14.貫頭衣の男
王宮に参上するともなれば、身なりも相応に整える必要がある。
二人は軽い昼食を取った後、水を浴びて身を清め、郡庁方であらかじめ用意してくれたシャツとジャケットに着替えてから、事務所を後にした。
キャラコルク郡の出張事務所が建つのは、城壁の外堀をぐるりと囲む大広路沿いの、西門から二百マールほど離れた場所だ。
目指す王宮は、城壁の中。馬車を使うほどの距離でもないので、歩いて向かった。
城壁は、約3カマール四方の正方形に展開されており、その中には、王城を中心に数々の離宮や教会、大学などの公共施設と、貴族その他の関係者の官邸や宿舎などがある。
城壁の四方に設けられている大門は、戦でもない限り閉じられることはなく、いつでも解放されていて、一般市民も出入りは自由だ。
門の両側には槍を持った歩哨が立っていたが、特に検問があるわけではない。リュカスはどーもどーもとにこやかに挨拶をしながら、ラルコと共に巨大な石造りのアーチの中へと入って行った。
ラルコはリュカスの後について大門を通り抜けながら、その向こう側に広がる、これまで見てきた雑多な街並みとは全く違う、開放的な景色に驚いた。
(これが、本当に塀の中なの?)
門の先には、道の幅だけで50マールはあろうかという石畳が、一直線に伸びていた。
道の両側には緑豊かな草原が広がり、その中にいくつもの建物が点在している。
そう、長年の間に都市機能が郊外へと移るに従って、壁の中では不要な建物は全て取り壊され、いつしか大都市の中心部とは思えないほどの広大な空間が生まれていたのだった。
石畳の道は先の方で上り坂となっていて、小高い丘へと向かっている。その頂上に、巨大な石造りの城砦がそびえ建っていた。
「あれが王宮、ガレイド城だよ。凄いだろう」
「はい、あんな大きな建物は初めて見ました。僕達は今から、あそこへ行くのですか?」
「いや、今日は王城へは行かない。その手前の、西宮に来るようにと言われているんだ」
王城の周囲には、それを取り囲むように、幾分小振りに見える砦のような建物がいくつも建ち並んでいる。
リュカスはその中の一つを指さしたようだったが、いずれも似たような造りで、彼がどれを指したのかはすぐには判らなかった。
西宮は、丘の中腹にある、建ち並ぶ建物の中でも比較的大きな城砦だった。
だが、近くまで来てみると中心部の建物同士はすべて回廊や連棟でつながっており、全体で王宮を形成しているということがわかる。
おそらく、内部は迷路のように入り組んでいることだろう。うかつに迷い込んだりしたら大変なことになりそうだ。
―― * ―― * ――
「こちらでお待ち下さい」
二人が案内されたのは、謁見の間というにはややこじんまりした、応接用の部屋だった。
リュカスは部屋の中を見回し、ここまで来てジタバタしても仕方がないと思いつつ、少しでも情報を得ようとこれまでの状況を分析し始めた。
(この部屋に来るのは初めてだな。
行政区画である西宮に呼ばれたので、あるいは孤児院への収容といった事務的な話なのかとも思ったが。
ここへ来るまでかなり回廊を歩いたことからすると、既に西宮を出て別棟に入っているはず。ここは一般の役人が入り込めない、奥の間だ。
ということはやはり、ここへ呼ばれた理由はそんな簡単な用件ではない。
だがこの部屋の造りは、明らかに上級職の接待用だ。ラルコを囚人として厳しく尋問するという雰囲気でもない。
とすると。これから現れるのは、人前に姿をさらすことが憚れるほどの貴人なのか。
まさか、副王その人ということはないだろうが……)
暫く待っていると、部屋の扉が開いた。
リュカスが深々と礼をするのにならって、ラルコも黙って頭を下げる。
中に入ってきた男は二人の前に立ち、リュカスとラルコを見較べた。
「頭を上げよ」
言葉に従って顔を上げたリュカスは、目の前に立つ男の姿に思わず目を見張った。
(これは……)
ゆったりとした黄土色の貫頭衣に、飾りのない同色の冠帽。男が身に付けていたのは、王宮に従事する官吏の衣装ではなかった。
「なぜ、聖王庁のお方が……」
男はリュカスの問いには答えず、ラルコを静かな目で見つめた。
その視線をラルコは何ということもない表情で受け止めていたが、その実、心の内ではリュカス以上の衝撃を受けていた。
(この人……、心が読めない!)
