憎悪
*
バリケードの内側でルドルフが嘶いた。赤髪を汗で乱し、土塊のかかった顔で、犬歯を剥いて吠える。
「お、おい。お前、これは一体どういう事なんだ!?」
その言葉の節々に戸惑い、怯え、憤りが含まれており、ヨハンは真紅の瞳で一瞥しただけで再び敵の方を見た。――ため息が出る。
赤黒く生温い風が、悪臭をどこからか運んでくる。
声が聞こえる。断末魔の叫びが。
「知らねえよ。とりあえず、ここは俺らで引き受けるから吠えるだけの坊ちゃんはとっとと逃げな」
「は? 僕が逃げるだと、意味の分からない事を言うな。おい、こっちを見ろ!」
背後で大剣を殴りつける音が聞こえた。
ヨハンは一度舌打ちをして、人影に切りかかる。敵の爪が肩を切る。ヨハンはその学生服を再び血で濡らした。――イライラする。
「いや、分かるだろ。腰抜かしてるじゃねえか」
ヨハンは肩を押さえた。
掛けた戦闘力を補うようにクロシェが剣を振るう。それでも、足りない。数が圧倒的な暴力となって二人を襲った。
背後でルドルフが魔法を詠唱していた。
そして、小さな炎の弾丸を放つのが見えた。しかし攻撃は人影の体に当たった途端霧散してしまう。――分かってくれ。どう考えても役不足なんだ。
「ふざけるな……まるで僕がお前より僕が足でまといみたいじゃないか……」
戦慄く声が聞こえた。――頼むから、それ以上口を開かないでくれ。
悔しさを咬み殺すようなそんな弱々しい声であった。
「おう。分かってんじゃん」
「馬鹿にするなよ、あの試合はたまたま運が悪かっただけで、普通なら僕が――ひっ!?」
――煩わしかった。ただ言い訳のように言葉を垂れ流すこの男が。だが、それでもこのルドルフという男は、ありえたかも知れない未来である。
だから、ヨハンは忌々しげに舌打ちをして、彼の言葉を無理やりぶった斬った。手に持った剣を投げて、ルドルフの目の前に突き立てることによって。
ルドルフをその不吉の象徴である真紅の瞳で睨みつけることによって。
誰しもがいつ転換してもおかしくない。そんな負け犬の遠吠えにも似た言い訳を聞きたくなかった。
「……勝ってたっつうならそれこそ邪魔だよお前。これ以上騒ぐなら俺が殺してやろうか?」
あるいは、この時とったヨハンの行動や言葉がこの男の運命を大きく変えてしまったのかもしれない。
「……せよ」
「あ!?」
ルドルフが突き立てられた剣の刃を握った。彼の手からは鮮やかな血が幾条もの道筋を作り流れ落ちた。
「殺せよ! どうせ地獄だ、この世の終わりだ。見ろよあの赤黒い空。罪人の血のようだ! 見ろよ周りを! 僕の友人が、尊敬する教諭が無残に首を切り落とされ、物言わぬ肉の造形物になってもなお、見開いた瞳が僕を見るんだ! その視線が僕を削ぎ落としていくんだ!」
生気無く目と口をだらりと開けた生首がこちらを見ていた。ナメクジのように這い出した舌から涎が微かな光を反射している。
ルドルフが剣を地面から抜いて、切っ先を天に向けた。唾を吐き出し、目を剥いて、汗で張り付いた赤茶色の髪は鉄錆のようにくすんでいた。
「そうだ、あの色が罪人の色ならば、この星が、この星に命がある事が罪なんじゃないか!」
醜いまでに瞳孔が開き、獣のように涎を垂らし、蒸し暑いほどに息を荒らげていた。
ヨハンは人影の攻撃を避けた。人影は前のめりになる。その背中を蹴りつけバリケードとして存在する大剣と大剣の間に人影の顔をめり込ませた。
逃げ出せないように、足の裏へ全体重を乗せて、ルドルフに見せつけた。小指で耳の穴をかきながら、煩わしそうに言った。
「じゃあ、こいつは罪を咎めにきたのか?」
「そうだ!」
そうだ。と、ルドルフが言い切るのと同時に、人影の頭を剣で刺し貫いた。霧散して開けた視界には目下数寸と言った所で切っ先を向けられて、怯えるルドルフがいた。
ヨハンはバリケードの隙間を広げて、ルドルフに近づいた。
黒い蛇が身体を蠢き、揺れる白銀の髪と真紅の冷たい瞳。ルドルフにとって彼はさぞ禍々しいものに映っていただろう。
ルドルフが震える手で剣をこちらに向ける。事も無げにそれを振り払った。
「あー。一人で盛ってるとこ悪りぃけどよ」
ルドルフが震える手で剣を構え直した。再びそれを軽く弾く。弱々しくも硬質な音が鳴った。
「なんつーか、寒いよお前」
後退しながら剣を構えるルドルフに一歩ずつ迫りながら剣を弾く。児戯にも等しいそんなやり取りで何度も何度も音は鳴り響く。
ルドルフの心を少しずつ削ぐように、力を一段階ずつ加えていく。歯を剥き出しにして食らいつく彼をヨハンは無表情で追い詰めていった。
「別にお前に死なれたくないとか」構えなおせ「そんな意味合いで助けるわけじゃねえし」そうだ「むしろ死んでくれた方が楽で」目が怯えてるし「俺が殺してやりたい所なんだけどよ」手が震えてるぞ「あんましそういうのしてバレっとアイツと居づらくなるから――」
ヨハンは彼の腹部に回し蹴りを決め込んだ。
ルドルフは軽石のように吹き飛び地面に叩きつけられた。
「――とりあえず邪魔しねぇでくれる?」