25.柔殺のシーニャ
次の日の体錬は、一味違った。
「今日は打突はなしだ。投げ技のみとする。
シーニャは遠慮なく投げ飛ばしていいぞ。ただし速攻の急所狙いはなし、痛めつけるのは最小限にして、できるだけ数多く色々な技を使え」
「はいっ」
「そしてラルコ、君はとにかく技を受けろ。ただ受けるだけじゃなく、よく見て、確かめて、全身で味わうんだ。
身体が動かなくなるまでだぞ」
「はい」
ラルコは、昨日の仕合を思い返した。
結果として勝ちを拾った格好だったが、内容的にはほぼやられっぱなしだった。
特に終盤、シーニャに馬乗りになって押さえ込もうとしたら、一瞬でひっくり返されてしまった。あの時は、あっという間すぎて何をされたのかも理解できなかったが、今日はあの技も教えてくれるということなのだろうか。
よし、ならばじっくりと学ばせてもらおう。
と、腰を落としてシーニャと向き合ったラルコであったが。
「そんなに構えなくていいから、手を出して」
「?」
腰に手を当てたままのシーニャにそう言われ、身体を起こす。
右手を差し出すと、彼女は左手でその手首を外側から掴んだ。
「いい? よく見てて?」
「うん」
(これは、昨日やられた時と同じ体勢だな)
シーニャがゆっくりと手首を捻る。するとラルコはなぜかその動きに逆らえず、体が右に傾いてしまうのを感じた。
次にシーニャは逆向きに捻る。すると体も左に傾いた。
「どう? 人間の関節は、素直に曲がる方向と曲がらない方向があるの。
曲がらない方向に無理やり曲げようとすると、体は無意識のうちにそれを避けようとして、自分から動いてしまうのよ。
それを利用して、少ない力で相手を投げ飛ばすのが、柔技」
なるほど、と頷きかけた次の瞬間。
ラルコの体は宙を舞い、背中から地面に叩き付けられていた。
「ぐはっ」
「ふふっ、油断しちゃだめよ。さあ立って、もう一度」
先ほどと同じ体勢で、シーニャが手首を掴む。
「今度は抵抗していいわよ」
「うん」
シーニャが捻ろうとするのを、腕に力を込めて抗う。
すると今度は押してきた。
腕を固めていたせいで体ごと後ろに返されそうになり、反射的に足を踏ん張って押し返そうとする。と同時に引っ張られた。
絶妙な間合いで重心を崩され、前に倒れかかったラルコの顎に、シーニャの掌底が襲い掛かる。
しまった! と身を強張らせ、衝撃に備えようとする。
だがそれは打突ではなかった。顎を掴んだと同時に足を払われ、またしてもなす術もなく地面に転がされてしまった。
「くそっ」
今度は即座に立ち上がる。
「やられてばかりじゃつまらないでしょう? 君から掛かってきてもいいんだよ」
「よしっ」
手を伸ばして、お返しとばかりに手首を掴み取る。だがシーニャは薄笑いを浮かべたまま、抵抗する気配も見せなかった。
「さあ、どうするの?」
思い切り引っ張ると、その手は何の抵抗もなく付いてきた。
(腕が伸びた?)
だがそれは錯覚に過ぎず、彼女が上体を傾けてこちらに手を差し出して来ただけだった。
反対に押し返しても、振り回してみても、まるで空気を相手にしているような手ごたえのなさ。
しかも、シーニャの両足は地面に張り付いたまま、元の位置から微動だにしていない。
「ふふっ」
(くそっ!)
強を煮やしたラルコは、両手を使って彼女の肘の関節を逆向きに捻った。
(どうだ、これなら堪えようがないはず!)