それは、リュカスのように思考が複雑すぎて読み切れないというのではなく、霧の中を覗くように、茫として捉えられないという感覚だった。
そして更に、男の視線が逆にラルコの心を覗こうとしているかのように感じて、慌てて意識を閉ざそうとした。
男は、ギュッと目を閉じて下を向いたラルコに一瞬眉を上げたが、すぐに表情を和らげた。
「ふむ、なかなかに勘の鋭い子であるようだな。恐れずとも良い、顔を上げよ」
ラルコは、その言葉におずおずと目を開いた。
「私は、聖王宮のタダン・ドークという者だ。そなたがラルコ・カンターラだな?」
浅黒い肌に、痩せこけた頬。ドークと名乗ったその男の風貌は、一見すると年齢不詳のようであったが、声は予想外に若々しかった。
ラルコはその目を見つめ返しながら、先ほどの自分の行動を悔いていた。
(もしもこの人が僕と同じか、あるいはそれに似た力を持っていたとしたら、心を閉ざしたことで逆に疑念を抱かせてしまったかもしれない)
「ふむ。確かにこれは随分と風変りな、だが強大なアウラを備えた子供だ。よかろう、そなたの身は我々が預かることとしよう」
(アウラ……?)
聞きなれない言葉の響きに、奇妙な違和感を憶える。
これまでは、初めて聞く単語であっても、その声と共に流れてくる思考を読むことで即座に意味を理解することが出来た。
でも今回はそれが出来ないために、『アウラ』という言葉が何を意味するのかが判らない。
だがラルコが感じた違和感は、それだけが原因ではなかった。
男がその言葉を発した時、茫として掴みどころのなかった意識に一瞬だけ感情の揺らぎのようなものが現れたのだ。
そして何よりも奇妙に思えたのは、その感覚が決して不快なものではなかったことだった。
「我々とは? 貴方は本当に聖王庁の方なのですか?」
リュカスの再度の問いかけに、ドークは落ち着いた声で答える。
「聞こえておらなかったのか? 私は聖王庁の官吏ではない、聖王宮に使える者だ」
「聖王宮ですって?!」
リュカスが驚くのも無理はなかった。
聖王教会を統括する聖王庁は、一般の行政組織からは独立した機関だ。形式上は王宮の一部であるが、その構成員は教会内部から選出され、事実上聖王の支配下にある。
王宮内での活動も独自のものがほとんどで、他の部署との交流も少ないため、一般の官吏が彼らの姿を目にすること自体が稀であった。
ただ、彼らは普段から教会特有の法衣を身に付けているので、その姿は一目で見分けることが出来る。リュカスがドークの恰好を見た瞬間に声を上げたのは、そういう理由であった。
そして、聖王宮とは。
聖王教会の総本山であると共に、教会の頂点に君臨する聖王の居城でもある。
そこには選ばれた人間以外は足を踏み入れることすら許されず、活動の実態は厚い暗幕に包まれて市井の者にそれをうかがい知る術はない。
その聖王宮に属する人間が、王宮内とはいえ下界に降りてくるなど、想像もつかないことなのだった。
「よいな、この子供の身は我らが引き受ける」
「しかし……」
この男はラルコを、どうしようというのか。
副王派に囲われ政争の道具とされることだけは、何としても防がなければと思っていた。だが相手が教会、ましてや聖王宮ともなれば、リュカスに抵抗する手だてはない。
だからと言って、このまま黙って引き下がるわけには……。
「案ずるな。今後、この子は下界の諍いに関わることはない。
そなたの玩具を取り上げることになるが、それでも目的の一つは果たせるのではないかな?」
(見抜かれて……。まあそれも当然か)
リュカス自身、あからさまにラルコを利用しようと思っていたわけではないが、自分の手の内に留めて置けば、いずれ何かの役に立つかとも考えていたのは事実だ。
それが叶わなくなるにせよ、少なくともドークの言うもう一つの目的、つまりラルコの身の安全を確保するというガルブとの約束だけは、果たせそうだ。
「判りました。ですが一つだけ、ラルコくん自身が承諾することが条件です」
リュカスの言葉に、ドークは薄く笑った。
「ふむ。私がそなたの言に従わねばならぬ理由はないが、よかろう。ラルコよ、私と共に来るか?」
「はい、よろしくお願いします」
ラルコはそう言って力強く頷く。
ならば、とリュカスも跪き、ドークの前に頭を下げた。
「よろしくお願い致します」




