『ありがとう』と『ごめんなさい』の狭間で
「ま、マハ!?」
「しー!」
ヨハンの襟首を掴み引き倒したのは、マハであった。彼女は人差し指をこれでもかと逸らして力強くヨハンの唇に押し付けた。
その指先が微かに震えていた。
どうやら、二人のいた所に小部屋があったようでそれに気付いたマハは、そこにヨハンと飛び込んだという事だ。
必死の形相をしたマハに何も言えず、ヨハンは何度も頷く。
ヨハンは、マハと共に光が通り過ぎるのを祈った。息を殺し、光の正体を見極めようと目を凝らす。
やがてお互いの光に照らされて、その正体不明は全貌を露わにした。
その姿にヨハンは少なからず怖気を覚えた。人形であった。恐らく人形と呼称して間違いないだろう。
と言うのも、ヨハンがこれまで見てきた人形とは一線を画す造形。鉄のような鉱物的な材質で、作りは余りにも簡素。人間の特徴を付け足しただけのような、お粗末な出来。
所々、経年劣化による損傷で錆やパーツが取れてたりした。しかし何より、異質なのはつるんとした顔の真ん中に埋め込まれた一つの発光体。
もはやそれだけで異形の生物と呼んでしまって構わないと思えるほどに、その一点だけが異常だった。
それを沈黙でやりすごす。
鉄の人形がすれ違い、遠くに行くのを見届けてようやくヨハンとマハは大きなため息をついた。
「はぁぁぁぁ……」誰ともなく、二人のため息がシンクロした。
「何だったのあれ? 凄く気味悪かった」とマハが壁に背を当て滑り落ちるように座った。
「分からん。魔物の一種なのか、人工物なのかすら分からん」
「ねえどうする? ユユの携帯通信石にかけてみる?」
そう言ってマハはポシェットから紫のプレート状の魔石を取り出した。
それをヨハンは手のひらで制した。
「いや、不用意に魔法具を使うのはやめとけ。もう少し辺りを調べて見たりしないと、魔力に反応して作動する罠とかがあるかも」
「ん、分かった。でどうすんの?」
「それを今から考えんの」
「そっか……」
ふむ、とヨハンはマハの隣にあぐらをかいた。
マハは三角座りで、真っ暗闇の天井を見上げている。
「ねえ、ユユ達は大丈夫なのかな?」
「今は自分の事を考えろって」
そう言ってヨハンは再び沈黙の海に身を投じる。
しかし、沈黙はほど無くして破られる。
「ねえ、ヨハン」
「ん?」
「なんかさ、ごめんね」
「イキナリなんだよ」
「私ヨハンのモノをいっぱい奪ってるなって、思ってさ」
「人から何かを奪うのは俺の専売特許。だからお前は奪ってない」
マハはその答えに不満そうにかぶりをふった。
「全然違う」
「なんだよ違うって」
「だって私は、あの時ヨハンの魔法を奪った。ヨハンの自由を奪った。返事は聞かない、あの時はそうするしかなかったって絶対アナタは言うの。それでも、私はやっぱりどうしても、感謝と罪悪感が複雑に入り混じってて……こんな時に言うなんてホント空気読んでないし、バカだなぁって思うけど、もしかしたらもう言う機会無くなっちゃうかもだから……だから、言わせて欲しいの。『ありがとう』そして『ごめんなさい』。ヨハンの――」
マハが小さく深呼吸する。細くか弱い音が聞こえた。その音は震えていて、彼女から湿った空気が肌に伝わってくる。
マハは、今にも消え入りそうな声で、
「――命を奪った事」
そう言った。