だが、彼が両手に力を込めた瞬間、コキッという微かな音と共に、シーニャの肘があり得ない角度でねじ曲がる。
「あっ!」
思わず手を離してしまうラルコの目の前で、その肘は何事もなかったように元通りになった。
「そうそう、言い忘れていたわ。稀に関節技が効かない人もいるから、気を付けてね」
そんな、ずるい! と文句を言う暇もあらばこそ。
目にも止まらぬ速さで懐に飛び込んで来た彼女は、抱きつくように体当たりを喰らわせながら、顔を上げてラルコに迫った。
触れそうなくらいに間近で見つめられ、思わず後退りをしようとしたその脚を、シーニャの脚が蛇のように絡め取る。両脚ともだ。
二人の体が宙に浮き、ただの丸太ん棒のように地面に倒れ込もうとした寸前、シーニャはラルコを突き放して、その反動で自分一人だけ平然と降り立った。
「ぐっ」
後頭部をしたたかに打ち付け、苦鳴を上げる。
そのラルコに、シーニャはパンパンと手を打って、容赦ない言葉を浴びせかけた。
「はいはい! 早く立って! まだまだこんなもんじゃないよ!」
「くそうっ!」
ラルコが勢いよく立ち上がったところに、スカラーツ先生が手を上げた。
「よし、そこまで。シーニャ、ちょっと待ってくれ」
「ええーっ、せっかく乗ってきたところだったのに」
シーニャが不満を漏らす。
「まあまあ。さてラルコ、ちょっといいか?」
「はい」
まだ痛む後頭部に手をやりながら、ラルコが答える。
「ただ漫然と技を受けているだけじゃ、駄目だぞ。何をされたのかをきちんと理解して、自分のものにしなくては。
この特訓でまず君がやらなくてはならないのは、技の知識を増やすことだ。
君は勉学については、天才的な理解力と記憶力を備えている。それは生まれ持った才能もさることながら、頭脳を極限まで使いこなしているということでもあるだろう。
それと同じことを肉体でやってみろ。
全身の神経を研ぎ澄まし、体の芯から指先、皮膚の一片まで使い切って全てを感じ、理解して素早く対処するんだ。
頭で考えている暇なんかないぞ。全身を頭脳と化して、筋肉自身で考えて行動する。
技を体に覚えさせろ。そして使いこなせ」
「はい!」
「先生、無茶苦茶言ってない? 筋肉で考えろだなんて」
「何が無茶なもんか。これくらい出来なくて、たった五日でどうしてクロウレに勝てる? 大丈夫、ラルコはもう理解しているさ」
「うそ……」
ラルコは目をつぶり、精神を集中した。
(全身の神経を研ぎ澄まし、全てを感じ取る)
その感覚には憶えがある。
一度目は、タイガの森で。そして二度目はつい昨日のことだ。
(集中しろ。相手の意識を読むことに頼るな。触れられた一瞬の感触、筋肉の動き、息づかい。全身で全てを感じ、意識の下の無意識を読み取るんだ)
そのためには、自分自身の身体を隅々まで支配しなければならない。
先生の言う通り、指先から体毛の一本一本までも知覚し、全身の神経を使い切って、筋肉が自ら考え自ら動く。
(いや、考えるのではない。精神と肉体を一つにするんだ)
体の奥から、アウラを沸き立たせる。
深淵に沈むのではなく、光の海に漂うのでもなく、アウラと自分を一つにする。
「そうだ、それでいい」
先生がうなずく。
「ちょっと待ってラルコ。あなた、何をやっているの?」
右手を前に伸ばし、自分の状態を確かめる。
外に漏れる光はごくわずか。だが身体の内には溢れんばかりのアウラがたぎっている。
先生の声も、シーニャの声もいつもと違って聞こえる。視界も、普段見えないものまで見えている感じだ。
この感覚が維持できれば……。
「大丈夫だ、シーニャ。来て」
シーニャが戸惑いながらも、構える。
「いくわよ」
さっきと同じように手首を取りに来た。その動きが、妙にゆっくりに見える。
彼女は手を掴んだまま、ラルコの懐に飛び込みつつクルリと体を回転させ、腰を使って彼の体を跳ね上げた。
(なるほど、こういう技もあるのか)
空中できれいに弧を描きながら、ラルコは状況を冷静に観察していた。
この投げ方なら、背中から地面に落とされる。だが、シーニャが両手の力加減を少し変えるだけで、背中ではなく脳天を地面に叩きつけ、頭蓋を粉砕することも可能だ。
見た目以上に、凶悪な投げ技だった。
(よし、これなら)
身を捻って体を返せば、逃れることもできそうだ。
だがラルコは、あえて背中から落ちることを選んだ。ただし、最小限の衝撃で受けられる姿勢で。
「よし、次」
投げられると同時に素早く立ち上がった彼に、シーニャは目を丸くした。
「なんだかこっちが手加減されたみたいで、悔しいわね。じゃあ遠慮なくいくよ」
それから、何十種類もの投げ技と関節技をくらったが、ラルコは眉一つ動かすことなく平然と受け続け、逆にシーニャの方が息を荒くしていた。
「うん、少しわかってきた。もっと投げてよ」
「はあっ、はあっ。あ、あなたねえ。投げられる方は楽かも知れないけど、投げる私の方は、もう……。はあっ、はあっ……」
「ああ、そうだな。もうその辺でいいかな」
スカラーツ先生が手を上げる
「じゃあ次にいこう。おーい、トード! ちょっと来てくれ!」




