紅の侵食
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ユユは驚き、目を見開いた。隣に立つシグレと言う名の男装の麗人と呼ぶべき人物。彼女は真っ白な軍服を身に纏い、滑らかで豊かな髪をまとめて帽子に押し込んでいる。片目は冴えるような真紅の色をしており、またその瞳は古来より不吉の象徴、神への冒涜とされてきた。
ユユは怖気だつのを覚えた。学園生である以上、単位取得の一環として魔物の討伐含めて様々な任務をこなす。いわゆる実技試験のようなものである。
ゆえに学園生は血や凄惨なものにある程度の耐性はついているのだが、それにしてもなおシグレの真紅の瞳に起きた異変に全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。
「シグレさん、目が……っ!」
シグレの彫刻家によって掘り出されたような美しく均整の取れた顔に、一つの違和感として埋め込まれた紅の瞳。
その瞳が大きく盛り上がり、まるで別の生き物のように、彼女の顔面から飛び出そうと目蓋をぐりぐりと押し上げていた。
目蓋が裂け、湧き水のように血が溢れ出ている。
「みたいだね……それに頭も酷く痛む」と、シグレは瞳を抑えた。
玉のような汗が彼女の頬を伝う。苦々しく笑って見せているが当人はあまり余裕が無いように思える。
「く、あっ……」小さく唸り声を上げて膝から崩れ落ちた。
その拍子に指の隙間から大量の血液が溢れ出る。命の流出とでも呼ぶべき量で、砂浜に赤い血だまりを作った。
「シグレさん!」
「おい、大丈夫なのか?」周囲の警戒を行っていたフェイドアが戻ってきた。
短髪で清潔感のある好青年風の彼は、眉間にシワを寄せシグレの表情を伺おうと身を屈めた。
フェイドアは指先に薄緑色の光を灯して、瞳を抑えているシグレの手に静かに添えた。
「こんな時にマハがいればまた違ったんだろうが、これで我慢してくれな」
黒いもう片方の瞳は血とともに意識も半分近く抜け出したような虚ろさで、フェイドアを見ていた。
フェイドアが施した治癒魔法も効果は余り見られない。
シグレから放たれる紅の侵食はとどまることを知らず、砂浜を越えてやがて海へと流れ出した。人がまして少女の身体一つで保有しているとは思えないほどに異常なまでの出血量である。本来ならば失血死どころか、干からびていてもおかしくない。
「んぐっ!?」だが、それでもシグレの抑えた瞳からはまるで嘔吐するように、夥しい量の真紅の液体が、それこそだくだくと音が聞こえそうな程にたれ流されていた。
それから海一面が真紅に染まるのに時間はかからなかった。
「フェイドア君、海が……空が……」ユユはうわ言を呟くようにこぼす。
真紅は徐々に沖へと向かい、水平線が紅く染まったと思えば次は夜空へとその色を伸ばした。真紅は星を飲み込み、月を飲み込みユユの頭上を越えて反対側の空まで広がっていった。
空も海も大地も、シグレから流れ出した紅に染まりきった頃
「うっ、ぐっ……ああああぁぁぁぁ――――!!」
突如弾けるようにシグレは叫びを上げた。
紅い液体がまるで間欠泉か、光線のように吹き出して、噴射の勢いに負けて彼女は天を仰ぐ。間欠泉は海を割り、空を一直線に切り裂いた。