クロシェ
敵か味方か、その判断もつかぬまま、少女は無言で近付き。そして二人を抜き去った。
「何してるの……はやく」
独りぼっちの海岸の潮騒のように、静かにすっと耳に滑り込む声であった。
まるで自分を知っているかのような、おかしな言葉遣いであったが、その声は明らかに自分に向かっていた。
サイドテールの少女は振り返ることなく、真っ直ぐに歩いていく。
「は? え、おい……!」ヨハンはマハの肩を掴み気付けた。
「ふぇ?」
マハは涙でぐしょぐしょになった顔でこちらを見上げた。
「いいか、あの女だけ見とけ。周りは見るなよ」
そう言ってヨハンはサイドテールの少女を指さした。
「いや、怖い。誰? 学園生?」
「知らねえ、ただ何か分かるかもだ」
そう言って立ち上がり、マハの手を取った。
二人は少女の後を追った。
まさかこのだだっ広い荒野を抜けるまで歩き続けるのかと不安になったが、突如周りの景色が変わった。
港町だった。潮風の香りと海猫の鳴き声と強い日差しが、先ほどの怨嗟塗れの景色を忘れされるほどに心地よいものであった。
「景色が……」ヨハンは驚き辺りを見回す。
「多分。幻影系の魔法だと思うんだけど……うーん」と、当然の事ながら本調子とは未だ程遠いマハは、目尻の残涙を拭いながら、歯切れ悪く答えた。
気付けばサイドテールの少女の引き摺る剣は消え、背負う一本の大剣だけになっていた。
足取りも、先ほどの生きる屍の如き浮遊感は無くなっており、比較的軽やかとまでは行かないが普通にはなっていた。
「どうした?」と、マハに問いかける。
「うん、リアル過ぎるというか……普通幻影は視覚や聴覚のみに作用する魔法なんだけど。んー……でも、こんなにころころ景色変わるのは、明らかに幻影だし」
先ほどの光景、今の光景は確に幻影と言うには、もっと現実味を帯びていたように感じた。
「しかも仮にあの子が幻影でこの景色を見せてるにしても、目的が分からなすぎるしな」
「うーん。そうなんだよね」
少女は一件の露店の前に立ち止まり、黄色い果実を眺めていた。握り拳程の大きさのそれはミカンとよばれる果実であった。
「あれ何してんの?」ヨハンが小声でマハに問いかける。
「え、普通にミカン食べたいんじゃない?」
少女の数歩手前でヨハンは脚を止める。
少女は店主とやり取りをして、ミカンを受け取っていた。握り拳大の果実の皮を剥き、中にある実を一粒口に入れた。
少女がこちらを見た。
近付いてきた。少女は一粒ヨハンに差し出した。
「食べる? ディアも……」
ディア。確に彼女はヨハンの目を見てそう言った。
「え、えーっと。ディアってのは俺のこと?」
少女はこくりと、生気を感じさせない動きで頷いた。
「あ、えー、んー、言いたい事は色々あるんだけど、とりあえず君の名前教えてくれる?」
ヨハンはミカンを一粒受け取りながらそう答えた。
「クロシェ。ディアおかしい? その女といるから?」
クロシェと名乗る少女はそう言って、マハを見た。睨むなど感情を表には出さないようだが、その瞳の奥には確かな怒りが微かに見て取れた。
マハは困ったように眉尻を垂らしてたじろいだ。
しかし、クロシェは無言でミカンを一粒差し出してきた。
「アナタも、一応仲間」
「あ、ありが……と?」
クロシェは無言で振り返り、再び道を歩き出した。
「なんか、調子狂うなー」マハが嘆くように言った。
「俺だって、狂うし、訳わかんねえし、もう帰りたいっての……」