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11.旅路の微睡の中で


 秋晴れの青空の下、東へと向かう広い街道を、ラルコとリュカスの乗った荷馬車がガタゴトと音を立てながら進んで行く。


 御者台にはリュカスが座り、時々生あくびを漏らしながら眠たそうに手綱を握っている。

 ラルコは後ろの荷台で、山積みの荷物の隙間に体を潜り込ませ、穀物の入った袋に寄りかかって微睡んでいた。

 板張りの荷台には幌もなく、藁くずと野菜のかすで汚れ放題。それを引くのも、毛並みのあまり良くない年老いた農耕馬だ。

 馬の歩みは、呆れるほどに遅い。むしろ歩いた方が速いのではないかと言いたくなるくらいだ。

 しかしこんなオンボロ馬車でも、郡庁がリュカスの移動手段としてわざわざ用意してくれた支給品だ。この待遇を見るだけで、役所内における彼の地位がそう低いものではなく、さりとて高級官僚という程でもないということが、よく判る。


 そんな、乗り心地が決して良いとは言えない固い荷台の隅で、ラルコは夢心地に包まれながら、これまでの出来事を思い返していた。



―― * ―― * ――



 ラルコが初めて意識を持ったのは、あの森の泉に立った時だった。

 最初に感じたのは、自分が自分であるということ。続いて色や音、風や匂い、陽の光など、あらゆる感覚がいっぺんに襲い掛かって来た。

 彼は知覚の奔流に押し流されそうになりながら、一つのことを思い出した。

 それは、以前の自分がこことはまるで違う、何もない場所にいたということ。色も匂いも、時間すらもない真っ白な空間、あれはいったい何処だったのだろう。

 そんなことを冷静に考える(いとま)もなく、ラルコの意識は押し寄せる情報の渦の中で溺れ、自分の足で立つという本能すら見失って、浅瀬の中に崩れ落ちてしまった。


 そこに駆けつけてくれたのが、ラキィだ。

 抱き起された瞬間、ラルコの中に彼女の意識が流れ込んできた。


『あたしがこの子を守る!』


 どこまでも純粋でひた向きな想いは、そこにあったすべてのものを押しのけて、彼の真っ白な意識をただ一色に塗り潰した。

 それは、生まれたばかりの雛鳥が始めて見たものを母親と認識してしまうのと同じだったのかもしれない。

 だがその時、ラルコは間違いなくその魂に、ラキィへの絶対的な信頼と忠誠を刻み込んでいたのだ。


 彼にとって、この出会いは幸運なことだったと言えるだろう。

 最初に心を通わせたのがラキィという穢れなき少女であり、初めて触れた魂が純粋で光に満ちたものであったことは、彼がこの世界を信頼に値すると認めるのに、充分なものだった。

 そして『守る』という決意は、彼の魂にとって揺るぎない礎となった。


 ラキィが声をかけてきた時、ラルコはまだ人の言葉を知ってはいなかった。だが、声と同時に流れ込んでくる彼女の意識を読むことで、何を求められているのかは理解できた。

 ただ、それを自分の言葉として使いこなすまでには至らなかったが。


 そして帰り際に、ラキィが水芋を忘れそうになって振り向いた時、意識を繋げていたラルコは、彼女が言葉を発するよりも先に行動を起こしてしまった。

 その時彼女の心に沸き起ったのは、驚きと疑念と、不安と怖れ。だがその怖れは自分という存在にではなく、未来に向けられたものだった。

 彼女のひそかな動揺に、ラルコ自身も衝撃を受けていた。

 同時にこの能力は誰もが持っているものではないことを知り、ラキィの危惧を等しく己のものとしたのだ。


 それからのラルコは、自分の能力をひた隠すことに努めた。

 心が読めるおかげで、言葉はすぐに覚えることができた。だが自分から話すのは、極力慎重にした。

 おかげで無口な子という印象を周囲に与えてしまったが、それ自体は何の不都合もない。

 それよりも、ラキィの良い男という噂が密かに飛び交っているのが聞こえてしまうことの方が、彼女に対して申し訳ないと感じていた。


 ラキィが危惧する瞳の色については、それほど心配はしていない。

 自分では見えないが、おそらくあれは精神を極端に集中した時にだけ顕れるものだろうと、感覚的に理解できた。

 普段は、何もしなくても周りの人の心の表層部分くらいは自然と聞こえてしまう。

 それだけでもうるさくて仕方ないくらいだし、ラルコがこれまで自分から心を通わせようとしたことがあるのは、ラキィだけだ。

 でも、ラキィに言われるまでそれに気付かなかったのも確かだ。これからは、迂闊なことをしないよう十分に注意しなければ。


 別れの夜。

 ラキィから真名(ヴェリナ)を与えられたことによって、二人の魂はより強固に結びついた。

 これからは何処にいても、ラキィと繋がっていられる。この身に何が起きようとも、この絆がある限り、決して道を見失ったりはしない。

 ラキィは「こんなことくらいしか」なんて言っていたけど、これ以上ない最高の贈り物だ。


 でも、どうして? と、ラルコは自分に問いかける。

 どうして自分は、旅立とうと決心したのだろう。

 本当は、ずっとあの村にいたかった。ラキィの傍から離れたくなかった。

 けれど、リュカスと出会いその心を読んだ時、この世界の本当の広さを知ってしまった。

 ここよりももっと広い世界で、自分の使命を全うしなければならないという衝動を、抑えることが出来なくなってしまったのだ。

 守ること。それはラルコにとっての至上の価値となった。


(僕は、守り通さなくてはならない。

 何を? 決まっている、ラキィをだ。

 そしてラキィの住む村を、共に暮らす人々を、この国を、世界を。平和を乱そうとする全てのものから。

 それが僕に与えられた、使命だ)




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