砕け散るガラス
*
学園長室にて、アドラスシア学園生徒と、アドラスシア王国魔法騎士団の顔合わせが終わり、彼らはひとまず解散の運びとなった。
オルランドは「テーブル高かったのに」と、ぼやきながらガラス片を集めている。
「すまんすまん。昂ってな」
そう言ってディアナもばつの悪そうな顔で屈んで破片を一つづつ集めていた。
「いつも飄々(ひょうひょう)となさっているディアナ様にしてはお珍しいですな」
そう言ってオルランドは不思議そうに、しかしどこか見透かしているような瞳でこちらを見ている。彼の瞳は若々しく瑞々しい。
ディアナは、暫く黙り込みそして小さく声を出した。
「千余年」
「へ?」
「私は千年、神王として永い時に縛られ続けた。その中で神獣が現れたのはたったの三度だ。一度目は私がまだ神王としての星約に縛られる前。ただの人間だった時だ……」
「残り二度は?」
「ヨハンの手にとり憑いたヤツと、今夜の海で徘徊しているヤツだ。オルランド、この意味が分かるか? 千年姿を見せなかった神獣が同じ世代に二体も現れている事。これが既に異常なんだ。まさか、千二十数歳にして、まだ初体験があろうとはな、思ってもみなかったよ……」
「それほど、世界には色々なものが溢れているという事です」
ディアナは愉快そうに鼻で笑った。
「……ガキが」
*
マハは、ユユに連れ出され学園の中庭にいた。
中庭のちょうど真ん中に大きな一本の木がある。幹の根本に腰掛け、そこからの景色を見た。木陰の涼やかさと、木漏れ日の温もりが同時に混在していた。
大きな学園校舎の真ん中から天を穿つように伸びる巨大な柱状の魔石。通称絶対領域の守護石は今日も光を反射している。
「放課後に地下遺跡へ向かって、そんなに経ってないと思ってたら一日も経ってたんだ」マハはそよ風揺られながらそんな事を言った。
「そうですね。マハが居なくてユユはビックリしましたよ、まさか全く別の場所に飛ばされているだなんて」
ユユの表情は影に隠れていてよく見えない。しかし、何か物憂げな表情であることは微かに感じ取れた。
「ね、私もビックリしたよ。でも無事で良かった。マリア先生の事はその、あれだけど……まだそう決まったわけじゃないしね」
だから、マハはあえて元気付けようとした。
最善手であると確信して、微かな希望の灯火を、例え熾火のように小さな火でも、暗く沈鬱な彼女の心に灯したかった。
ユユはふりふりと頭を横に振った。青い髪が光を反射してなお爽やかに映る。
「あんな化物に独りで立ち向かったんです。きっと無理です。魚を……三人でも何とも出来ないほどの群れを一瞬で、それも一息に焼き尽くしたような怪物です」
マハは俯いた。ユユを元気付ける一言になり得なかったからだ。
マハは少しの沈黙の後こう言った。
「怖いよね。私も怖い。それでも私達が頑張らないと、神王陛下の勅命だし、私達なら出来るって――」
「マハは分かってない!」
ユユの破裂させた怒声に、マハは怯み口をつむんだ。手が震える。胸に剣山を通したかのようにチクチクと痛む。心臓が内側から胸を強く叩く。荒くなった呼吸を落ち着かせようと、髪を耳に掛けた。
ユユも荒くなった呼吸を落ち着かせて、垂れた青い髪を肩にかけた。
「いきなりごめんなさい。でも思ったんです。命って呆気ないなぁって、よく力強く燃える命の炎って例えられたりしますけど、結局ほんの少しの事で消える小さな熾火でしかないだなぁって。
転送陣の光に包まれて、マリア先生の背中を見て、カッコつけて返答しようと挙げた手が震えているのを見て、思ったんです。
人はちっぽけで、すぐに壊れちゃいます。それは間違いなくユユもマハも……
ヨハンとの事、何があったかーなんて内容は別に気にしていないんです。賑やかな友達が増える事については万々歳です。けど、ずっと内緒にされるのは辛いです。こんなあからさまな内緒話。普通なら友情崩壊もんです……」
ユユの頬から伝って見える涙が呼び水となり、マハの金の瞳からも涙が零れた。頬と鼻を赤くし、ユユの小さな手を両手で包み込んだ。暖かく柔らかい手だった。
自分は愚かだと思った。本当に嘘で塗り固められた人生だ。
喉元を震わしながら息を吸って、少し止めた。
ほんの少しの言葉と勇気がまだマハには無かった。唇を痛くなるほど噛んだ。
噛んで噛んで、瞳を閉じて迷走してそれでもようやく絞り出した答えは――
「気持ちの問題で言えないって云うのは、ただの言い訳だと思ってる。それにモヤモヤさせているってのも分かってるの。でも本当にごめんなさい。いつか必ず話すから……だから、今は……」
握った手を額に押し当てた。
するとユユがもう片方の手で、肩を抱いた。
「いいんです。黙っていてもユユはマハが好きだから、それでも許してしまう。けど、ずっと内緒にされるのは余りにも寂しいです。まあ、帰る理由が出来たので神獣ごときにはやられません」
「ユユ……」
気付けば涙の跡が残ってはいるが、いつもの笑顔に戻っていた。
「ありがとう」そう声にならない声で呟き、再び抱き合った二人は、砕け散るガラスのように美しく崩れ落ちていった。