巨人
血反吐を吐き出し、それでもルドルフは立ち上がろうとしていた。血が沸き立つ。客観視しなくても分かる。多分自分は血よりも紅いギラギラとした目で睨みつけているのだろう。
ルドルフに背を向けて、突き刺さった大剣を左手引き抜き、再び彼の方を向いた。蛇が大剣にも巻き付く。
手にかかる重みは先ほどのものとは比べ物にならない。単純に質量で叩き潰して挽肉に出来そうだ。ああそれがいい。そうしてしまえば、今この戦いで邪魔する者はいなくなるではないか。
「ヨハン……」
平坦な声で、囁くような声量で名前を呼ばれた。
肩に誰かの手が乗った。振り返ると、そこには黒いポニーテールの女性がいた。マリアの身体に取り付いたクロシェという少女だ。
クロシェは、横に小さく首を振って言った。
「殺すのに慣れないで。衝動に負けないで」
毒気を抜かれた気がした。
彼女の思いが聴こえたと理解した途端、こうなる事が当たり前であったかのように、不思議と穏やかな気持ちになった。
ルドルフが芋虫のように地面をはっている。その視線には明確な敵意と恐れが混在していた。
ヨハンを手で制し、クロシェがルドルフに近付いた。彼女は片膝を付いて、捕えられた獣のように猛るルドルフをじっと見つめた。
息荒く、目を剥いて威嚇するルドルフと、ただ静謐な池の上の蓮の如きクロシェの対比があまりにもアンバランス過ぎた。
ごん。と、鉄板を殴りつけるような音がした。
クロシェが拳骨で、ルドルフの頭を叩いた音であった。予想外の行動に思わず絶句する。
しかし彼女は何事も無かったかのように、気絶した赤髪の少年を担ぎ上げて、こちらを見た。
「彼は、安全な場所に避難させる。ヨハンはあれを…… 」
そう言うと、クロシェは遠くを指さした。絶対領域の守護石。赤黒い空へ貫く一陣の矢ような、はたまた天空から振り注いだ一本の槍のような巨大な魔晶石。開校以前より存在し、アドラスシア学園の象徴とも呼ぶべきそれを、ただいつもの平坦な表情で示した。
意味も分からず見上げていると、突如地鳴りが起き巨大な魔晶石はひび割れていく。
その亀裂からはどろりとした黒い血のような液体が垂れた。
なんだ? そう呟いたのも束の間、辛うじて液体であったものはみるみる形を変えて、巨人を型どった。先ほどまで相手していた人影を途方もなく大きくした存在であった。空に吸い込まれていきそうな程に巨大なそれにヨハンは図らずしもたじろぐ。
恐らく、ここにいるほとんどの者は絶望を覚えた。そして敗北と死を悟る。
巨人がどこから発しているのかも分からない声で叫んだ。扉の隙間を風が通り過ぎるような細い音だった。
思わず耳を塞ぐ。身体の芯から震えていた。
その声が轟くと、人影は無形の霧となり巨人に吸い込まれていく。
*
穏やかな凪が訪れるように、マハの中で蠢いていた痛みが消えていった。手を引き、導かれるようにゆっくりとごく自然に目覚める。
ぼやける視界には、高い木製の天井が映った。
風が吹いている。生臭さと、きな臭さの混じった不快な空気だ。
マハは左手を見た。そこには薄くなってはいるが、黒蛇の胴体が巻きついており、そいつが膨らんだ左胸の頭頂部から生え出しているのが見えた。