13.憶測と思惑
「さてと」
サザンテール所長はリュカスとラルコを郡庁事務所の所長室に迎え入れ、2人に茶を勧めながら、話を始めた。
「あなたがラルコくんね。長旅お疲れ様でした。
私は、カナミ・サザンテール。ここの所長をやっているわ」
「ラルコ・カンターラです。こんにちは」
建物の中に入ると、周囲を満たしていた声なき騒めきは大分薄れ、ラルコはようやく心を落ち着かせることができた。
(よかった。ずっとあれが続いていたら、頭がおかしくなってしまいそうだった)
カナミは、密かに息を吐くラルコの顔をじっと見つめ、それから「なるほどね」と頷いた。
ラルコは、以前リュカスも彼と初めて会った時に、同じような仕草をしていたことを思い出した。
その時は意味が判らなかったが、今ならよく理解できる。
(それだけ僕が成長した。と言うよりも、僕の中の世界が広がったということなんだろうな)
「トリクラートくん、あなたの報告にあった通りね。確かにこの顔つきはロスコア人のようだわ」
(ロスコア……か)
その単語を口にした時、カナミの心に幾分かの緊張と怖れが湧き出していたのを感じたが、それが具体的に何に起因するものなのかまでは、知ることはできなかった。
彼女の言葉に、リュカスも頷く。
「やはり、そう思いますか。それで、王宮は何と?」
リュカスの質問に、カナミは逆に問いかけるような視線を返す。
リュカスはそれに答えるように一瞬だけラルコに眼をやり、それからカナミに向かって再び頷いた。
だが対するカナミの回答は、「さあ?」と肩をすくめるのみだった。
「こちらが何を訊いても、とにかく連れて来いの一点張り。何が目的なのか、さっぱりよ」
「そうですか……」
「それでも、ある程度の推測はできる。問題はやはり、ラルコくんが最初に見つかった場所ね」
と、カナミは続ける。
「ええ。貿易港があるカンリートやロンボルーならともかく、ロスコア人があんな内陸にまで足を運ぶなんて、普通ならちょっと考えられないですからね」
リュカスがその後を繋ぐ。どうやら二人とも、考えは一致しているようだ。
「このガレイドにも、ロスコアの貿易商は何人も来ているけど。
でも、私も知り合いを通じて情報を集めてみたけれど、やはり手がかりになるようなものは何も出て来なかったわ」
「なにしろ我が国とかの地との間には、あのカラルカ山脈が横たわっていますからね。入国するにはどうしたって海路か海沿いを辿って来る以外に道はない。
そこから西へ向かったにしても、これほど目立つ容貌の人間が、人目に付かずに国を横断するのは不可能だ」
「それなのにこの子は、西の国境に現れた」
「つまり、ヴァイザル王国からやって来たと……」
「「それはあり得ない」」
二人は、声を揃えて言った。
ラルコは二人の会話に耳を傾けながら、同時に頭の中に流れ込んでくる心の声を読み取ろうとしていた。
だが、どちらの意識もラルコが追い付けないほどの速さで流れるように回転し、すべてを掴み取ることはできなかった。
『王宮』『郡』『政治』『タイガの森』『駆け引き』『村の人々』『ブルメリア』『派閥』『年貢』『世界』『経済』『ロスコア』『戦争』……。
断片的な単語や概念が次々と現れては、一瞬で消えて行く。
こんなふうに、嵐のような目まぐるしさで思考を巡らす人は、村にはいなかった。これが都会の、というよりも王宮の中で暮らす人々なのだろうか。
(焦っちゃだめだ。集中しすぎると、あれが出てしまう)
おそらく本気になれば、もっと深いところまで覗けるのだろう。だがそれは、ラキィに固く戒められている、とても危険な行為だ。
それに、仮に意識の奥底まで読めたとしても、根本的に知識のない自分には、彼らの複雑な思考を完全に理解するのは無理だ。
むしろこうして静かに、会話と共に表層に現れる意識の流れに心を傾けているだけの方が、知識を広げるには有利だろう。
二人が揃って『あり得ない』と言った理由も、ラルコは理解した。
ラキィと初めて出会った、タイガの森。あの森は、村に接している辺りはまだほんの入り口に過ぎず、その先には約一千カマールもの、つまりこれまで旅してきた距離の数倍にも及ぶ広大な森林地帯が、延々と続いているのだ。
しかも、その最深部は狂暴な魔獣や龍族が跋扈する魔境で、人間が足を踏み入れられるような場所ではない。
そんな土地を通り抜けて来るなど、とても考えられることではなかった。
「むしろカラルカ山脈を越えて来たと考える方が、まだ現実味がある」
「私には、どちらも大して変わらない気がするわ。いずれにせよ、ラルコくんが国外から、それも人目を避けてやって来たという事実は変わらない。
