードが体を引き、ニヤリと笑った。


「やるじゃん」

「なんとかね」


 答えながら、ラルコは今の応酬を冷静に分析していた。

 トードの攻撃は、シーニャのそれよりも鋭く重さもあるが、彼女の変幻自在の技に較べれば動きが直線的だ。読み切れば、対応は難しくない。

 逆に言えば、シーニャの攻撃は全てが軽い。

 おそらく、その弱点としなやかさという己の個性を存分に生かした結果が、あの格闘スタイルなのだろう。容赦ない急所突きも、非力さを補うためだ。

 そしてトードもまた、打撃と速度という自分のスタイルを確立している。

 それに引き換え、ラルコは自分の個性すらまだ見出してはいないのだ。

 先は長いな、と密かに息を吐く。


 トードが再び向かってきた。

 鋭い打撃を手で払い退ける。すかさず次の打撃。それも払う。

 息もつかせぬ連打の嵐を、払い、かわし、受ける。


「ううらららららららっ!」


 次第に、攻撃の速度が上がってきた。

 アウラをまとう体は存分に機能している。通常なら目にも止まらぬ連続技の全てを、ラルコは見切っていた。

 しかし攻撃の速度が更に上がると、目では追えても体がついて行かなくなってきた。

 いったい、何十発の拳を受けたのか。ついに防御を突き抜けた一発が顔面に炸裂し、ラルコは後ろに吹っ飛ばされた。


「くそっ」

「はあっ、はあっ。お、お前すげえな。こんなに当てられなかったのは、初めてだぞ」


 荒い息を吐くトードに対し、ラルコは息一つ切らすことなく、平然と立ち上がった。


「トードこそすごいよ。受けるのが精一杯で、とても反撃なんかできない」

「それに、今のは完璧に入ったはずなのに全然効いてないじゃねえか。その打たれ強さは何なんだ、特別な呼吸法か? 俺にも教えろよ」


 呼吸法? ではなくて。


「アウラだよ。アウラと身体を一つにするんだ」


 ラルコは構えを解いてトードに向き合った。


「先生、いいですか?」

「ああ、お互いに学べることは遠慮なく学べ」

「おうよ。どうやるんだ?」

「言葉じゃ説明し辛いな。手を出して、僕のアウラを感じてみて」


 昨日、ティグラにしてもらったのと同じやり方だ。両手をつなぎ、もう一度精神を集中して、身体の中をアウラで満たした。


(どう? 判る?)

(ああ。こりゃすごいな、(ゼン)に似ているけど……。いや、アウラをただ溢れさせるのでなく、体と完全に重ね合わせるのか。

 お前、こんな高度な技を昨日今日で身に付けたってのか?)


 トードが手を離し、溜息をついた。


「なんて奴だ。先生やドーク館長が目を掛けるのも無理ないや」

「そ、そんなことは……」

「そうだトード。お前だって、これくらいは出来るはずだぞ。もう少し真面目に修行すればな」

「へーい」


 先生の叱咤に、トードが肩をすくめる。


「よし、じゃあもう一度やろうぜ。今度はちゃんと反撃しろよ」

「うん」


 再び、激しい撃ち合いが始まった。

 最初は防戦一方だったラルコも、次第に体が慣れてくると、防御と同時に拳を繰り出す余裕が出てきた。

 だが、どうしても一発を当てることが出来ない。

 トードはラルコの反撃を余裕たっぷりにかわし、更に激しい突きと蹴りを放ってくる。


(もっと集中しろ。もっと、もっとだ。もっと速く! これでは全然遅い!)


 それは焦りなのか。アウラと身体の反応が微妙にズレてきたような、もどかしさを感じる。


(疲れてきた訳じゃない。もう少しで、何かが掴めそうだ)


 焦っていたのは、実はトードの方だった。

 無理もない。明らかに格下の相手に対して、これだけ一方的に仕掛けていながら未だに決定打を撃つことができないのだ。


(ふざけんな。こんな馬鹿な話があるか!)


 無意識のうちに繰り出したのは、目を狙った打突。しかも正拳ではなく、中指の関節を立てた急所撃ちの握りだった。まともに当たれば、眼球が潰れる。

 その危険な一撃が眼前に迫ったその時、ラルコの中でアウラが沸騰した。

 双眸が虹色に煌めく。

 同時に視界から全ての色が失われ、白と黒のみで構成された世界の中で、トードの拳がピタリと動きを止めた。


(何が起きたんだ! トードが止まって……。いや、そうじゃない。僕が……)


 鋭い打撃が止まって見えるほどに、反応が早くなっているのだ。

 まるで別の時間の中に入り込んでしまったような、異常な感覚。

 手を上げてトードの手首を掴み取ろうとしたが、身体が鉛のように重く、大気がねっとりとまとわりついて思うように動かすことができなかった。


(そうか。さっきからの違和感は、神経の反応だけが先走りして、身体がついてこられなくなったせいだったんだ)


 それでも止まって見えるトードに較べれば、自分の体が桁違いの超速で動いているのは、間違いない。

 ラルコは彼の手首を掴み取り、昨日シーニャにされたように、懐に飛び込んで腰を跳ね上げ、思い切り投げ飛ばした。

 その直後。超感覚が消え去り、世界に色彩が戻った。


「うおっ!」

「うわあっ!」


 トードの体が宙を舞い、ラルコ自身も急激な感覚の変化について行けずに、一緒になって投げ出されてしまった。

 重なり合うように地面を転がる二人に、シーニャが慌てて駆け寄ってくる。


「ちょっと二人とも! 大丈夫?!」

「いてて……」

「あはは、大丈夫大丈夫」

「全然大丈夫じゃないわよ。ラルコが消えたと思ったら、いきなり二人がふっ飛んで。

 いったい何が起きたの?!」

「さあ? 俺も何がなにやら」

「ぼ、僕も……」


 嘘ではない。どうしてあんな風になってしまったのか、自分でもよく判っていないのだから。

「やれやれ」と立ち上がるトードに続いて体を起こそうとしたラルコは、自分の両腕が動かないことに気付いた。


「あれ? あっ……、いっ痛てててて!」


 全身に激痛が走る。腕だけでなく、体中が引きちぎられるような痛みで、指一本動かすことが出来なくなっていた。

 ラルコは地べたに這いつくばったまま、悲鳴を上げた。


「たすけて! かっ、体が動かない!」



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