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2.辺境の少女


 マルジットは、ブルメリア王国の西の国境付近に位置する、人口二千ほどの小さな村だ。

 タイガの森と呼ばれる、辺境に広がる広大な森林地帯の畔にあり、農耕と森の恵みを糧に比較的安定した営みを続けている。


 森は、人間達に多くのものをもたらしてくれる。

 そこに棲む多彩な植物や獣はもとより、田畑を潤す豊かな水や穏やかな気候も、深い森があればこそだ。

 この恩恵を受けてか、この地方は他の地域に比べて農作物の収穫も多く、ここから産出される作物は、国民の胃袋を満たすのみならず、他国との交易品としても重宝されていた。


 村の存在価値は、それだけに留まらない。

 森を切り開き耕地を広げることで、国土を少しずつ広げていくのはもちろんのこと。万が一外敵が侵入した場合には、国を守る防壁の役割も果たす。

 近隣には、森に沿って同じような農村がいくつも点在していた。

 こうした辺境の村々は、民を潤すと同時に国境を守護する、小さいながらも王国にとってなくてはならない重要な拠点なのだった。


 そして今、マルジットの村は実りの秋を迎え、一年の内で最も忙しい時期となっていた。

 農作物の収穫と出荷、来るべき冬に向けての準備など、村を挙げての大仕事に人々は休む暇もなく、額に汗して働き続けている。

 だが村人にとって、その過酷な労働は大いなる喜び。一年の苦労が報われる、最も充実した季節であった。



―― * ―― * ――



 そんな慌ただしい日々が続く、とある晴れた日の朝。村にほど近い森の中の小道を、一人の少女がのんびりと歩いていた。


 少女の名は、ラキィ・カンターラ。先月、十二歳の誕生日を迎えたばかりの村の娘だ。

 栗色の長い髪をふたつに束ね、誕生祝いに親からもらった花の彫物付きのピンで前髪を留め、誇らしげに額をさらすその姿は、正に元気はつらつ。

 森育ちの娘らしく、くすんだ黄色の長袖のシャツに薄茶の前掛けと、麻のズボンをはいている。

 普段はロングスカートでいることが多いのだが、森に入る時は動きやすいこの恰好が良い。前掛けも単に身を包むだけでなく、ポケットに道具や収穫物を入れたり、時にはタオルや包帯代わりになったりと、重宝に使える大事な装具だ。

 そして背中には大きな雑嚢を背負っている。今日はこれを一杯にして帰るのだと、彼女は張り切っていた。


 秋は、森の自然がその魅力を最大限に発揮してくれる季節だ。

 多くの木の実や茸に、食べられる野草も多い。森に棲む獣や、時には魔物でさえも恵みの一部だ。

 ただし時折、その犠牲となる者も出ないわけではない。だが人々はこれも恩恵を受けるために必要な捧げ物と受けとめ、恨みを抱くことなく森との共存を果たしていた。


「はーらぺーここーだぬーき、さーといーもひーとつ♪ もーひとーつほーしいーなそーれちょーおだーい♪

 にーいさんたーぬきーは、さーといもふーたつ♪ だーめだーめぼーくもはーらぺーこさー……♪」


 柔らかな木漏れ日の差す小道を、ラキィは大きな声で歌いながら歩いていた。

 森の奥からは、小鳥たちの唄声も響いてくる。村にほど近いこの辺りは、森とは言ってもそれほど深いわけでもなく、道もきれいに整備されていた。大型の獣が出ることは滅多にないし、子供が一人歩きしても特に危険な場所ではない。

 今日は、数人の仲間達と手分けして、秋の実りを収穫に来ている。他の者達も、茸や木の実など、それぞれの獲物を求めてあちこちに分散していた。


 ラキィが今目指しているのは、歩いて半時ほど先にある大きな泉だ。

 お目当ては、大好物の水芋(ティポコ)

 水芋は、泉菜(ラーチ)と呼ばれる水棲植物の地下茎だ。泉菜は泉の畔の湿地に多く群生しており、春先に採れる新芽は、シャキシャキとした食感と清涼感のある独特の風味で、季節の味覚として人気がある。

 秋になると、葉も茎もすっかり伸びきって食用には適さなくなるが、その代わり、根元に栄養たっぷりの小芋を大量に抱え込むのだ。

 大きさは、小指の先ほどの小さなものから拳くらいのものまで、さまざま。保存もきくので、冬を越すには欠かせない食材だ。


 三曲ほど唄い終えたところで、泉に到着した。

 ラキィは雑嚢を下ろすと、靴とズボンを脱ぎ脚をむき出しにした格好になった。それから、雑嚢の脇に縛り付けてあった木製のサンダルを履き、腰の高さほどに伸びた泉菜を掻き分けながら、藪の奥へと向かって行った。

 泉菜(ラーチ)の藪は、泉の周りを取り囲むように大きく広がっているが、外側に近い辺りは地面も固く、水芋はあまり育たない。収穫するならもっと奥の方の、水辺の柔らかい泥の中が狙い目だ。


「よっし、この辺りかな」


 冷たい水に足首まで浸かり、生い茂る泉菜の茎を適当に束ねて、両手で根元を掴み取る。

 腰を落とし、両足を踏ん張って力一杯、でも慎重にゆっくり引き抜くと、モジャモジャの白いヒゲのような根と、そこに絡み付いた大小さまざまな水芋が上がって来た。

 ラキィはヒゲの塊を顔の高さまで持ち上げ、隙間に覗く水芋を間近に見つめて、ニイッと笑みをうかべた。そしてその束を脇に置き、再び次の草を引き抜きにかかる。

 それを数度繰り返した後、草束をまとめて背中に担いで、藪の外へと向かった。


「ふう、大漁大漁」


 荷物の置いてある所へ戻ると、地面に座り込んで、根の間から水芋を一つずつ丁寧に取り始めた。

 取った芋はすぐにはしまわず、地面に並べる。こうして暫く陽に当てておいて、軽く乾燥させるのだ。


 一通りの作業が済むと、ラキィは再び泉に向かった。

 雑嚢を一杯にするには、これを何度も繰り返さなくてはならない。およそ半日がかりの、子供にとってはけっこうな重労働だ。


 だが彼女にとって、この程度の労働はごく日常のもの。

 甘やかされて育つ街場の子供と違い、辺境の子供達は、みな生きることに貪欲だ。

 力では大人にかなわなくても、野山を棲み処とする彼女らは、十歳を迎える頃には生きるために必要な一通りの術を身に付けてしまう。

 小さいながらも一人前の、野生の子供達なのだ。


 晴れ渡る青空の下、ラキィは嬉々として、水辺と岸を往復し続けた。


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