そこには、そうしなければならない何らかの事情があったはず。というのは、誰にでも推測できる事よね」
「要するに王宮は、外交問題を視野に入れていると」
「そういうこと」
カナミはティーカップを手に取り、薄い湯気の立ち昇るそれを口に運びながら、ラルコに声をかけた。
「ラルコくん。君はマルジットに来る前のことは憶えていないということだけれど、やっぱり今でも、何も思い出せない?」
「はい……」
ラルコは小さく頷きながら、言葉少なに答えた。
二人の会話の内容は理解できたが、ラルコにしてみれば、ややピントがずれているように感じられた。
なぜなら、ラルコにはどこか他の国からやって来たというよりも、どこでもない場所から来たという感覚しかなかったからだ。
外交問題など、この自分に関係あるはずがない。
ただ、そのどこでもない場所が本当はどこなのかは、ラルコにも判らない。もしかすると、二人の言うロスコアという国から何らかの手段で送り込まれたという可能性も、確かに皆無ではないのだ。
自分の容姿がロスコア人のそれに酷似しているらしいという事実、そこにも何かの事情が絡んでいるのかも知れない。
いずれにしても、何をどう判断するにも情報が不足しすぎていた。
「で、トリクラートくん。あなたの目的は、いったい何なの?」
「はて、目的とは?」
「さっき訊いたでしょ? どうしてこの話を私達二人だけでなく、わざわざラルコくんの見ている前でするのか、ということよ」
「なるほど。つまりカナミちゃんは、僕と二人きりになりたかったと」
「名前で呼ぶな、図々しい」
カナミは、真面目な顔で身を乗り出してくるナンパ男の鼻面を、指で弾いた。
「痛てっ。
まあ、あれですよ。ラルコくんに、これから自分が向かう場所がどんな所なのかを、少しは知っておいて欲しかったということです。
この子は、見た目よりもずっと聡明だ。自分の置かれている状況を、ちゃんと理解していると思いますよ」
「なるほどね。未来の郡長閣下ともあろうお方が、子供一人に随分な力の入れようね」
「所長こそ、あちこちに手を回しておられるようで」
さりげない詮索に眉一つ動かさないリュカスにニヤリと笑い返しながら、カナミは答えた。
「そりゃそうよ。なにしろ王宮騎士団副団長のお声掛かりだもん、ここで恩を売っておいて損はないわ」
「えっ?」
驚いたリュカスが、身を起こす。
「聞いてないですよ。王宮騎士団って、なんでまたそんな連中が?」
「そんな連中なんて言ったら、怒られるわよ。今の副団長が誰なのか、忘れたの?」
「誰ってそりゃあ……。あーっ、バルダゴスさんか」
リュカスがポンと手を打つ。オーザ・バルダゴス、かつての東門騎士団の団長だ。
「でも、どうしてあの人がラルコくんのことを」
「カンターラさんから、手紙が届いたんですって。うちの息子をよろしくって」
「カンターラさんがそんな手紙を? いつの間に……」
その頭を、カナミがポンと叩く。
「そんなの、あなた達が出発したすぐ後に決まってるでしょ。手紙なんて、普通に駅馬車便で出せば十日で届くわよ。
それなのに、肝心のあなた達がいつになっても来ないもんだから、危うく忘れちゃうところだったわ」
「あそっか」
頭が良いのか、抜けているのか。ラルコはリュカスのとぼけた声に小さく笑いを漏らしながら、ガルブの心遣いに密かに感謝した。
「なるほど、あのバルダゴスさんならカンターラさんの頼みを断れる訳がないな。なにしろその昔、団長の数々の悪行の尻拭いを僕とカンターラさんが」
「団長と僕の悪行の尻拭いをカンターラさんが、でしょ? よく判ったわ、あなたもバルダゴス副団長と同じで、カンターラさんに頭が上がらないって訳ね。
マルジットへの使者に自ら名乗り出たのも、ただ仕事をさぼりたいだけではなかったと」
「ま、そういうことです。それに、この一月でじっくり根回しも出来たでしょ?」
「まあね」
つまり、こののんびりした旅路も、実は下準備のための時間稼ぎの意味があったらしい。
「この件については、どうやら国王派は関わっていないらしいわ。副王派からの情報は少ないけど、そちらの手が動いたのは確か」
「目的は?」
「それが判らないのよ。目立った大きな動きはないから、単なる興味本位という可能性もなくはないけど」
「そうですか」
リュカスは頷くと、ラルコに向き合った。
「そういうわけで、ラルコくん」
「はい」
「正直に言ってしまうが、どうやらこの都には、君を利用しようという不届きな輩がいるみたいだ。
でも、味方も大勢いる。何かあった時にはみんな出来る限りの手助けをしてくれるはずだから、安心して暮らすと良いよ」
ラルコは黙って頷きながら、(あなたはどちら側ですか?)という言葉を、飲み込んだ。




