一粒の勇気
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雲一つない抜け殻のような空が広がっていた。ユユは心配していないだろうか。ララは……いや、詮無きことを考えても仕方がない。あの農村から一番近いアドラスシア・ネセシウムと言う小さな町に戻ってきていた。それは、先の任務で僕達の派遣隊が拠点としていた町である。
探索部隊が全く来ないと思っていたのだが、どうやら本隊が到着しているようで、それはつまり、僕は本当の意味で捨駒として切り捨てられていたという事だった。
僕は拠点としている外れの一軒家に足を運んだ。石造りの薄汚くいつでも放棄できるような物件であった。顔見知りの守衛に挨拶をすると、大した感慨もなさそうに室内にいる指揮官へと通してもらった。
室内には大きなテーブルと椅子が数個。奥に一人の男が座っているだけであった。男は鋭く釣り上がった目をしており、赤銅色の髪を短く刈り上げている。影を落とした顔にモノクルがやけに反射し、それが突っかかりのない異様な気難しさを醸し出していた。
黒い軍服に大量の勲章を下げて、つまらなさそうに頬杖を付いていた。
「ああヘンラーか、とても心配したよ」
声と態度がここまでチグハグな男に僕は昔から底知れぬ冷たさを感じていた。背中に冷たい汗が一粒流れた。
僕は背筋を不自然なほど伸ばし、努めて声を張り上げながら言った。
「はっ! ジキル・カーマン将軍におきましてはご機嫌麗しく存じます。遅ればせながら不肖ヘンラー・リーブスただ今帰還いたしました!」
「何かめぼしい情報は得られたか?」
ジキルの全てを見下すような視線が突き刺さる。彼はつまらなさそうに指でテーブルを叩いた。
とん、とん、とん、と。それは牢獄に鳴る看守の足音のように鮮明にこの部屋に響いた。
「いえ、申し訳ございません……将軍閣下」僕は嘘をついた。
ジキルはゆっくりと立ち上がりこちらへ歩み寄ってくる。
「まあいい。それに関しては代替の人間が見つかった。しかし、私の軍で功績を挙げられなかったのは悲しいな。またあの魔人に出し抜かれたよ」
「この身の不出来をどうかお許しください」
「ところでヘンラー――」ジキルが僕の肩に手を置いた。見た目からは想像出来ないほどに大きく重たい岩のような感触が僕を叩いた。
彼がゆっくりとこちらを見たのが息遣いで分かる。心臓を捕まれ、喉の奥に冷たい風が侵入した。額はにはじわりと脂汗が滲み、左頬の傷がじくじくと痛みと痒みを訴える。
「――あのララと言う女。アレを連れて帰って来なかったのは何故だ?」
ああ、僕は多分間違った選択をしてしまったのだろう。そう気付いた。正直に打ち明けて彼女を差し出すべきだったか。それとも、彼女に打ち明けて逃がすべきだったか。
対極する二者択一で僕が選んだ答えは。
「何のことでしょうか……?」どちらでもない。一番の愚策であった。
なるほど、自分でも言っていたが、改めて知と理が別次元のものであると気づく。
吹き出した一粒の汗が頬を撫でる。そうあと一粒。たった一粒でいい。あとたった一粒の――
「あのララと言う女に強力な魔力を感じたのだが、はて、あれは我々の探し物――魔導兵器の原動力――とは違ったのかな? 君は人の内包している魔力が見えるのだろう? だからこそ派遣部隊に選抜した。なんだ、安い演技をして信頼させて穏便に回収するつもりだったのだろうと思っていたのだが」
――勇気が僕にあれば……何かが変わったのだろうか。